氷結魔導士のはやすぎるいろいろ

６ ごろんとニンジンの入ったスゥプ

　まわりの風景が砂が流れるようにかすんで。

　はげしい虹色の光彩に、オユンは、とっさに目を閉じてしまったのか。風景が定まったときには別の場所だった。

　オユンの目の前に長方形の食卓がある。食堂だ。

「魔法！」

　話には聞いていたし想像もしたことはあった。オユンは、はじめて目（ま）の当（あ）たりにした。

「ただの移動魔法だ」

　魔導士は、こともなげに言ってのける。オユンの右手を取ったまま、食卓の末席へ誘（いざな）った。

　ここでも精霊たちが働いていた。背丈はノイより小さい。生来の彼らの姿形なのだろうか。乳白色の光が人型をとっている。精霊の一人が、オユンのために椅子をひいた。

「あ、ありがとう」

　エスコートされることに、オユンは慣れていない。少し挙動不審になってしまった。

　魔導士はと言うと食卓の長い辺の脇を歩いていき、皿や壺を飾った棚を背にオユンの真向いに座った。長テーブルの長いほうの長さ分、距離があいてオユンは、やっと一息ついた。

「食事には中途半端な時間だ」

　それが不服なのか事実を言っただけなのかは、魔導士の声色からは、わからない。

　そういえば何時なんだろう。それとなくオユンが食堂を見渡すと、小さな窓が高い所にいくつか並んでいた。直に日の光がさしこんでいないところを見ると、太陽は真上にあるのか。昼は過ぎているようだ。壁が白く塗ってあるから、光を反射して窓の大きさにしては室内は明るい。

　そして、魔族の食事習慣や頻度をオユンは知らない。

　銀針（ムング・ズー）の王家の食事は、昼食にいちばん重きを置く。朝は軽めにいただく。夕餉（ゆうげ）は社交を兼ねた晩餐（ばんさん）だ。それがなければ、かえって質素なものだ。　

「軽めのものを出せ。わたしもつきあう」

　魔導士の言葉に、乳白色の召使いたちが音もたてず移動した。

　オユンは緊張したまま、座っていた。

　しばらくすると、かちゃかちゃと音がして視線を落としたテーブル上に、スゥプの皿が供された。皿は、かすかにゆらぎのある、ぼってりとした白磁だ。そこに供された具だくさんの澄んだスゥプからは、香草のかおりがした。

（見た目は人の食べ物と変わらなく見える。というか、スゥプに使う食材は同じなのね）

　皿に盛りつけてあるのは、タマネギにニンジンであるように見える。うす茶色い丸いのは、ひよこ豆だと思う。　

　また、改めてスゥプのかおりを嗅ぐと、どこかなつかしい気持ちになった。

　皿の右に置かれたスプーンに、オユンは左手をのばした。

「左利きなのか。おまえは」

　魔導士が、こっちを見ていた。

「はい」

「生まれつきか」

「はい」

　オユンは気がついた。青年も左手にスプーンを持っている。

「ま、魔導士さまも左利きであらせられるのですね」

「魔導士は両手を使えるように修行するんだ。だが、天然の左利きのほうが有利だ」

　そうなのか。

　銀針（ムング・ズー）に、表立った魔導士はいない。そもそも、魔導士という言葉が魔族の出自を指す。人の身で魔導士になるとしたら、はっきりと異能者だし、そういう者たちは、ひっそりと人目につかないところで暮らすという。

　だから、オユンは魔導士のことは噂でしか知らない。

　寿命が人より長いとか。

　精霊をあやつるとか。

　姿形は似ているが彼らは、まったく別の種族なのだ。

　むかしむかしは魔族が力を持ち人を支配した時代もあったし、人が魔族を恐れるあまり根絶やしにしようとした時代もあったという。

　今は、なんでもありの、どうでもいいという考えの者が多くなったということなのか。害をなさなければ、お互い余計なことはせずに共存はできると知ったかのようだ。

　そもそも、魔　VS　人という戦いより、人　VS　人の方が、よほど件数として多い。

　そして、魔族と人との婚姻も推奨はされないが、ある。

　ただ、男が魔族の娘を娶（めと）る場合は、「早死にしないようにな」と下卑（げび）た寿（ことほ）ぎを贈られ、女が嫁ぐ場合には、「よほど好きなのね」と陰口を叩かれる。

（うっわー。昼間から、わたし、何を考えてるの）

　かちゃん。

　オユンの持っていたスプーンが皿に当たった。石造りの壁のせいか音は、やけに響いた。

　ちらりと見た魔導士は静かにスゥプを飲んでいる。観察を続ければ、その食べ方に、いっさい粗野なところがない。

　オユンのほうが、がっついている感じだ。

　添えてあった丸パンを、ちぎらずに口に運んでしまい、後戻りできなくなった。

（うー。しゃあない）

　もぐもぐと、そのまま食（は）んだ。

　魔導士に、じっと見つめられた。

（品のない女だと、あきれた?）

　ごっくんと、ややハードめに焼きしめられたパンを飲み込みながら、オユンは考えた。

（そうだ。こんな品のない女、いらない、出て行ってくれとなれば）

　解放だ。解放。

　この線で行こう。

　でも、やりすぎてはいけない。やりすぎて怒らせて、「斬首（ざんしゅ）」などと言わせてはいけない。

（さじ加減がむずかしい）

　でも、やらなければ。目指せ、解放！

　オユンは２個めのパンに手を伸ばした。

「おまえ」

　魔導士が、オユンを見つめ続けている。

（ヘイ、ヘイ。パンを丸呑みする女なんて、あきれたでしょう。出口はあっちだ。出て行けと、早く言って！）

「そんなにパンが好きなら、明日は、もっと用意させよう」

（えーーー）

「このパンはスゥプにからめるように、やや固めだ。パンばかり食べず、ちゃんとスゥプも食べろ。まさか」

　魔導士の視線が鋭くなった。

　パンが、オユンの喉（のど）につまりそうだった。

「ニンジンがきらいだって言うんじゃないだろうな」

　スゥプには、ぶつ切りのニンジンが皮付きのまま、ごろんと入っていた。調理人がワイルドだ。

「——ニンジンは」

　オユンは正解を探った。

　「きらい」って言ったら、解放されるのか。斬首（ざんしゅ）されるのか。

（恐ろしすぎる賭けだ）

「この大陸にて、ニンジンは原種と外来種があり、原種は細長く、外来種は太く短いのです。このニンジンは朱色が鮮やかだから、原種に近そうです」

　けむに巻く作戦に出る。

「そうだ。原種のほうが、ここの土地柄にあっているんだ。それに香りも高いだろう？　氷室（ひむろ）で貯蔵すると甘くなるんだ。煮ると、さらに甘くなるんだ」

　どうしよう。オユンは、とまどう。

　魔導士が笑顔だ。