マチカドの夜空

花園眠莉

マチカドの夜空

 ここはマチカド。

どこにあるのか、何故ここに人がいるのか分からないそんな場所。

そこで考える青年が1人。


 彼は公園だったはずの場所にいた。ブランコに腰を掛け、足で揺らしている。

ここはどこなのだろうか。なぜこんなに栄えていた形跡があるのだろうか。そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。


 うつむいたままの彼に声を掛ける人がいた。

「隣に座って良いかな?」顔をあげると20代半ばぐらいの男性が彼の目の前に立って、柔らかな眼差しを向けていた。

「どうぞ。」その言葉に反応して隣のブランコがキイッと錆びた音を鳴らした。しばらく沈黙が続いた。


 「君の名前は?僕はレオン。」沈黙を破ったのは隣に座った男だ。青年は少しためらいがちに口を開いた。

「リオ。」相手の目をちゃんと捉えて、だが素っ気なく言った。レオンは少し驚いたような表情をした後、柔らかく微笑んだ。

「リオね。僕のことは適当にレオンとでも呼んで。せっかくここにいるんだ、少し話そうよ。」リオは彼を警戒することもなく頷いた。

「プライベートな所はどこまで聞いても良い?」

「答えられなかったら言うから気にしなくて良い。」お互いにタメ口なのはここにいるからだろう。ここにいるだけで常識など消えてしまう。


 「そっか、リオはなんでここに来たの?」

「分からない。ここに来てからずっと考えている。」大人びている顔立ちのはずなのに口をへの字に曲げているから幾分か幼く見える。

「君はそうなんだ。」

「レオンは違うの?」レオンの目を見つめて聞き返す。

「そうだよ。僕の場合は自分で来たんだ。」その言葉を聞いてリオは目をこぼしてしまいそうな程見開いた。

「そんな方法があるの?」信じられない言葉過ぎてつい前のめりになる。

「あるよ。けれど詳しいことは言わないよ。」笑顔でこれ以上聞くことを拒否された。


 「わかった。…ここってどこなんだろう。」街らしき面影があるし、頭を使えば電気を作ることも出来る。足りない物が多すぎるがそれでも何故ここにあるかわからない物も多い。

「昔栄えていた街とかかな。そもそも現実なのかな。」

「どうなんだろう。現実っぽくはない気がする。いや、でも変に現実っぽい。」リオは自分の言葉に迷いを見せながら話した。少し黙ったあと、更に続けて話し始める。


 「ここにいる人達はちらほらと見かけるけど共通点あった?」周りには2人以外いない。ただ、彼らはこの公園に来るまでに何人かとすれ違ったり話したりしている。

「今まで話した人は何人かいたけど共通点なんてあったかな。」レオンは顎に手を添えて考える素振りをする。リオはその姿をじっと見ていた。

「どんな人?別の人から見たら共通点を見つけられるかもしれない。」笑顔のない顔には真剣さが浮かんでいた。

「僕が話したのは3人。すれ違った人はもっといるけど見た目だけじゃ判断できない。1人目は女性。記憶が確かなら10代だったはず。底抜けに明るい印象だったけど直接話したことは、ほとんどなくて情報は無い。2人目は男性。1人目の女性と特に仲良かった人。1人目の女性が亡くなった時に少し話したぐらい。3人目はいわゆるオネエって人だった。いつも色んな場所を練り歩いて挨拶をして回っていたよ。ここから結構離れた場所だから最近は見かけないけど。」この3人の共通点を探そうと黙り込んでしまう。


 どのぐらい時間が経ったのだろうか。重たい空のせいで時間がわからない。

「わからない。1つの共通点とか絞れない。そもそも全員に当てはまる共通点とか無い。…今昼か?」唐突に話し始めたかと思ったら話が纏まらないまま口に出す。そんなリオを見て軽く微笑んだ。

「このあたりに来てから空を見ようと思ったことないから今気がついた。昼かな?前いた場所では分かった気がするけれど…ここはさっぱりだね。」

「ここってもしかして広い?」レオンの話している内容的に相当広そうだ。

「うん、多分ね。僕が歩いた感じ1つの街みたいだったよ。」そう言ってブランコを降り、木の枝を持つ。それにつられてリオも降りる。

「まず、僕が最初にいたのはここから北北東に進んだ場所にいた。この方位磁針が合ってるならね。」砂の上にサラサラと地図を書いていく。地図と言っても方位と今の場所と元居たであろう場所のみしか書いていないもの。この場所の全体を把握できていないから致し方ないであろう。

「休んだりとかも含めて歩いて5時間ぐらいの距離で着くよ。どうする?空を見に行く?」少し童心に帰ったような顔で聞いてくる。リオは少し考えた後目を合わせ頷いた。


 それからの行動は早かった。2人は最初から持っていた荷物は殆ど無かったためすぐに出発した。レオンは方位磁針を片手に、リオは小さなスケッチブックとペンを片手に北北東へ進んだ。

「水も食べ物もいらないって便利だな。」前を向いたままリオはぽそりと呟いた。半分独り言、半分はレオンに向けての世間話。レオンはちゃんと返事をする。

「そうかもね。でもさ、人間らしくないよね。」リオの方を見てケラケラと笑う。その姿を見て軽く目線を合わせた。柔らかく笑う姿とのギャップに驚いたが顔に出すことはなかった。


 2人は会話を途切らせながら、ただ進んだ。路上で寝る人を横目に交差点の真ん中を歩く。

「こんなこと普通できないな。」リオは少し悪そうに口角を上げる。レオンは笑った姿に驚いたが彼もまた顔に出すことはなかった。

「そうだね。でも、僕は深夜にやったことあったな。そんな大きな通りじゃないけどね。」そんな危ないようなことをする人には見えないため、尚更驚いた。

「なんで…やったの?」リオは真面目な青年だったため、やる理由が分からなかった。レオンはそんな姿を見て楽しそうにしながら話し始めた。

「世の中のルールにうんざりしてやってみた。少しだけスカッとしたよ。」またさっきの柔らかな笑顔を浮かべた。リオは穏やかな人でもこんな感情を抱くのかと少し安心した。

「レオンって思っていたより芯のある男なんだな。」少しだけ関係が深まったからなのか今度はリオが柔らかく微笑んだ。


 また無言で歩き続けた。相変わらず空は重たく今の時間帯はわからなかった。

「1回休憩する?」レオンが突然立ち止まって聞いた。

「どうしよう。早く空を見たい気持ちと休みたい気持ちが喧嘩してる。」最低限の言葉を並べていたリオが言葉を紡いだ。できるだけ正しく伝わるように彼なりに言葉を選んだ。人と共に過ごすだけでここまで心は変わるのだろうか。レオンはそんな人間らしいリオを見て少し暖かな気持ちになった。

「食欲はないのに疲れるもんね。ちょっとだけ休もうか。」リオはこのままだと迷い続けそうだったので決めやすいようにリードした。

「うん。」


 2人は古びたガードレールに腰を掛けた。古くても意外と丈夫で崩れることはなかった。

「レオンはさ、ここに来る前何してた?」珍しくリオの方から話しかけた。

「随分大雑把な質問だね。…でもそうだな、普通に働いていたよ。」フリーターではなく社員として働いていたのだ。

「大人だ。じゃあさ、世の中のこと憎んでた?」リオはお世辞にも綺麗とは言えない歪んだ笑顔をレオンに浮かべた。

「ん〜どうだろう。恨んでいないって言ったら嘘になるけど…それよりも人を憎んでいたからね。……僕は心が狭いから。」見えない星を見て呟いた。リオはそんなレオンをスケッチブックに描いていた。初めて見せた真剣な表情でいて、どこか楽しそうなそんな顔。紙の上を走る軽快な音だけが聞こえる。


 少し経ってペンが止まった。

「何をそんな一生懸命に書いていたの?」何となく分かってはいるが彼の口から聞きたかった。

「…レオン。」恥ずかしそうに視線を外して呟いた。リオはスケッチブックを握りしめながら突然立ち上がった。

「レオンもう行こ。時間無いし。」彼の照れ隠しが愛しくてつい笑みをこぼす。

「そうだね。早く夜空を見に行こうか。」


 また2人は歩き始めた。会話は相変わらず少ないが、何処か楽しそうだった。随分と長い時間歩いているが正確な時間はわからない。


 ふと、リオは空を見上げた。

「レオン、空、空だよ。」レオンの袖を引いて目を輝かせた。

「今、夕方なんだね。…綺麗だね。」リオの方を向いて話した。リオはレオンを見つめて笑った。

「うん、ありがとうレオン。ここまで連れてきてくれて。」2人は近くの公園を探して歩いた。歩き疲れてどこかの芝生に寝転がりたかった。


 少し歩いた先に芝生のある公園があった。2人は仰向けになって空を見た。藍色と夕暮色が混ざり始めた空だった。その色はここ最近で見た何よりも美しくマチカドとは思えなかった。

「疲れたね。」綺麗だねという言葉よりも先にこの言葉が出てきた。

「うん。」その言葉以上出なかった。


 「雲がかかっていないから星が綺麗に見えるね。」街灯のないこの場所は星がよく見える。

「うん。こんな多くの星を見たのは初めてだ。」


 数時間経っただろうか。満月が随分と高い位置に来た。公園には1人分の寝息のみ聞こえた。雑音は一切なく、とても静かだった。レオンは上半身を起こしてリオの顔を覗き込んだ。髪を少し掻き分けると幼さが見え隠れする顔がよく見えた。月明かりに照らされているリオは何故か神秘的に見えた。


 リオは静かに眠っている。レオンは静かにリオの上にまたがった。それでもリオは起きる気配がない。彼の白い首筋に指をゆっくりと這わせた。そして、レオンは戸惑いなく彼の首を絞めた。リオは息苦しさに目を覚ました。

「レオ…ン?」困惑したような声を漏らした。少し掠れた声が聞こえ起きたと気がついて柔らかな声で話しかける。

「リオ、起きたの?」満月に重なりレオンの表情は見えない。起きたとしても手の力を緩めることはない。

「……俺、レ、オンに、殺さ…れる、の…?いい、よ、レオ、になら。」泣きそうな、嬉しそうな顔をして納得した声で話した。レオンのすること全てを許してしまう彼はしなやかな美しさがあった。そして、リオはそっとレオンの手首に手を重ねた。


 重ねられた手から力が抜けるのを感じた。彼は、リオは死んだのだ。そのことに気がつくとレオンはリオを子供のように抱きかかえた。そして、リオを殺したことを実感した。まだ温かい死体が実感を消してくるが、握り返してくれない手が事実を物語る。自分より少し小さくて男性らしく骨張った手に指を絡め手を繋いだ。

「ごめんね、ごめんね、ごめんね。君を殺してごめん。なんで涙が止まらないんだろう。殺したのは僕なのに。」今まで人を殺しても何も感じなかったレオンが初めて泣いた。後悔やら懺悔やら寂しさが押し寄せて涙に変わった。何も感じないのは嘘だったようだ。彼は感情に蓋をすることが得意なだけだった。


 彼はここに来る前、両手で数え切れないほどの人を殺した。適当に見つけた人をその日の気分の殺し方で殺してまた次のターゲットを探す。異常者と言われる彼だが、彼には人を殺さないといけない理由があった。近くに死を感じないと自分が生きているかわからなくなってしまうからだ。周りの人達からは理解出来ないと思うがそれでも彼が人として生きるには誰かを殺さないと駄目だった。


 「なんでこんな悲しいんだろう、寂しいんだろう。リオぐらいの、年齢の子を殺しても…何も、何も思わなかったのに。ねぇ、リオ?」声をかけるが返事は帰ってこない。寂しそうに手を繋いでいる手とは反対の手でリオの髪をかき分けた。

「ねぇ、なんで…リオは、ここに来たの?もし…さ、こんな所じゃない場所で、君と出会えていたら僕は…君をこことは無縁の人にしたよ。…僕には君が必要だったんだ。そう、必要だったんだ。」そう言って彼の手におでこを合わせた。ここには1人分の呼吸しか聞こえなかった。眠りに沈む彼と心に雲がかかった男は暗い感情に溺れていた。それとは反対に空には嫌と言うほど綺麗な星が溢れていた。


 ひたすらに泣き続けていたレオンは夜が明け始めていたことに気がついた。時間のわかる空を少し恨むように見つめて溜息を吐いた。もう少しリオという存在を感じていたかった。それなのにリオ以外の余計な情報を空に伝えられ気分が落ちた。それでも朝は来る。レオンは気持ちを切り替えないと何も進まないと感じていた。しかしどこに進むかなんて何も決まっていないしリオがいない今何も考えたくなかった。レオンはこの辺りに、死んだ人の遺体を捨てる場所があることを思い出した。ただ広い谷底なのだがいつの間にか墓場になっていた。レオンはそこにリオを置きに行こうと思った。


 リオを抱えると見た目より少し重たかった。向かい合わせで抱きかかえる抱っこで運ぶ。力なく項垂れているリオを愛おしそうに見つめる。たった数時間、もしくは数日過ごしただけなのに親友のように、恋人のような存在だと感じていた。


 着いてからリオを置いて、周りの死体も整頓していた。周りの死体なんてどうでも良かったが何となく並べたくなった。

「おはようございます。」後から来た男性に挨拶をした。男性が担いでいる死体には見覚えがあった。

「その人、亡くなったんですね。」担いでる遺体を見てぽそりと聞いた。

「知ってるんですか?」すると彼は少し嬉しそうな表情を浮かべた。きっとここで一緒に過ごしていたんだろう。自分以外に存在を知ってくれる人がいたら嬉しいと思うなんてレオンは相手の立場になって物を考えていた。

「このあたりだったら有名ですよ。挨拶して回ってるオネエがいるって。」リオに会う前に見たことがあった。リオに話した人の1人だ。

「確かに、オネエってだけで印象深いですしね。しかもこの場所で挨拶してるとか変人ですもんね。」2人して声を出して笑った。どこか重苦しい空気をまとうマチカドでは珍しい光景だった。

「その人、預かりますよ。ちゃんと埋めておきます。」預かってリオの隣に並べる。別に何の意味もないが少し笑顔が零れる。


 死体を運んだ男は何処かへ帰っていった。谷底にはレオンと屍だけになった。リオを見つめてからレオンはリオのスケッチブックを手に取り、そっとページを開いてみた。風景画や知らない人が書かれている中、レオンの姿があった。リオが描いたレオンの横顔は困り眉ではにかんでいた。ガードレールに座って話していた時こんな顔をしていたのかと少し他人事のように感じていた。嬉しいのかどうなのかもあまり良くわからないまま自分の描かれたページを切り取った。スケッチブックはリオの腕に挟んで置いた。


 レオンはリオが描いてくれた絵をズタズタに割いて涙と一緒に風に渡した。それを持ち歩くにはリオの存在が大きすぎた。割いても何もなかったことにはならないがそうしないとレオン自身が落ち着かなかった。


 ここは待ち角。


誰かを、何かを、死を待つ所。


戸籍も、居場所も、立場も全て捨てた人しかいない。


レオンはリオに代わる誰かでもいいとは思えなかった。


だから彼はリオを待つ。いつまで待つとしても。

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