11 ぶちぎれる奥方
君の銀の針に糸を通してあげよう
だから この扉を開けておくれ
いいえ
銀の針には金の糸
それ以外は通さないの
家令のハッロ・レカェケムの言葉で、オユンは思い出していた。
旅の
子供のころ、聴いた。
意味深な唄だった。今にして思えば。
その真夜中、奥方の間の応接室側の両開きの扉が、ばたんと開いた。
「どうして、来ない!」
シャルが寝間着姿で立っていた。
「……?」
寝ぼけ
部屋は
「えぇと」
「新婚なんだぞ」
抑えめの声が、明らかに怒っている。
「——今、行こうとしていたところです」
出前のような言い方になった。
「そうか」
くるりと背を向けて、銀の髪の青年は戻っていった。
扉を開けたまま。
(来いということね)
オユンは起きた。
(スリッパはどこだろう)
窓からさしこむ月の光だけで、あたりを探す。
イグサで編まれたスリッパが、寝台の足側にそろえてあった。
はだしの足を、それにすべり込ませる。
結局、魔導士のチュニックをオユンは寝間着にした。
(やっぱり一度、街に行って必要なものを手に入れたい)
奥方の間と
「おじゃまします……」
ここにも
寝具をかぶって横になっている男の背が見えた。
オユンの心音が高くなる。
ただ実践する場はないし、実践しようとも思っていなかった。
あまりにも、宮廷家庭教師の給料がよくて。
その採用の際に署名させられた契約書の一文が、『生涯独身』『どこまでも王の子女に仕える』であったのだ。
あのまま
(たしか、契約に違反した際は違約金とられるって書いてなかったか)
オユンの心配は、そこだ。
あれこれ考えていたら、寝台の左側に片ひざをかけたまま静止してしまっていた。
シャルが眉をひそめて、こっちを見てきた。
「おまえはじらすのがうまい」
そんなことは学んだ覚えがない。
「……」
何も返す言葉が浮かばず、寝台に横にはなった。
縁起でもないが
視界には
通り雨か、嵐の前触れか。
強くなったり、弱くなったり。
シャルにキスされた部分は、冷水を落とされたように一瞬、つめたくなるので、オユンは、ぴくりとしてしまう。
「——もしかして、つめたい? 加減を練習しているのだが」
練習と言われて、オユンは自制心を取り戻せた。
この
わたしは練習台ってことだ。
そう思っても
息が小刻みになる。苦しいかもしれない。
シャルのキスがつめたいのは、氷結の魔導士であることと関係しているようだ。
感情が高ぶると、術が発動してしまうということなんだろうか。
キスは、だんだんと下へおりていった。
たぶん、しようとしていることはわかる。
ぱんっと閃光のような虹色の光彩がはじけた。
そして、またも、オユンは意識を手放してしまったらしい。
そして、いきなり、両肩をつかまれ、ぐらんぐらん揺すぶられて目覚めることになる。
「しっかりしろ! オユン! 生きてますかー」
「アルジ。意識ないとしたら、ゆさぶっちゃダメだ」
ノイの声だ。
「落ち着いてください。
この声は? オゥンは、うっすら目を開けた。
なんだか下腹部が重い。
目の前に魔導士の顔があった。
「わたしがわかるか」
「シャル……」
オユンが名前を呼ぶと、抱きしめられた。
「朝、起きたら、おまえ、血だらけで、死んだかと思った」
「え……」
「奥方さまのお
家令まで、いるではないか。なんだ。なんだ。オユンはとまどう。
「月のさわりでございますよ」
(あ。
どうやら、オユンは
「……すいません」
「いえ。申し訳ないのは、こちらのほうです。何のお支度もしておらず。応急処置的に古布を用意いたしましたが」
腰回りがやけに分厚いと思ったら、オユンは男物の下履きの中に古布を詰めたものを履かされていた。
「えっ? えっ。これ、誰が履かしてくれたんですか。まさか」
オユンは青ざめて、家令の顔を見た。
「
「よかった。いや。あんまりよくない」
恥ずかしさに、オユンは悶絶した。
「だからっ! 下着がないと困るんだよぉぉぉ」
涙が出てきた。
うぅ、と、うめき声まで出た。
(もうもうもうもう)
「女、さらうなら月のさわりのときの対策とか、しとけや!」
ぶちぎれた。
「
「——と、このように、月のさわりのとき、個体差によっては、その前から女性は精神不安定な症状を示します。その間は、夫婦の営みはひかえ、女性には、あたたかな飲み物を処方するなど、体を冷やさない環境を作ります」
家令が講義をはじめた。
「冷やすのなら得意分野なのだが」
シャルが魔導士として大真面目だ。
「……わ、たしのぉ、
ひっくひっく、しゃくりあげるオユンの背中をノイがさすってくれた。それを見たシャルもオユンの背中をさすりだす。
「だい、じょうぶかな」
その仕草が弟のひとりに似ていて、ふいにオユンは田舎の実家のことを思い出した。
オユンが物心ついたときには両親はいなかった。
実家と言っているツァガントルー家は、正確には養子先だ。引き取られた子供たちは総勢十数人。数が定まらないのは、出入りが激しかったからだ。
オユンは自然とお姉さん立ち位置だった。割と早い時点から、いつも、どのきょうだいかをおんぶしていた気がする。
ほんの数日前のことなのに、ずいぶん昔のことのようだ。
「——症状がっ、ひどいときは、処方された漢方薬を飲んだり、していたので……」
その薬も馬車に置き去りにした鞄の中だ。オユンは
「大、丈夫です。横になっ、おけば……」
そう、言葉では冷静だがオユンの胸の奥から、せりあがってくるものがあった。まさに決壊した川のように目からは涙があふれた。
いくすじも、いくすじも、涙は横たわるオユンの
それを見下ろすシャルの顔が、みるみる、しょげていく。彼は、とてもわかりやすい。
「わたしは、わたしの花嫁に、ひどいことをしてしまったんだね」
今、わかったようだ。
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