第8話 痕跡

 まだ朝九時台だというのに、表通りはひどく暑かった。

 僕は母に頼まれて、日用品を買い求めに近所のスーパー「花マート」へと足を運んでいた。

 家から南側にある二車線道路を挟んだ対岸、横断歩道を渡った先にあるその店は、もともと付近にあったという大型スーパーが撤退し、敷地がパチンコチェーンに売却されたのと入れ替わりに営業を開始した。もうかれこれ十年以上になる。

 

「えーと、水出し麦茶のパックに、牛乳と……豆腐はこのメーカーで良かったっけな?」


 僕は母から渡された買い物メモを見ながら、店内を歩きまわって必要な品物をそろえた。あいにくとナスだけは、ヘタの切り口がしなびている上に皮がひどく分厚く硬くなったものしかなく、買うのを諦めた。

 

 会計を終え、買い物袋を提げて店を出る。さて、帰りはどの道順ルートで戻ったものか。

 そろそろ日差しが高くなって、暑さが加速する時間帯。出来ればほどよい木陰や、ドリンクの自販機があるところを通って帰りたい。そんな気持ちのままに足は来た時とは逆方向、一つ東の横断歩道へ向かった。スーパーの西側にある小道から出て角を右に曲がる――


(――あ、そうか)


 頬を日差しにじりっと炙られて臍を噛む。

 その曲がり角には件の、藤宮幸一氏の野菜無人販売所があった。本来ならここで木陰を得られるはずが、植え込みは既に半分がた焼けてしまっていた。

 未だにいがらっぽい臭気の経ちこめる焼け跡には、消防署の名前が入った幅広い黄色の立ち入り禁止テープが掛け渡されている。


 ここがダメなら次に向かうべき日陰は横断歩道を北へ向かった先の、信用金庫の敷地に植えられたピラカンサの生垣だ。その場を足早に立ち去ろうとした刹那、方言丸出しの鋭い罵声が耳を打った。


 ――んしどま、何ば人ンかたの地所にゴソゴソひゃり込もうてしよっとか!!


 はっとして声の方へ振り向く。そこには髪をごく短い角刈りにした中年の男が、大型のスコップを振りかざして、畑と歩道の境目に寄り集まった数人の人々を威嚇しているようだった。

 その集団を見るのはこれで三度目だった。白法被に白いノボリ旗、猛暑の中にあっても依然羽織ったままの、ビニール雨がっぱ――「応現雷天院」のたちだ。


「私たち応現雷天院は探仏行脚修会を行い、白光童子様を尋ね歩いています。童子様が確かにここにいらっしゃったはず……どうか、一時いっときだけでも探索のご許可を」


 一行のリーダー格らしき長身の中年男性が、頬に汗を伝わせながらそう答えた。だがスコップの男はさらに高々とスコップをかざし、語気を荒げた。


 ――ふっざくんな! 何が「おうげんらいてんいん」か、得知れんこつば……! 出ていかんと警察ば呼ぶぞ!


 斬りつけんばかりにスコップを振り回す中年男の剣幕に、巡礼者たちもさすがにたじろいだ。


「ああっ、危ない……! 解りました、出ます、出ていきますから!」


 リーダー格の男が早口でそう言いながら、身をかわし気味に頭を下げつつ後ずさる。歩道へ戻った彼らはそこから小走りになり、駅のある南の方向へ曲がって姿を消した。

 一部始終を見ていた僕もホッとして、横断歩道へ向かって再び歩き出したのだが。


(白法被はいうまでもなく怪しかったけど……今のおっさんもおかしかったよなあ?)


 年恰好は僕の父より一回り上くらいに見えた。多分、無人販売所を営んでいた藤宮幸一氏の血縁者あたりではないか。火災現場に不法に立ち入ってまで、スコップ片手に何をしていたのだろう?

 現場には立ち入り禁止の表示がなされていた――つまり、今はまだ消防が火災原因の特定のために現場の保全を要していて、職員以外は地権者であっても許可なしで立ち入りできないはずなのだ。


(まさかと思うけど……あの火事って失火じゃなくて、とか……)


 不穏な想像が頭の中で膨らむ。それと同時に――


応現雷天院おうげんらいてんいん、だって?)


 埴山の路上であのノボリ旗を見たときは、視覚で文字の形を認識しただけだった。だが、音声を伴って頭に入ってくると、それは頭の中で、全く関連性がなさそうだった別のものに結び付いた。


 それはあの、伯父が聴取していたドイツのラジオ局を運営する宗教団体とほぼ同じ響きだった。 


 ――AugenReiten religiöse Körperschaft。


 ドイツと日本、距離的にも遠く離れ、文化的にも共通性の乏しい二つの地域で、別々に創設された団体がこうも似た名前を冠する――偶然にでも、起こり得ないことではないが、不自然だと感じる。もしかして、伯父はなにかひどくおかしなことに巻き込まれていたのではないか。


 昨晩ラジオから聞こえたあの奇妙な声のことも思い出され、僕は木陰伝いに進むことも半ば忘れて足早に家路をたどっていた。

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