第2話 遺品
程なくして父が帰宅した。そろそろ定年も近いが、今のところは市内にある私立高校で生物を教え続けている。
半白になった頭にメタルフレームの眼鏡を光らせていて、教壇よりは古い洋館の地下室が似合いそうだ、などといつも思う。
そんな父が夕食のカレーを口に運びながら、ふと手を止めた。
「――知明伯父さんが亡くなったのは知らせてたよな」
「……うん」
食卓が少し沈んだ雰囲気になった。一年ほど前に、父の長兄にあたる伯父が一人住まいの自宅で亡くなっているところを発見されたのだ。
「流行が一番ひどかった時に重なったからね。帰りようがなかったけど……伯父さんには悪いことしたなって思ってるよ」
伯父のことは好きだった。慕っていたという方が適切かもしれないが、何にしてもあのタイミングでは無理だった。
謝罪めいたことを言うと、父があわてて首を横に振った。
「あー、いやいや。そうじゃないんだ……実は、にい……伯父さんが何かお前に譲りたいものがあったらしくてな。帰ったら連絡してくれって言われてる――香苗ちゃんから」
「香苗が? 何だ、あいつ今こっちにいるの?」
香苗は知明伯父の長女で、つまり僕の従妹になる。
「福岡の女子短大に入ってたんだが、伯父さんが亡くなってから休学してるんだ。で、今は
「そうなんだ……じゃあ後で電話してみるわ」
香苗に最後に会ったのは、高二の冬。向こうは僕より一歳年下の高校一年生だった。色白で涼しげな目元とサラサラの黒髪が、印象深く思い出された。この帰省中に会えるのなら、それは楽しいひと時になることだろう。
「うん、あんまり夜遅くならないうちにな……そういえばお前、今回いつまでこっちにいる?」
「あー、特に決めてないんだ。ちょっとこの際ゆっくりしたくてさ」
実のところ、ほぼ夏休み一杯居座るつもりでいた。たぶん来年は来年で、夏場は就職活動にかかりっきりで帰る暇などないだろう。
「なんだ、帰りの旅費をたかる気だな……?」
「かはっ、バレたですか」
親子三人で顔を見合わせて笑う。こんな食事は本当に久しぶりだった。
母を手伝って夕食の片づけを済ませ、二階の自室に上がって一息入れた。洗い物にお湯を使ったせいで火照った体に、扇風機の風が心地良い。
さっそく埴山の伯父宅に電話を入れてみる。先日香苗から来た連絡は電話だったらしいし、回線はまだそのまま生きているということだ――ところが、僕のスマホからはいつまでも発信音が鳴らない。
「あ。またか。やっぱダメなのか……?」
夕食時に両親に聞いた話では、この電波障害らしきものは常時というわけではなく、不定期に前触れなく発生するのだという。一番対処しづらく面倒なパターンだ。
仕方なく階下に降りて、固定電話の子機を手に取った。
〈――もしもし? 鍜治です〉
受話器の向こうで、聞き覚えのある落ち着いた声が響いた。
「あ、夜分すみません。熊本の隆弘ですが――」
〈ヒロ兄? 香苗です、お久しぶりぃ……もしかして、今こっち帰ってきてる?〉
名のったとたんに、香苗の声がオクターブ上がった感じがした。こんなテンション上げ下げする子だったっけか。
「うん、今日帰ったとこで……」
〈よかった! 今年も会えないかと思ってたから……うち、来れるよね? 暇ある?〉
「ああ、うん。ちょっと長めにこっちいるから……親父から聞いてるんだけど、なんか受け取るものあるって?」
〈うん、そうそう! 迷惑かなってちょっと心配もしたんだけど、やっぱりお父さんの望みだったから〉
「分かった。そっちの都合のいい日に行くよ。俺一人で大丈夫かな……もしかして結構かさばる奴じゃない?」
気になっていた点を香苗に訊いてみる。伯父が何を呉れるつもりだったのかわからなかったが、あの家にはよくわからない昔の電子機器のような物がやたらとあるのだ。
五人ほどいた父の兄弟姉妹の中でも、知明伯父は父と同様学問への指向が強かったらしい。父とは違って教職にはつかず、電機メーカーでその興味と学識を生かす道へ進んだのだが、仕事で稼いだ資金をつぎ込んでいつも最新型のコンピューターや電子機器を家に置いていた。
僕もあの家に遊びに行くたびに、そうした機械類を好奇心と憧れ丸出しで見て回ったり、時々触らせてもらったりしていたものだ。
「そんなに大きくないから一人で大丈夫だと思うよ。さすがにバイクじゃ危ないと思うけど」
「あー、バイクは置いて来たから今はないよ」
なんとなく期待していた事のアテが外れたらしいと気づいて、ちょっとだけ気が抜けた――いや、パソコンは日進月歩だから、伯父が最後にあつらえたものでもさすがに型落ちなのは分かっているのだが。
すこし話し合った結果、二日後に埴山へ向かうことになった。朝の早い時間に出ることにしよう。晴れた日の日中は、車の中で冷房を使っていても腕が日焼けするほど陽射しがきつい。当日の天気次第ではあるが、香苗と食事をしに行く約束もした。
時間の余裕は多めに見積もっておくのに、越したことはなさそうだった。
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