10 乙女の必要経費
財布がない。今、気がついた。
「お財布っ」
オユンは青くなった。
財布は首からさげていたはずだ。
「ここに来たとき、わたしが着ていた服はっ」
あわててノイにたしかめる。
「ほこりをはらって、新しい
「財布、なかった?」
オユンは自分の記憶を巻き戻す。
食堂へ行く前に、4日間着通していた服を脱いだ。
あのとき、首の感触に財布の紐はなかった。
「うわぁ」
失くしたのか。
「そもそも、わたし、この城にどうやって来たの」
オユンは自分の記憶をまき戻す特技がある。砂漠から、この魔導士の城に至る記憶がない。
「アルジが抱きしめて来た」
恥ずかしい映像が、オユンの頭に浮かんだ。
「……移動は馬車、とか?」
「アルジは黒雲に乗ってる」
(ファンタジぃ)
それでは、その行程で落としたにちがいない。
(あぁ)
オユンは気が重かった。自分は一文無しだ。ここから出ていけたとしても、すぐに路頭に迷う。お願いしなくてはならない。魔導士に。
「お金が欲しいんですけど」
(ストレート過ぎる)
「おこづかいをください」
(パパじゃないし)
「買いたいものがあるんです」
「必要なものがあるんです」
「月末までには返しますから、お願いします!」
だんだんと借金の申し込みみたいになってきた。
「財布を失くしました。もとはと言えば、魔導士さまのせいです!」
「
これも言った。
「一日の
ナプキンで口をふきながら、魔導士は形のよい眉をひそめた。
(
オユンは思わず笑顔がひきつる。
「意外と文句が多い」
ふぅ、と、ため息をついて、魔導士は長い食卓の真ん中あたりに視線を落とした。長い食卓の短い辺に、ふたりとも座っているのだ。
オユンの胸にさざ波が立つ。
(失望した? いや、これはチャンス! この波に乗って、『
「……」
言葉を待つ。
「——おまえ」
魔導士の
(キタ)
「わたしのことはシャルと呼べと言ったはずだ」
出て行け、じゃなかった。
「そうでした」
「……」
待っている。これは待っているゆえの沈黙だ。
「……シャル」
オユンは小さな声で呼んだ。
ぱっと、魔導士の顔に日差しのような輝きが浮かんだ。
わかりやすかった。魔導士は、シャルという男は、わかりやすかった。
ものすごく、ご機嫌になった。
(どうしよう。うちで飼ってた犬よりわかりやすい)
「長いこと、この城には
おもむろに、魔導士の背にした飾り棚の置物のひとつ、フレスコ画を
じゃらじゃらと、くすんだ硬貨が出てきて小山となった。
(釣銭を貯めとく派⁉)
小山から適当な貨幣を1枚、シャルは手に取るとオユンのところへ来た。
「これで好きなものを買うといい」
「……すいません。これ、いつの時代の硬貨ですか」
オユンは、右の手のひらにのせられた貨幣を見て困惑した。見たことのない貨幣だったのだ。
「あの、あの、わたしが見てもいいですか」
オユンは席を立つと、長テーブルの上の硬貨の小山へと駆け寄った。そして、腰をすえて硬貨をしらべはじめた。
結果、今の時代で即使えるのは、おそらく一握りしかなかった。
「今度、街の古物商にでも鑑定してもらったらどうでしょうね」
「——それは、わたしと街へ出かけたいと誘っているのか」
「誘ってません」
「——
「選ばなくていいです」
この男は妄想でできているのか。
「まぁ。ある意味、魔導とは
家令は言った。
オユンは家令を頼ることにしたのだ。シャルよりは、わかってくれるかもしれない。
シャルが風呂へ入っている間に、こっそり話に行った。
一握りの小銭では、セットになった胸バンドとショーツは買えない。
家令の私室は、食堂と同じ低層階にあった。
振り子の柱時計。ロッキングチェア。暖炉。チェックのひざかけ。
おばあちゃんの家を訪れたときのような
家令はロッキングチェアに座ってチェックのひざかけをかけて、くつろいでいた。
「申し遅れましたが、わたくしはハッロ・レカェケムと申します。シャル・ホルスさまのお父上の代から仕えております」
オユンは、パッチワークのクッションが置いてある濃茶の木の椅子をすすめられた。
「少しお話いたしましょう」
家令は、ふぅと長めのため息をついた。
「さて、オユン・ツァガントルー嬢。あなたは今、困惑し
あ。この人、校長先生タイプかも。ふと、オユンは
「想像する力が大きいほど、魔力が増大するのです。ですから、わが
何気に、子供には聞かせられない内容を含んでいる。
「その根回しは見事に空回りいたしました」
家令の瞳の色は近くで見ると、暗い灰色だった。曇り空のようにアンニュイなのだ。
「なるほど」
よくわからないのに神妙な顔で相づち打ってる自分は、なんていいかげんなんだろう。オユンは思った。
「シャル・ホルスは、あなたの銀の針に金の糸を通した——」
家令の言い回しは詩的だった。
「宿命の相手ならば、一生を添い遂げられることでしょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます