退路は断たれた
13 押しかけ女房にされた
そのまま、シャルとオユンが村の中を歩んでいると、「魔導士さま!」、数人の男たちが駆け寄ってきた。
全員、地面に右ひざをつくと、シャルに対して拝礼の姿勢をとった。
なかでも、黒ひげ
「
「いや、よいニンジンだった」と、シャルが答えた。
食材を
この黒ひげ
村の
そこから、男たちに囲まれて、オユンはシャルとともに案内された。木陰や民家の扉の隙間から女子供たちが、こちらをうかがっているのにオユンは気づいた。魔導士は
門構えの立派な家が見えてくると、やはり、それが差配人の屋敷だった。入り口をくぐると、井戸のある中庭に出た。住居と納屋で囲むように建屋が配置してある。左手、2層建ての家屋の1階は石造りの列柱のあるテラスだ。そこへシャルは、さっさと歩んでいった。勝手知ったる、という感じだ。
「広間へ、どうか——」
あわてて、黒ひげの男が追いかけてくる。
「かまわぬ。オユンも、ここに座れ」
シャルはテラスに置かれた木の長椅子を示した。
「今、今、敷物をお持ちしますから」
黒ひげ
「今日は
シャルとオユンの座る場所それぞれに、手頃の大きさの草木染の織物が敷かれた。
「いや。今日は、ゼスの奥方に頼みがある」
「かかかか家内にですか」
黒ひげ
「わたしの奥方の相談にのってやってほしい」
そう、シャルが言った一瞬、
「お嫁さまを
「そうだ」
シャルは物々しく、中庭の男どもを見渡した。
「長いこと独身をこじらせていた魔導士さまが!」
誰かが叫んだ。
(言われてる!)
オユンは、ちらっとシャルを見た。魔導士はドヤ顔だった。いつか見た顔だ。
「聞いたか! みんな! やっと大ヤム・チャールさまとの約束が守られるぞ!」
おお、という地鳴りに似た歓声が男たちからあがる。
「約束? 大ヤム・チャールは、おまえたちと何か約束したのか」
シャルは子供っぽく、口をとがらせた。
「お孫さまのシャル・ホルスさまがお嫁さまを
みなが、こぼれんばかりの笑みを浮かべた。
「へぇ~」
シャルは、まるで他人事のように受け流した。
「あの
「だから、そこは、わっちたちの交渉力の見せ所なわけでございますよ。シャル・ホルスさま」
黒ひげ
(あ。このヒト、なかなかの
オユンは黙って観察していた。黒ひげ
(と言うか、村人、魔導士に対してフレンドリーなんじゃない?)
意外だった。
「考えておくよ。約束ならね。それでは、まず、こちらの願いを、かなえてくれないか」
それが、さきほどのゼスの奥方にオユンの相談にのってほしい、という申し出だ。
それから、シャルとオユンにミルク茶と揚げ菓子がふるまわれているうちに、おっかなびっくりという感じで女の人がやってきた。
「ゼス・ドゥルゥの妻のハシでございます。このたびは、ご結婚、おめでとうございます」
ほおのえくぼが愛らしい女性だった。
「オユンと申します。お願いします」
オユンも席を立って挨拶する。ハシに困った顔をさせてしまった。
「お入り用なものとは」
シャルが、こほむと咳払いしただけで、あたりから人がいなくなった。ついでのように、自分も中庭へ、ぷらぷらと歩いて行った。
オユンは安心して切り出す。
「とにかく下着を。月のさわりのときの、下着も。何も持ってきていなくて。城にも何もなくて。だから女性用なら、服でも何でもありがたいです」
「……」
ハシは黙ったままオユンをみつめていた。で、自分で、それに、はっと気づいて。「あっ。申し訳ありませんっ。普通の人のようにしか見えないなぁって」恐縮して視線を落とした。
「普通の人です。29歳です」
なぜかオユンは年を言ってしまった。
「あ。妹と同じ年です」
ハシは、むっちりした両方の手で、オユンの脇を、いきなり、つっついた。
「今のは?」
「女学校のときに
「覚えがないです……」
異文化の意思疎通は、なかなかに
「今日は、とりあえずのものを、ご用意いたしましょ。服は、あたしのを、おゆずりします。少し、サイズが大きいでしょうけど、大は小を兼ねますものね」
どんどん決めていく。
「それから! 靴職人を今、呼びに行かせます!」
靴のことも、すぐ気づいてくれた。
待っている間に、2杯めのミルク茶を入れてもらう。
「揚げ菓子をどうぞ」
「ありがとうございます」
靴職人が来るには何分か、かかりそうだ。
中庭へ目をやるとシャルは井戸を暇そうに、のぞき込んでいた。
「——魔導士さまは、あたしたちの
ハシが、場つなぎにとでも思ったか、語りだした。
「あのころ、主人のゼスは、一人前になるまでは婚姻はできないという考えだったんです。ですが、魔導士さまが『それも大事なことだが、そんなこと考えていたら、おまえは、あっと言う間に、じいさんになるんだぞ』って諭してくだすったそうです。だから魔導士さまは、あたしの恩人なんです。魔導士さまに、そう言っていただけなかったらゼスは、あたしに結婚を申し込んだりしなかったでしょう。あたしは、そのとき年頃だったから、魔導士さまの一言がなければ別な方へお嫁入りしていたことでしょう」
「お待たせしやした。奥さま」
靴職人が到着したのでハシの話は、そこで終わった。
「足首まで守る実用的な靴を」
オユンが要望を告げる。長椅子に腰かけたまま、きゃしゃな礼装用の靴を脱いで、靴職人がテラスの石の床に敷いた紙に両足をのせた。
「失礼いたしやす」
靴職人は、腰かけたオユンの前にひざまずいて、持ってきた道具箱の中から、ちびた鉛筆を取り出すと、オユンの足回りに沿って鉛筆を動かし、足形をとった。これで、足にぴったりの靴ができあがるのだ。その作業の合間に腕のよい靴職人なら、注文主の足の甲の厚さも目視確認しているはずだ。
「ゴタルさん。できあがるまでに3日ってとこかしら」
ハシが聞いた。
「いえ、超特急で仕上げまさ」
ゴタルと呼ばれた靴職人は、もう道具箱を抱えて立ち上がっていた。
「
ハシが、その背中に声を投げかけた。
「ゴタルさんは張り切るのはいいんだけど、抜けたところが多いんです。この間も、右足と右足の靴で納品してきたから……」
「ふ」オユンは軽く笑って、「
「月初めの
「
オユンは、あの花瓶にあった古銭をハンケチにつつんで、何枚か持ってきていた。
「古い時代の硬貨ですね。両替商や古物商なら、今の貨幣に換算してくれるかも」
「なるほど」
ハシは、「ちょっと待っていてくださいね」と言い残して、テラスの奥にあった階段を2階へあがっていった。
少しして、大きめの布包みをかかえて戻ってきた。おそらく、服や下着だ。
「どうぞ。とりあえず使ってくださいね。新品を手に入れたら、すててくだすってかまいませんから」
「ありがとうございます」
オユンは涙が出そうだった。
「
その夜、ゼスとハシ、差配人の夫婦は寝床で話した。
「魔導士さまのお嫁さま。下着の1枚も持たずにいらしたのね。お二人のなれそめはどういうものかしら。ゼス、聞きました?」
「いや。滅相もない。そんなことを魔導士さまに聞けるはずがないだろう」
「あたし、あたしね。駆け落ちとかじゃないかと思うの。それも、押しかけ。29歳にもなると、女も思い切るはずよ」
「えっ? そうなのか?」
「だって、29歳よ。29歳」
「押しかけられて魔導士さまも、まんざらでもない感じなのか……」
「魔導士さまにとったら二百か三百、年下じゃない。29歳で、ちょうどよいのよ」
「魔導士さま、もう結婚しないのかと思ったときもあったなぁ。やっと、大ヤム・チャールさまとの約束が果たされる」
「今度の
まさか、そんな、ないことないことになっているとは。
見た目だけは美麗なシャル・ホルス。
完全に見た目、並なオユンのほうが押し切ったと、差配人夫婦には思われた。
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