5  精霊もいる

 交渉に失敗しましたね。そう、家令に言われて、オユンは自分のあさはかさを後悔した。


(しまった。しまった。しまった)


 30年は今の姿形をキープできるということに有頂天になって、感情をあらわにしたのは失敗だった。

 魔導士がオユンを花嫁にすると言い出したのは絶対に、いやがらせだ。


銀針ムング・ズーの次の代の日女ひめが育つまでって。何年かかるの?)


 銀針の現王の子は13人。12人の日女ひめの下に、ようやく生まれた王子が、今、10歳だ。最短で6年後、嫁をもらうとして、最短で日女ひめが生まれて結婚適齢期になるとして。


「22年⁉」

 オユンは、そのとき51歳になっている。

 見た目、30歳としても精神は50代だ。

 気が遠くなる。


日女ひめといっしょに金杭アルタンガダスに行きたかった……)


 金杭アルタンガダス銀針ムング・ズーより大きな国だ。

 王家のきさき付きの侍女ともなれば、そう自由になる時間はないだろうが、それでも楽しみにしていたのだ。街並み。行き交う商人。大国の文化。


 十二日女じゅうにひめのことも心配だった。

 オユンが随行メンバーとしてついていくと知ったとき、あのうつくしい少女は心からよろこんでくれた。「ずっと、そばにいて、わたくしを助けてね」と、その白く、きゃしゃな手でオユンの両手を握りしめてくれたのだ。

 自分の抜けた穴を、誰が埋めるのだろうか。


 オユンは寝台に腰かけて、落ち着かない時間を過ごしていた。

 今、いる、この部屋は奥方の間らしい。

 寝台の天蓋から下がるとばり(カーテン)は、くすんだピンクで趣味ではない。しかし、織り込まれている柄は、森の木々の中にフクロウやウサギ、シカがたわむれている牧歌的なもので、たしかにオユンの気持ちを慰めてくれた。

 椅子やコンソールテーブルの縁や脚には、ていねいな木彫りがなされていて、金に飽かした豪奢ごうしゃな造りでないことも居心地よい。

 大事なことだが、城の外側に面した場所には、張り出した個室トイレもあった。最初に使ったときは、どんな小さな滝を今、自分は作っているのだろうと感慨深かった。魔導士の城は、けわしい岩山の上に建っていたのだ。


 そして、オユンが落ち着かないのには、もうひとつ理由があった。


「……」

 さっきから、天蓋てんがいのカーテンの陰から少年がのぞいている。

 ほっそりとした子供だ。全体的に乳白色、ほの白い衣装をまとっている。絶対に人ではない。

 小さな頃、森の木立や夜の窓の向こうに、このような者たちをオユンは見ることがあった。成人してからは見かけることがなくなり、忘れていた。


『ねぇねぇ。あのこ、だぁれ』

 子供だったオユンが近くにいた大人に聞いたら、オユン自身を気味悪がられた。

 見えちゃダメなものなんだと子供心に察して、それから、人には言わないようにした。

 たぶん精霊のたぐいは人にとって、よいものもわるいものもいるから、いっさいからげて、かかわらないほうがよいのだ。


 だけど、さっきからオユンを見ている、それは。

 どこから入ったのだろう。いつからいたのだろう。

 ついに目が合ってしまった。


「オクガタ」

 しゃべった。


「奥方。ノイだヨ」

 自己紹介してきた。


「ひぃ」

 オユンは思い切り、びびった。

 

「お風呂にしますか。お食事にしますか。アルジにしますか」

 そして精霊は、まさかの三択を示してきた。


 くぅぅ。オユンのはらが『お食事だ』と言った。

 どんなときでも腹は減る。

 こんな囚われの身であってもだ。


「何か食べたい。それから風呂に入りたい。アルジはいらない」

 小さな声でオユンが告げると、精霊は、うなずいた。

「食堂に案内するヨ。それとも、ここに運ぼうか」


「食堂」

 ここで不必要なオユンの好奇心が、頭をもたげる。

「行ってみたい」


「では、ついてきて。長衣ローブを、はおろっか。貴婦人はオット以外に、みっだりに姿を見せないものサ」

 なかなか古風な精霊だ。

 

 少年=精霊=ノイは、部屋の一角に置かれた長櫃ながびつを開けた。そこから、灰色のフード付きの長衣ローブを取り出し、寝台に広げて見せてくれた。

 それで、オユンは、かれこれ4日ほど着ていた、うす青の七分袖の上衣じょういを脱いだ。そして、小さな立ち襟のミルク色の長袖のブラウスと、銀糸の刺繡をほどこしたベルトでしめた、うす青のスカート姿になって灰色の長衣ローブをまとった。

 長衣ローブは手に取ると驚くほど軽かった。目の詰まった上質な生地だ。もしかしたら希少な高山山羊こうざんやぎの純毛かもしれない。これほど軽く、うすいとは。


「行こ」

 ノイが横から右手をさしだしてきた。

 本来、貴婦人の右手は扇子を持っている。左手を出すべきだが、オユンは右手をノイにさしだした。左は利き手なので開けておきたいのだ。


「ふーん。奥方、左側はダメ?」

 ノイはオユンの右側に立ち直し、左手でオユンの右手をとった。


 そうして、ノイに手を引かれ、奥方の間から城の廊下へ出る。

 階下へ降りるのは、はじめてだ。そして、ぎょっとした。

 なんと、はるか下まで、この城の中心部は空洞だった。廊下は部屋からの出入りの扉のところだけ幅広の段の石の螺旋らせん階段で、ぐるぐる下へ続いていた。


(か、帰りがつらそう)

 オユンは一気に心配になった。

「ねぇ。食堂まで、どのくらい距離があるの?」


「アルジに頼めば、すぐ」

「え」

「『お風呂にしますか。お食事にしますか。アルジにしますか』とノイが聞いたときに、『アルジにします』って言うのが正解だヨ」

 精霊が無邪気な笑顔を見せるので、オユンは、つい、「アルジにしていい? 試しに」と提案にのってしまった。


「御意」ノイはうなずいた。すると、「呼んだか」、オユンのうしろで、すぐに青年の声がした。

 魔導士が立っていた。


「奥方は、アルジといっしょに食事がとりたいって」

 精霊とは、意訳する生き物らしかった。


「そうか」

 魔導士は、まんざらでもない様子でオユンに左手をさし出してきた。

「行こう」


 オユンは、うしろにさがったノイに、つんつんと背中を指でつかれた。 

(魔導士の手をとれってことね)


 腰を落として貴婦人の正式の礼をとりたいが、階段でそれをやると階下まで転がり落ちる自信があった。それで小首をかしげて、ぎこちなく笑って右手をさしだした。

 魔導士の指3本が、オユンの指に触れるか触れないかで、まわりの風景が砂が流れるようにかすんだ。

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