第4話 スカイセンサー5500
良い店だった。時間のわりに人が少なく、座敷席は畳がだいぶ日に焼けて古びていたが、油ものの店にありがちなテーブルや柱のベタつきなどはなく、空調が程よく効いて安心感がある。
山菜を多用した天ぷらの揚がりぐあいもなかなかのもので、僕と香苗はおおよそ一時間ほど食事と思い出話を楽しんでから、個人営業だというその店「菜種」を後にした。
「ナス天が美味かったなあ。また来たい」
「ふふっ、ごめんねえヒロ兄、奢らせたみたいになっちゃって」
「いいっていいって」
さも何でもないことのように鷹揚に振る舞ってみせる。本当は、父から「軍資金」として二万円ほど渡されているのだ。母は眉をひそめたが、父は「親類で年上の男なら奢るのが当たり前」だの「女の子相手にはカッコつけて通せ」だのと自説を譲らなかった。
なんというか、実にバブル期に育った人の発想だなあと思うのだが、使途を指定されているわけでもないからまあ有り難く頂いておく。
埴山まで戻り、僕たちは改めて伯父宅の玄関をくぐった。
「へえ。意外と片付いてるな……」
香苗が福岡へ出てからしばらく、伯父は一人暮らしだったはずだが、余計なものの一切置かれていない廊下や整頓されたリビングは、そうした単身者の家にありがちな管理状態の劣化をまるで感じさせなかった。
仏間に入って蝋燭に火を点け、二つ折りにした線香をかざしてオレンジ色の熾火を確認してから香炉の灰の上に伏せる。ぴりっとした香りの煙がひと筋、少しくたびれた菊の仏花をかすめて立ち昇った。
――
口の中で不明瞭な念仏を唱えると、僕は早々にろうそくの火を手で扇いで消した。
「お父さん几帳面な人だったから……私の部屋の方が人に見せられない感じかも」
「そらぁ、駄目やんなぁ……」
クスクス笑いながら二人で奥の書斎へと向かう。そこに伯父の形見が、生前から置いてあるというのだ。
部屋に入ると直ぐにそれが目についた。樫材で作られたどっしりとしたテーブルの上に、正面サイズがB5判くらいのラジオと、紐で蓋を結わえられた贈答用ウイスキーの古ぼけた箱がある。
「ああ、これかあ。伯父さん、憶えてたんだな……」
ラジオには見覚えがあった。子供の頃、伯父がこの部屋で海外の短波放送を受信するところを見せてくれたことがあって、僕はかなり図々しくこれを欲しがってねだったのだ。
スカイセンサー5500――ソニーがかつて製造していた、高性能3バンドラジオだ。
「一九七〇年代の製品だって聞いたけど……まだ動くのかな?」
「動くと思うよ。お父さん、亡くなる少し前までそれ使ってたみたいだから」
「……すごいな」
僕がこれを初めて見た時ですらもう十年以上前になる。発売当初に買ったのなら、その時点ですでに三十年近く使っていたわけだ。電子機器には詳しい人だったし、何度かは自力で部品交換などもしていたのかもしれない。
手を伸ばして触れてみた。ヘアライン加工のアルミで組まれた筐体側面と、黒いプラスチック製の正面パネルの対比が、アナログな時代のメカニカルなセンスを体現している
筐体上面左側に設けられた丸いボタンを押すと、重厚な手ごたえと共にバネ仕掛けが働き、内部に収納されていたロッドアンテナの先端部分がバチン、と音を立ててポップアップした。子供の頃魅かれたのも何よりこのギミックが理由だった。
「じゃあ、これ貰ってっていいんだ?」
「うん。お父さんも喜ぶと思う。あと、その箱には当時のマニュアルと、あと何だっけ……『べりかーど』とかいうのが入ってるみたい」
「
「あー。私はその箱の中身、見てないのよ。箱に紐をかけたのはお父さんだから」
一緒に開けてみるか、と誘ったが香苗は苦笑いのような顔を作って首を横に振った。
「うちは私だけだったからさ……お父さん、たぶん何かヒロ兄とだけ共有したい秘密とかでもあったんじゃないかなって」
「……そういうもんかな。分からないじゃないけど」
香苗は長女だが、知明伯父の第一子ではないと聞いている。上にもう一人、僕が生まれるよりずっと前に幼くして亡くなった男の子がいたのだと。ふだん話題にしないせいで、その人の名前ははっきり思い出せなかった。
「……なあ香苗。今日はこれの事だけで来たつもりだったけど……この家に一人じゃ、色々大変なんじゃないか? なんか重いものの片づけとかあったら手伝うけど、どう?」
「あれ? 何よ、変にやっさしいなあ」
呆れたように笑うと、香苗は僕に背を向けて冷蔵庫を開けた。しばらく庫内を見回すと、何やらメモを取り始める。
「丁度いいや、さっきの天ぷら屋さんのもう少し先に、ちょっとしたスーパーがあるから買い物に連れてって。普段は自転車で行き来してるんだけど流石にもう暑いし、坂道もあるからねえ」
なるほど、それは厳しそうだ。
結局その後、件のスーパーまで一往復した僕たちは、日持ちのする大量の加工食品と、二日分くらいの生鮮野菜を買って埴山に戻った。
香苗は夕食を食べていくようにと誘ってくれたが、そうすると帰るタイミングをうっかり見失いそうな気がして――僕は四時ちょっとに帰途に就いた。
実家へ向かう車の中で、僕は忘れていたこと一つを思い出した。
(ああ……うちの近所の電波状態だと、このラジオもちゃんと受信しないかも知れないな……)
とはいえ、香苗にそれを告げても仕方のない事ではある。むしろ、思い出さなくて正解だったかもしれなかった。
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