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次の日、あたしの後悔は1日で終わった事を知る。あの子、美織ちゃんがまたお店に来てくれたのだ。
美織ちゃんと少し話すことも出来た。もちろん接客の範囲内で、だが。前日の様子を見て思っていたが、しおらしい霞とは違い、美織ちゃんからは快活な印象を受けた。
それからというもの、美織ちゃんは毎週末になるとお店に顔を出してくれるようになった。あたしは内心でガッツポーズをしながら、ウザがられない程度に積極的に接客をした。その中で、美織ちゃんについて分かった事がいくつかあった。この花屋から程近い駅ビルでアパレル店員として働いている事、生花店巡りが好きな事、映画が好きな事、好きな作品があたしと同じな事、家では趣味でスワッグを作る事。
あいまいだった美織ちゃんの輪郭が徐々にハッキリとして行く。そして美織ちゃんの事を知っていくごとに、重なりあっていた霞と美織ちゃんが分離して行った。そして全く別の人間として2人はあたしの中で存在する様になった。
けれど、あの子に霞の事を伝えるべきなのかはまだ分からないままだった。
美織ちゃんがお店に通ってくれる様になって1カ月程が経過した頃だった。
閉店作業を終えたあたしは疲れた体で店の戸締りを確認し終え、家路に向かおうとしていた。その時、店の横にある自動販売機の前に最近よく見る、家に帰ってからも思い浮かべてしまう顔がそこにはあった。
「あれ、こんばんは。こんな時間までどうしたんですか?」
美織ちゃんはハッとした様子でこちらを向いた。
「あ、こんばんは、ごめんなさいこんな遅くに」
少し逡巡した様子の後、真剣な眼差しがあたしを捉えた。
「あの! いきなりこんな事聞いて変かもしれないんですが……その、店員さん。……あたしのお姉ちゃんの事知りませんか?」
……え?
「な、なんでその事を……?」
「えっと、私、実はお姉ちゃんの事を探してまして……その、このお店の前を偶然通りかかった時に、店員さんを見かけました。で、その、うまく言えないんですけど、あなたを見た時にビビッと来たんです。この人ならお姉ちゃんの事を知っているんじゃないかって。それからこのお店に通う様になりました。——あ、花が好きだっていうのは嘘じゃないですよ。本当です。変な事言ってるって自覚はあ——」
「知ってる。霞の事だね」
あたしは美織ちゃんの言葉を遮る様にして言った。最後まで待てなかった。
「知ってるんですか⁉」
美織ちゃんは大きな目をさらに大きくした。
「うん。とても、とても良く知ってるよ」
あたしはそう言い、手首のスマートウォッチに視線を落とす。時刻は21時を回っていた。
美織ちゃんも姉である霞の事を探していた。姉妹の事を気にかけていたのは霞だけじゃなかった。その事に安堵し、嬉しくもなった。
だが、喜んでばかりもいられない。美織ちゃんはあたしと霞の関係性をどう思うのだろう、受け入れてくれるのだろうか。それと、1番の懸念点。霞はもうこの世にいないという事。この事を伝えなければならない。たった今、姉の手がかりをつかんだ美織ちゃんに対してこの事実を突きつけなければならない。その事にあたしは気が重くなるのを感じる。
「こんな時間だし、立って話すのもなんだから近くのファミレスに行こうか。そこで話そう」
「あ、はい! 分かりました」
美織ちゃんは笑顔でそう言った。よく笑う、笑顔の似合う子だな。そう思った。
——霞、あなたの妹、見つけたよ。
あたしと美織ちゃんは駅前のファミレスで話す事にした。
店から歩いて五分で着くそこは、深夜2時まで営業しているから、この時間からでも長居する事が出来る。
「よし、ここにしようか、ごめんね、お洒落なカフェとかが良かったんだけれど」
「いえ、時間も遅いですし、全然大丈夫です。入りましょう」
そう言った美織ちゃんの表情はどことなく固かった。
店内は思ったよりも空いていた。パソコンを広げるサラリーマンや、勉強中の様子の学生が数人いるだけ。空いているというより閑古鳥が鳴く店内だった。
あたし達は窓際の席に座り、適当に飲み物を注文する。オーダーをとり終えた不愛想な店員が去っていくのを見届けて、早速あたしは話し始めた。
「えーと、どこから話し始めたらいいかな」
そこで肝心な事を伝えていなかった事に気づいた。
「あ、そうだ名前を言って無かったね。あたしは亜美、
美織ちゃんがペコリと頭を下げる。
「私も自己紹介を、美織です。
よろしくねと言いあたしも頭を下げる。
「あの、亜美さんとお姉ちゃんはお友達だったんですか?」
いきなり核心を突く質問にあたしは少したじろぐ、しかし、ここをはっきりさせない事には話しは先に進まない。美織ちゃんには嘘は付けない。1から10まで美織ちゃんにはあたしと霞の本当の事を知って欲しい。それをどう受け止めるかは美織ちゃんに任せるべきだ。あたしは美織ちゃんの目を真っ直ぐに見る。
「あのね、びっくりさせちゃうかもしれないんだけど、霞とは友達じゃないの。——霞とあたしは恋人同士だった」
それまで波立っていた空気がスッと静まった様に感じた。静かな、少しの
だが、美織ちゃんから帰って来た言葉は意外なものだった。
「やっぱりそうだったんですね、何となくそんな気がしていました」
「……というと?」
左耳に髪をかけながら、美織ちゃんは言った。
「私もそうなんです。私も恋愛対象は女性です」
笑顔と左耳に光るピアスがまぶしかった。
空気がまた波立ち始める。
「お姉ちゃんとの話し聞かせて下さい! お姉ちゃんとの惚気でもなんでも聞きたいです!」
そういって美織ちゃんは身を乗り出して来た。
あたしは霞との日々を余す事なく美織ちゃんに語って聞かせた。どんなに小さな事でも教えた。美織ちゃんは全てを知る権利がある。美織ちゃんには全てを知って欲しい。その一心で。
話している間、美織ちゃんはずっと笑顔だった。時折相槌を打ちながら聞く美織ちゃんはとても嬉しそうだった。
「良かった……お姉ちゃん、本当に幸せだったんですね」
美織ちゃんは言葉をつづける。
「亜美さん。有難うございます。お姉ちゃんの事、最期まで幸せにしてくれて、想ってくれて、本当にありがとうございました」
目に涙を浮かべながら美織ちゃんはそう言い、深々と頭を下げた。
——まって、霞が死んだ事はまだ話してない。
「美織ちゃん……霞が亡くなってる事、知っていたの……?」
涙をぬぐった美織ちゃんは、溜まっていた思いを全て吐き出す様に一気に話し始めた。
「はい、親戚からそれとなく聞かされました。私とお姉ちゃんが離れ離れになったのは両親の離婚がきっかけなんですけど、お姉ちゃんは母に引き取られて、私は父に引き取られました。けど親戚ぐるみで仲が悪かった2人はそれっきり絶縁状態になりました。まだ幼稚園生だった私には出来る事が無く、1度も会えずに今日まで来ました。お姉ちゃんもそうだったんじゃないかな。そんな中、2年前ですかね、親戚が丁度家に来た時に、聞かされたんです。『霞が死んだ、もう葬式も全て済んでいるから』とだけ、お墓の場所さえ教えてもらえませんでした。」
そこまで話すと、美織ちゃんはコーヒーを1口飲んだ。あたしはその時初めて注文した飲み物が机に運ばれていたのに気づいた。あたしも頼んだコーヒーに口をつけたが、すっかり冷え切っていた。
「正直哀しさは余り感じませんでした。幼稚園の時に分かれて以来1回も会っていなかったですし、写真なども1枚もありません。記憶の中のお姉ちゃんの顔も
けど、その全く気持ちの籠っていない無機質な報せを受けた時、今まで感じた事の無い怒りが私の中に沸き上がりました。多分、私のお姉ちゃんの死をぞんざいに扱う態度に対しての怒りだったんだと思います。そこからです。本気でお姉ちゃんの足跡を探す様になったのは」
2年前って霞が死んでから7年後……⁉ 7年間も姉が死んだことを知らずに……? 葬式すら出る事が出来ずに、永遠に再開する事が叶わなくなったってこと……?
あたしの脳裏に霞の葬儀の時の映像が浮かんだ。
泣いている霞のお母さん、母方の親戚一同の顔。
どうにか……どうにかしてあげられなかったんですか?
いくら何でも……。葬儀が終わった後に死んだ事実だけ伝えて、どこに眠っているかも教えないなんて……。
けど、霞のお母さんにはとても良くしてもらい、霞との交際にも理解を示してくれたから決して悪くは言えない。
それだけにあたしの気持ちはぐしゃぐしゃになっていた。
コーヒーカップの取っ手を折るくらい強く握りしめ、下を向くあたしに向かって美織ちゃんは「大丈夫です。そんなに思いつめないでください」といった。
それから、美織ちゃんはコーヒーカップを持つあたしの手の上に、手を重ねて来た。温かさが皮膚から直接伝わって来る。その温かさはコーヒーカップを握りしめ、固まっていたあたしの手をほぐして行く。
頭を上げたあたしに美織ちゃんはこういった。
「お姉ちゃんの恋人が亜美さんで、本当に良かったです」
何かがこみ上げて来るのと同時に、視界がぼやけた。美織ちゃんの顔が良く見えない。下唇が震えている。
あたしは夜遅いファミレスの窓際で泣いていた。
ひとしきり泣いた後、あたしは少し落ち着きを取り戻していた。
「そうすると、あたしを見つけたのはほんと偶然だったんだね」
「いえ、そうでもないんです。以前に、この辺りでびっくりする程私に似た女の人を見かけた事があって、お姉ちゃんと私は双子だっていう事は知っていたので、あれお姉ちゃんだったのかな。だから探すとしたらこの土地だなっていうのはあったんです。そんな中、亜美さんのお店にたどり着きました」
——霞が導いてくれたのかな。
「あの亜美さん、お願いがあるんですけど」
あたしはそのお願いの内容の予想が付いていた。
「霞のお墓参りの事?」
「そうです! ぜひ、私を連れて行って欲しいです」
迷う必要はどこにもなかった。
「もちろん。一緒に行こう」
美織ちゃんは出会ってから1番の笑顔を見せた。その笑顔はあたしを照らす太陽の様だった。
そしてチャットアプリのアカウントを交換したあたし達は、チャットでお墓参りの日程を相談する事になった。その後、終電に乗るために急ぐ美織ちゃんと共に退店し、ファミレス前でそのまま別れた。
帰路につくあたしは、夜遅い道を歩きながら今日の事を思い出していた。
美織ちゃんとはどんな関係になるかは分からない。けど、あの子とならとても良い関係を築いて行けるような気がしていた。
見上げた空には都会とは思えない程の満天の星が煌めいていた。
恋人の遺した妹 彩羅木蒼 @sairagi
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