4 ファーストキスだった
オユンは
自分がカンちがいした。
その事実に
「すいませんね。わが
オユンは家令から謝罪を受けた。
「はぁ。こちらこそすいません」
なぜだかオユンも謝った。
「ところで、
それだけが気がかりだった。
「はい。
「よかった」
オユンは本当に
オユンが
「あなたは変わった方だ。自分の命の心配はしないのですか」
家令が、うすくほほえんだ。
笑えるんだ、この人。オユンも、うすくほほえんだ。
「していますよ。今も」
ただ、窓口になっている、この家令が紳士的で、あの魔導士という青年も明るい光の下で見れば、弟ぐらいの年と思えないこともなかった。
そのうえ、オユンが
(誕生日の贈り物が、自分の思っている物でなかったときの弟の顔を思い出したわ)
「あの方は、たいそうショックだったようですね」
「はい。シャル・ホルスは魔導士としては優秀な方ですが、人との交流体験が少なく、特に人の女性との接触は皆無でしたので、15歳と29歳の区別がつかなかったんですね」
(そこ。蒸し返す……)
沈黙。
「あの。わたしは返していただけるんですか」
大事なことだ。オユンは切り出した。
「あなたの申告に、うそがなければ」
家令は、まだ疑っているのか。
「うそなどございません」
オユンは家令の目を、まっすぐに見た。
「オユン・ツァガントルー。29歳。
「小国の下級貴族に身代金請求するほど、うちの経済情勢はひっ迫しておりませんので。
それで、隣りの応接室へ平行移動した。その、また隣りが魔導士の部屋だ。
「わが
「わかった。ふたりにしてくれ」
想定外の魔導士の申し出に、オユンの心臓がはねた。
両開き扉が開いて、不機嫌そうな顔の青年が現れた。家令は一礼して、応接室から廊下へつながる扉から出て行った。
魔導士と、ふたりきりにされてオユンは気まずいこと、このうえない。
「――」
あの、と切り出そうとしたら、魔導士のほうが早かった。
「本当に
すでになんべんもくりかえした問いを、青年は、またくりかえした。
「本当に、でございます」
青年は、じっとみつめてくる。オユンに見惚れているわけではない。どこといって特徴のない容姿だ。茶がちな髪も瞳も、ありふれているとオユンは自覚している。
「29歳――」
しつこい。
「絶対に、おまえが
「カンちがいされましたね」
公私ともに、子供と接してきたオユンだ。家庭教師モードが入る。やさしい眼差しで、人でない魔人の青年にうなずいた。
「……スしてしまった」かすれた声で青年が何か言った。
「?」
「キスしてしまった」
「あー。そうですね」
オユンは、ちょっと、ほおがゆるんだ。殿方とキッスなんて、何年ぶりだったか。
「――ファースト、キスだったのに」
青年が、ぽつりと言った。
「――は。あ⁉」
オユンは、宮廷家庭教師にふさわしくない、すっとんきょうな声をあげてしまった。
魔人の青年は眉間にしわを寄せて、うらめしそうにオユンをにらんでいる。
「
不覚なんだ。
「すいませんでした」
なぜか、またオユンはあやまってしまった。
「その、キッスなんて、ちょっとくちびるが触れ合っただけですよ。そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。新しい恋人に出会えば、いくらでも上書きできますから」
(いや、わたし、経験値ないのに恋愛マイスターかしら)
オユンの脇に、ちょっと冷汗が出た。
魔導士は、じっとオユンをみつめたままだ。
「おまえにとって、キスとはその程度のことなのか」
いや。その程度のことと思わなきゃ、29歳まで独り身で生きていられないから。
「ご傷心中、申し訳ないのですが、わたしが
「わたしは
青年は仏頂面のまま言う。
「え?
青年は天を仰ぐ仕草をした。「神よ」って感じの。魔族の神とは何だったろう。
(しらべておかなければ。世の中は広い。知らないことは多い)
オユンは、
「では、次の代の
この青年、けっこうな粘着質な性格みたいだ。
「気が長いですね。そうか、魔導士は、魔族とは長命でした」
オユンは
「だから、人の女を妻にすると決めたら、わが家系の男は、自分の精気を人の女に与える。おまえもわたしの——キスで、30年だかは寿命が延びたろうよ」
青年は、あてつけがましい、ため息をついた。
「え……」
オユンは目を見開いた。
(ちょっと待って)
「それ。この姿形をキープしたままで30年と受け取ってよろしいですか」
ごくりと
「それはそうだ。でなければ愉しめないだろう」
(これは、けがの功名?)
オユンは思わず、「あ、ありがとうございますっ」、90度近くの拝礼をした。
「このままの姿形で30年って? そしたらエイジングケアも当分、気にしなくていいんですねっ。60歳で30歳に見えたら
「――急に楽しそうだな」
魔導士の眉間に、もっと、しわが寄った。
「ふへへ」
オユンは、つい、笑みがこぼれてしまった。棚から落ちたボタモチをほうばっている気分だ。
「わたしは、こんなに苦しいのに」
ものすごく魔導士に、にらまれた。
「えーと。すいません」
今日、何回めかの、すいませんだ。
魔導士は前髪をかきあげ考え込んでいた。そして、「よし」と小さくつぶやいて、
オユンを見据えると、「おまえを解放しない」と、きっぱりと言い切った。
「え」オユンは固まった。
「おまえはわたしの花嫁だ。おまえの寿命が延びた分は、わたしに仕えてもらう。
「えっ、えぇ~っ」
青ざめたオユンに、魔導士は言いすてる。
「そういうことだ。自分の部屋へ戻れ」
そして、
「交渉失敗しましたね」
家令があわれむように、少し開けた扉の外からオユンを見ていた。
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