5 精霊もいる
交渉に失敗しましたね。そう、家令に言われて、オユンは自分のあさはかさを後悔した。
(しまった。しまった。しまった)
30年は今の姿形をキープできるということに有頂天になって、感情をあらわにしたのは失敗だった。
魔導士がオユンを花嫁にすると言い出したのは絶対に、いやがらせだ。
(
銀針の現王の子は13人。12人の
「22年⁉」
オユンは、そのとき51歳になっている。
見た目、30歳としても精神は50代だ。
気が遠くなる。
(
王家の
オユンが随行メンバーとしてついていくと知ったとき、あのうつくしい少女は心からよろこんでくれた。「ずっと、そばにいて、わたくしを助けてね」と、その白く、きゃしゃな手でオユンの両手を握りしめてくれたのだ。
自分の抜けた穴を、誰が埋めるのだろうか。
オユンは寝台に腰かけて、落ち着かない時間を過ごしていた。
今、いる、この部屋は奥方の間らしい。
寝台の天蓋から下がる
椅子やコンソールテーブルの縁や脚には、ていねいな木彫りがなされていて、金に飽かした
大事なことだが、城の外側に面した場所には、張り出した
そして、オユンが落ち着かないのには、もうひとつ理由があった。
「……」
さっきから、
ほっそりとした子供だ。全体的に乳白色、ほの白い衣装をまとっている。絶対に人ではない。
小さな頃、森の木立や夜の窓の向こうに、このような者たちをオユンは見ることがあった。成人してからは見かけることがなくなり、忘れていた。
『ねぇねぇ。あのこ、だぁれ』
子供だったオユンが近くにいた大人に聞いたら、オユン自身を気味悪がられた。
見えちゃダメなものなんだと子供心に察して、それから、人には言わないようにした。
たぶん精霊の
だけど、さっきからオユンを見ている、それは。
どこから入ったのだろう。いつからいたのだろう。
ついに目が合ってしまった。
「オクガタ」
しゃべった。
「奥方。ノイだヨ」
自己紹介してきた。
「ひぃ」
オユンは思い切り、びびった。
「お風呂にしますか。お食事にしますか。アルジにしますか」
そして精霊は、まさかの三択を示してきた。
くぅぅ。オユンの
どんなときでも腹は減る。
こんな囚われの身であってもだ。
「何か食べたい。それから風呂に入りたい。アルジはいらない」
小さな声でオユンが告げると、精霊は、うなずいた。
「食堂に案内するヨ。それとも、ここに運ぼうか」
「食堂」
ここで不必要なオユンの好奇心が、頭をもたげる。
「行ってみたい」
「では、ついてきて。
なかなか古風な精霊だ。
少年=精霊=ノイは、部屋の一角に置かれた
それで、オユンは、かれこれ4日ほど着ていた、うす青の七分袖の
「行こ」
ノイが横から右手をさしだしてきた。
本来、貴婦人の右手は扇子を持っている。左手を出すべきだが、オユンは右手をノイにさしだした。左は利き手なので開けておきたいのだ。
「ふーん。奥方、左側はダメ?」
ノイはオユンの右側に立ち直し、左手でオユンの右手をとった。
そうして、ノイに手を引かれ、奥方の間から城の廊下へ出る。
階下へ降りるのは、はじめてだ。そして、ぎょっとした。
なんと、はるか下まで、この城の中心部は空洞だった。廊下は部屋からの出入りの扉のところだけ幅広の段の石の
(か、帰りがつらそう)
オユンは一気に心配になった。
「ねぇ。食堂まで、どのくらい距離があるの?」
「アルジに頼めば、すぐ」
「え」
「『お風呂にしますか。お食事にしますか。アルジにしますか』とノイが聞いたときに、『アルジにします』って言うのが正解だヨ」
精霊が無邪気な笑顔を見せるので、オユンは、つい、「アルジにしていい? 試しに」と提案にのってしまった。
「御意」ノイはうなずいた。すると、「呼んだか」、オユンのうしろで、すぐに青年の声がした。
魔導士が立っていた。
「奥方は、アルジといっしょに食事がとりたいって」
精霊とは、意訳する生き物らしかった。
「そうか」
魔導士は、まんざらでもない様子でオユンに左手をさし出してきた。
「行こう」
オユンは、うしろにさがったノイに、つんつんと背中を指でつかれた。
(魔導士の手をとれってことね)
腰を落として貴婦人の正式の礼をとりたいが、階段でそれをやると階下まで転がり落ちる自信があった。それで小首をかしげて、ぎこちなく笑って右手をさしだした。
魔導士の指3本が、オユンの指に触れるか触れないかで、まわりの風景が砂が流れるようにかすんだ。
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