第5話
学生アパートの最寄駅で下車すると、空では一番星がオレンジと紺の境目で白く主張していた。フォードと私は心地よい無言を引き連れて、さらりと爽やかな風を浴びながら15分ほど歩いた。ようやく共有玄関のドアを背後で閉めたときには、知らずのうちに貼っていた気が抜けて安堵のため息をついた。
共有廊下をゆるゆる歩いていると、キッチンから出てきた管理人であるアンドロイドと目が合った。侵入者を確認しに来たらしい彼女に会釈をした。少々訝しげな赤い目でフォードを見つめる管理人の視線を意図的に無視しつつ、私はフォードの手を引いて足早に階段を登った。アンドロイド同士、何か思うところでもあったのだろうか。
* * *
「そういえばフォード、夜はどうする?」
自室に戻り、適当なスウェットに着替えたフォードと私はベッドに並んで座り、テレビをつけたら偶然放映していたゴールデンタイムにふさわしい無害なコント番組を見るともなく見ていた。ツインテールを解いたフォードは少しだけ落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
「夜……そうだね……」フォードは袖口に少し隠れた人差し指を顎に当てて、考えるような仕草をした。フォードに貸したネイビーブルーのスウェットは少し大きかったようだ。150cm程度しかない私にはレアな体験で、これにはさすがにキュンときてしまった。それからうっすらと頬を赤らめて(技術はここまで進化していた!)はにかみ、「コハルが望むなら私は……」
会話があらぬ方向に逸れ始めていることに気づき、私は慌てて軌道修正を試みた。
「違う、そういうことじゃない! 夜は起きているとか、眠ったフリをするとか、充電が必要だとかそういうことだよ。私は眠らなきゃならないけど、フォードにはその必要がないから選択肢がたくさんあるでしょ?」
「そういうことね」フォードはさっと顔色を戻して言った。「私のバッテリーは半年は充電しなくとも持つし、確かに眠る必要もない。だからってコハルが相手してくれないなら特にすることもないし、私はソファでじっとしてるよ。省電力モードでね」
ベッドとソファの位置関係からして寝ている間ずっと見られることになるかと思うとあまり気は進まなかったが、アンドロイドだからと言って一晩中そこら辺に立たせておくのも気が進まない。他にどうしようもなかった。
「わかった」私は言った。「もし退屈だったら雑誌とか小説はデスクにたててあるから。君なら暗くても赤外線で読めるかな」
「まさか、そんな」フォードは笑った。「コハルと同じ空間にいて退屈だなんて」
正直、ちょっと怖いと思った。
* * *
夕食を冷蔵庫にあった冷凍グラタンで適当に済ませて風呂に入り、普段なら残りのタスクは寝るだけなのだが、今日はベッドの上でモバイルを手に頭を悩ませていた。
ヒナノに提出するレポートに書いておきたいことが多すぎて、うまくまとまらないのだ。距離が驚くほどに近いこと、会話はかなりスムーズであること、それと彼女の嫉妬心は可愛いと呼べるラインをギリギリ超えているのではないかということ。
うんうん唸って散々迷い、結局レポートという形式は諦めて日記のようなものを書くことにした。私は記憶を遡り、私とフォードの過ごした時間とそれに対する感想を考察などは抜きにしてテキストに打ち込む。
形式を変えただけで、テキストを打ち込む手はすらすらと進む。やはり、1つのレポートにいくつもの伝えたいことを詰め込むのは無謀だったのだ。
日記のようなレポートを30分ほどで仕上げてヒナノに送信し終えると、頃合いを見計らったようにソファで映画誌を弄っていたフォードが立ち上がった。
「そろそろ寝る?」
「あー……うん、そうだね」私はモバイルで時刻を確認する。22時18分。「ちょっと早いけど、今日は新しいことがいっぱいで疲れちゃったから」
「そっか」とフォード。「私が電気消してあげるね」
その言葉に甘えて、私は枕に頭を乗せた。フォードがヘッドボードの上あたりにあるスイッチを押し、パチン、という音と共に光が消えた。
「良い子でおやすみ、コハル」
慈しむように柔らかい唇が前髪の上にそっと落とされた。
2時間ほどが経過して浅い眠りから深い眠りに入りかけた頃、むき出しの金属が擦れる甲高い音で目を覚ました。
半分眠った頭の中で犯人はフォードだろうと、「フォード」と暗闇に話しかけた。
目が慣れてきたのか、ソファの前に立つ人影が見えた。間違いなくフォードだと思った。しかし彼女は返事をせず、代わりにふふっと小さく笑った。
「どうして起きてるの? コハルは悪い子? ……ああ、そっか」フォードはまた笑い声を漏らし、「そうじゃないなら、私といるのに他の女の子と楽しそうにお話しするはずないよね」
ぼんやりと浮かぶ黒いしみのようなシルエットに、不気味な赤い光が2つ灯る。
「コハルも気づいてるんでしょ?」赤い光が少しずつ強くなり、フォードの手元と金属音の正体が辛うじてだが見えるようになった。「私、機嫌は直したけどまだお昼のこと許したわけじゃないよ」
フォードの手に行儀良く収まった白くて陶器のようにつるりとした、ドーナツよりひとまわり大きい一対の輪が赤色を鋭く反射する。それは警察のアンドロイド部隊が使用する手錠だった。
心臓が大きく冷たい鼓動した。私は考えるよりも早く枕元で充電していたモバイルをひったくり、一も二もなく自室を飛び出した。
恋愛アンドロイドの過剰な愛情 佐熊カズサ @cloudy00
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