第7話 屋根の上と下
(なんだ、今の声……!?)
確かに、ラジオからだった――そう思えた。それと同時に、僕は奇妙な直観に思考をつかみ取られていた。
いや、冷静に考えれば荒唐無稽であるはずなのだ。窓の外の何かと、たった今耳にしたラジオの声を結びつけてしまう、などということは。 だがその時、僕の中でその二つは不可分のものとなってしまっていた。
窓に向かって飛びつくように身を躍らせる。近所には二階建ての家が多く、部屋の窓には目隠しのためカーテンがかかっていたが、僕はそれをサッシ窓もろとも思いっきり乱暴に引き開けた。
「――誰だ!!」
怒声と共に外の宵闇に向かって目を凝らす。だが、その時にはすでに、屋根の上の何かはその場から移動してしまっていたらしい。窓から見える範囲にはとりたてて何も見当たらず、そうこうするうちに隣家の庭あたりで藪をかき分けるような音が聞こえた。
――どうしたの、隆弘?
階下から母の声が響く。
「な、何でもない!」
――夜中に大きな声を出さないでねえ。ご近所に迷惑だから。
「……あ、うん。ごめんー」
務めて明るくそう答えた。ラジオの音はまた砂を炒めるようなホワイトノイズだけに戻り、音量も小さくなっている。だが僕はまだ心臓がばくばくと跳ね動くのを感じていた。
(猫とかじゃなかったよな……絶対違うよな……)
さっきの何かが動く音は、もっと重く、それに何やら湿り気を帯びた感じの音だった――開け放した窓を、僕はあわてて閉めなおした。得体のしれない何かが窓から部屋に入ってきたら、と思うとそれだけでひどく気分が悪くなってきた。
それに加えてあの「声」だ。あれはたしかに僕の名前を呼ぼうとしていた。そして――
その先の考えを頭の中で言葉にすることに、僕は激しい抵抗を覚えた。それでも一度動き出した思考はもう止められず、僕はとうとうその何とも薄気味の悪い解答に向き合うしかなくなった。
「伯父さんの声、だったよな……」
――ノイズにまみれて歪んでいたが、あの声は確かに知明伯父のものだ。骨格と声帯が作り出す響きと、特有のリズム感。よく知っている人間のそれは、たとえくしゃみの音だけでも用意に判別がつくのだ。
だが、なぜそんなことが? 伯父は死んで一年近くになる。まともに考えれば絶対にあり得ないはずだ。
机の上のスカイセンサーに視線を移す。たとえばこれが仮にラジオではなくテープレコーダーなどであれば、カセットテープにあらかじめ吹き込んでおいた伯父の声を発することはできるだろうが――ばかげている。どの途ボタンを押さなければ再生は始まらない。そしてこれはラジオだ。
訳が分からなくなって、僕はそのままベッドに倒れ込み夏物の薄い毛布をかぶった。寝る。なにも考えずに寝る。それに限る。
懸命に目を閉じて余計な考えを頭から追い出そうとしても、頭の芯が妙に活性化した感じになってなかなか寝付かれなかった。
* * * * *
翌朝の寝覚めは良くなかった。ぼんやりしながら洗面と食事を済ませる。
食後に僕が食器類を洗っていると、新聞を見ていた母が小さな声を上げた。
「あぁ。昨日の火事のことが載ってるみたいよ」
「あ、見せて」
母の方に手を差し出して新聞を受け取ろうとするが、母は老眼鏡を持ち上げてさらに紙面に顔を近づけるばかりだった。
「なに、これ……」
もともと目つきの厳しい人だが、母がこうまで眉をしかめているのは珍しい。
「どうしたんだよ。見せてって」
「あ、はいはい」
目的の面を開いたまま、母はその地方紙を程よい大きさに畳んで僕に手渡した――昔の漫画に出てくる、満員電車のサラリーマンじみた手さばきだ。
紙面には――
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――野菜販売所の中から出火し、テント小屋や仮設ガレージを全焼、駆けつけた
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「んっ? なんだこれ」
「変よねぇ。あんたもそう思うでしょ」
僕もその文面の異様さに気が付いた。こんな変な記事が、よくチェックを通ったものだ。
「藤宮さんの――幸一さんって名前だったのねえ。ずっと独身だったし、あそこには一人で寝泊まりしてたみたいなのよ」
「……今の季節、あの時間にあそこに寝てたら火事に遇わなくても死にそうだけどさ」
野菜販売所に冷房設備があるようには思えなかった。屋根はポリカーボネートの波板とか、壁は廃材やブルーシートのごたまぜだったから、あそこだけで完全に独立して生活を営めたはずはない。だが、藤宮さんはそこで死んでいた。
記事を見る限り、あの現場には遺体が二つあった、ということになるが――ミイラ化ってどういうことだ。
「うーん。これ、ただの火事じゃないよな……失火だけじゃなくて、なんか事件性ありそうだ」
「ほんとねえ。あんた、不用心だから暗くなってから出歩かないようにしなさいよ」
「うん」
昨晩の出来事に対する不穏な印象も影響したのだろう。普段なら一笑に付すはずの、母の心配性な忠告が、今朝はむやみに胸に響いた。
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