氷結魔導士のはやすぎるいろいろ

９ 一文無しだった

「銀針（ムング・ズー）の日女（ひめ）のことは忘れてくれとは」

　寝台で右ひじついて横寝した、ま裸な銀髪男が、ひとりで納得しかけている。

「そんなことは言っていない」

　オユンは全否定する。

「心配せずとも放り出しはしない」

　いや。むしろ、放り出してとオユンは願う。

「ご心配ありがとうございます。でも、わたし、この年までひとりでやってきたので、これからだって大丈夫なんです」

「強がりを言うのだな」

　どうしよう。言葉が通じない。オユンは頭を抱えた。

（今さらながらこの男（ヒト）、最初から思い込みで動いていたものね）

「わたしは金杭（アルタンガダス）に嫁ぐ十二日女（じゅうにひめ）に一生使える約束で、支度金を実家が受け取っているんです。帰らないと、その金が取り上げられてしまうかもしれません。だから金杭（アルタンガダス）に行かなければ」

「金杭（アルタンガダス）に行って、十二日女（じゅうにひめ）をさらい直して、おまえを置いていけとでも」

「いやいや。それじゃ、わたしの職場、消滅してるでしょ」

「その十二日女（じゅうにひめ）は、もう既婚者ということだろう。既婚者をさらうのはいかんだろう」

「そこは道徳心がはたらくんですか——」

「失礼します」

　コンコンと部屋の扉がノックされた。

　あわてて、オユンは寝具を頭からかぶって、寝台に突っ伏した。

「朝食をお持ちしましたよ。もはや夕食の準備の時間ですがね」

　家令だ。

「ノイが、おいしいパンを持ってきたヨ」

　朝食の用意がととのえられたワゴンを押しているのは、ノイだ。

「何か報告があるなら食べながら聞く」

　魔導士は寝台から起きあがった。

　すかさず、家令が椅子に無造作に置かれていた黒い長衣（ローブ）を、その肩にかけた。

「本日は特に緊急の要件はございません。ごゆっくり」

　その『ごゆっくり』には、いささか、（失笑）のニュアンスが含まれていたような気がする。

　オユンは寝具の中から聞いていた。

　家令が退出して行ったところで、「おまえも食べろ」と、魔導士に、ばっと寝具をはがされた。

　うすく悲鳴をあげてしまった。

「おいおい、朝から」

　シャルの声もうわずった。

「もう昼だって！」

　オユンは必死で寝具をとりかえす。

「とりあえず、わたしのチュニックを着ておけ」

　白い男物のシャツを投げて、よこされた。

　ノイは残っていて、持ってきたポットのミルク茶を、ワゴンの上の二つのマグカップに注いでいた。平和な甘い香りが立ちのぼってくる。

　ワゴンに机の椅子を寄せて、シャルは座っていた。朝ごはんは、パンとやわらかなチーズとミルク茶だ。

「……」

　オユンは黙って言うことを聞くことにする。寝具を頭からかぶったまま、もそもそとチュニックを手元にたぐりよせた。

　襟ぐりを細いひもで絞るデザインの白シャツを、頭からかぶる。身長160センチほどのオユンが着ると、おしりが、すれすれかくれる丈（たけ）だ。

　寝台に膝立ちしたオユンの後姿を見た魔導士の口元から、食べかけていたパンが床に落ちた。

「その恰好は——」

「す、すいません。着替えてきますっ」

　オユンは青ざめて、奥方の間へ帰ろうとした。

　その腕をつかまれる。

「いやっ。そのままでっ」

　寝台に座らされる。

　魔導士がワゴンを近寄せる。

　シャルはオユンと同じように寝台に座る。

　魔導士が座った場所が体重でへこみ、オユンは、そっちへ傾いて、お互（たが）いの肩が触れた。

「！」

　お互いが飛びのいた。

（な、な（何）。この空気感。宮廷教師採用試験のときより緊張がハンパない）

「オユン・ツァガントルー」

　横並びに座っている魔導士に名を呼ばれた。

「は、い」

　オユンは汗ばむ両の手のこぶしを、膝（ひざ）の上でにぎりしめた。地中から湧き出る温泉ぐらいには熱くなっている。　

「わたしはウルグンを祖とする、大ヤム・チャールの孫、シャル・ホルス。氷結の魔導士と呼ぶ者もいるが、おまえはシャルとだけ呼べばよい」

　そう言うと、魔導士は自分の部屋なのに急いで身支度して出て行った。

　残されたのは、オユンと山盛りのパンだ。

　食事はそこそこに、オユンは自分にあてがわれた奥方の間に戻った。

　とりあえず服を着替えようとした。

　長櫃（ながびつ）を開けてみた。初見で思ったが、服のデザインが一昔前である。

　この城では時間が止まっているのかもしれない。

　コルセットを着用しないと、さまにならない形のドレスは式典にしか着たくない。

　オユンは体をしめつけない服が好きだ。

　とは言っても女は、乳房は前に張り出し腰まわりは贅肉（ぜいにく）がないのが理想である。理想のために、コルセットを着用するのは乙女心というものだろう。

（あ～、胸バンド～）

　今さらながら悔やまれる。さらってくれるなら、荷物もさらってほしかった。新天地での生活のために新品の胸バンドとお尻を持ち上げるショーツ、用意していたのに。

（いや。厳密には、わたし、胸バンド、そんなにいらない体型だけどね。だけどね）

「奥方。困りごと？」

　気がつくとノイが天蓋（てんがい）のカーテンの陰から、こちらをのぞいていた。

　いつの間に。

　精霊は気配がない。

　どうしてだろう。オユンは、あまり驚かない。

　子供のころには視（み）えていたせいか。

「下着の替えがなくて」

　恥ずかしげもなく相談してみた。

　精霊とは、見た目に年齢と内面が釣りあわない種族だ。

　一説には、〈見たいように見える〉のだという。

「着替えの入った鞄を馬車に置いてきてしまったの。だから、その。このあたりに、そういうものを扱っている店とか」

　言いながら、オユンは窓の外を見た。ここからは空しか見えない。窓辺に寄れば、荒涼とした岩山が連なっているのが見える。

「なさそうだけど。そのお買い物とかはどうしているの。この城は」

「カレイ（家令）が買い出しに行くヨ」

　いやいやいや、あの家令に、女物の下着とか頼めないだろ。

「ふもとの荘園の差配人に頼むヨ。荘園の村には行商人が来る」

　それだ。山脈の間の谷地に村があるのだろう。

「行商人は、いつ来るの」

「そろそろ」

　そうか。１週間くらいなら、下着１枚でもがんばれるか。

（行商の人が来たら買い物しよ）

　と考えてから、オユンは自分の財布がないことに気がついた。