第14話 華妃の来訪〈二〉

 夜芽が迎えに出てから数秒もしないうちに、華妃が侍女を一人連れて現れた。入口の夜芽と梓春の後ろに控える芹欄、そして華妃の侍女はそれぞれ押し黙り、軽く礼を執る。


「あら、」


 梓春の姿を目にした華妃は、目を少し見開いて首を傾げる。

 これまた、綵妃とは種類の違う美しい妃だ。薄紅の瞳、ほのかに色付いた頬、牡丹の簪を挿してふんわりと結いあげた濡羽色の黒髪を後ろに靡かせている。

 その身に纏った襦裙の紅白の対照が麗しく、金の耳飾りも白い肌によく映えている。淡く透かした披帛ひはくは華妃の華やかさを際立てていた。


桃蓮トウレン、ごきげんよう。起き上がっていて大丈夫なの?」


 華妃が口を開く。随分と気軽な様子だ。


「ええと……その、私にもよく分からないのだけれど、身体が丈夫になったみたいで」

「まあ! それは良かったわ。今日までお見舞いに行けなかったけれど、あなたのことを心配していたのよ」


 梓春はなんとか自然に会話できそうな自分に安心する。「突然身体が丈夫になった」などという苦しまぎれの言い分も流してくれたようだ。


「その気持ちだけで充分よ。華妃こそお変わりはないの?」

「あら?」


 華妃は不思議そうに眉を持ちあげて此方を見つめる。しまった、何か失礼をしてしまっただろうか。


「華妃だなんて。以前は丹紅タンコウと名前で呼んでくれていたでしょう? せっかく同じ生まれ年なのに、他人行儀は嫌だわ」


 華妃そういって、拗ねたように口を膨らませる。危ない、呼び方を間違えていたか。

 それにしても、容姿からはややキツい印象を受けるが、華妃は存外お茶目な方なのかもしれない。


「ごめんなさい、丹紅。貴女に会うのは久しぶりだったから……」

「それもそうね。いいのよ、気にしないで。妖妖ヨウヨウ、アレをお渡しして」

「アレ?」


 妖妖と呼ばれた華妃の侍女は手に持っていた木箱を梓春の方へ差し出す。それを、芹欄が少し前に出て梓春の代わりに受け取り、また元の位置へと戻った。


「これは滋養のつく当帰とうき山樝子さんざしが入っているわ。役に立つといいのだけれど」

「ありがとう! なんとお礼を言ったらいいのか……」

「お礼なんていいのよ。けど、そうね……少し二人で話せるかしら?」


 華妃は梓春の後ろに立っている芹欄をチラリと横目で見ながら小声で囁いた。

 なるほど、妃同士の会話だ。当事者以外に聞かれたら困ることも多々ある。


「もちろん。ではお茶を……」

「構わないで、すぐに終わるから」


 華妃は、芹欄に茶を入れるように促そうとした梓春を遮る。


「分かったわ。芹欄、夜芽」


 梓春は二人に目線で目配せをすると、二人は奥に下がって言った。


「随分と警戒してるわね。まぁ主が毒殺されるところだったんですもの、当然かしら」


 華妃は手のひらを頬に当てて憂い気に呟く。それにしても、毒を盛られた本人を前にはっきりいう方だなぁ。


「桃蓮、本当に平気なの? 侍女からあなたが危篤だと聞いた時も驚いたけれど、あなたが蘇生したと聞いた時も、正直驚いてしまったわ。気を悪くしないでね」

「いいのよ」

「もう持たないと聞いていたから……貴女が生きていて本当に良かった」

「ありがとう。あたし自身も不思議なのよ? 典薬は奇跡だ、なんて騒いじゃって」

「ふふ、そうなのね」


 華妃が梓春の手を握って心底嬉しそうに微笑むのを見て、梓春はあたたかい気持ちになる。


「ねぇ丹紅。内緒で話したいことって何かしら?」

「……あのね、あなたの事件もそうだけれど最近の玲瓏殿は何だかおかしいわ」


 梓春が尋ねると、華妃は眉根を寄せて言う。


「何かあったの?」

「最近霊が出るって噂はもう聞いた?」

「ええ、女の幽鬼なのだとか」

「そう! 華幻宮の女官も"霊"ってのを見たそうなの。でも男だって言っていたから、噂とは別の霊かもしれないわね」

「本当?」


 梓春が霊の噂を聞いたのは今から約二週間前。

 宮中の夜道を一人で歩いていると、恨めしそうにした女の幽鬼が目の前に現れるらしい。しかし、男の霊が出るというのは初めて聞いた。


「それはいつの話なの?」

「女官の話によると、今日から三日ほど前かしら。夜道の影に黒い男が潜んでいたらしくて」

「三日前……?」

「ええ。それで昨日、主上の側近の方に、陰陽師に頼んではと提言したのだけれど、あいにく宮廷の陰陽師は来週まで不在だそうよ。間が悪いったらありゃしない」


 華妃はやれやれといった風に首を横に振って呆れを示す。金の耳飾りがしゃなりと揺れる。

 一方、梓春は"三日前"という箇所に引っ掛かりを覚えた。


「丹紅、その女官は他には何か言っていなかった? その霊が誰かをつけていた、とか……」

「いいえ。彼女、その男の影を見た瞬間怖くなって後ろに逃げ出してしまったらしいわ。見たのは黒い男だけよ」

「そうなの……」


 今日から三日前は梓春が襲われた日だ。もしかしたら、女官が見た黒い男は霊などではなくて、梓春を襲った刺客かもしれない。

 そう考えて尋ねたのだが、進展するような情報は無いようだ。


「桃蓮も何か見たの?」

「いえ、少し気になっただけよ。その男の霊について、また何か情報があったら教えてくれる?」

「ええ勿論。あなたも気を付けて。最近嫌なことがあったばかりだし……すぐにお見舞いに行けなくてごめんなさいね。あの事件の後、綵月宮は危険だから近づくなって侍女達に止められたのよ」

「いいのよ、あまり気にしないで」


 なるほど。この三日間綵月宮に誰も訪れなかったのはそういう理由だったのか。万が一、他の妃にまで害があってはならない。


「あなたとちゃんと話すのって何だかんだ初めてだけど、予想外に気が合いそうね」

「こちらこそ、今日は来てくれてありがとう」


 華妃は満足気に笑みを浮かべて、「それじゃあ、また来るわね」と手巾を振りながら出ていった。梓春もそれを微笑んで見送る。


「ふぅ、なんとかなるもんだ」


 妃同士とはもっと腹の探り合いのような冷たい雰囲気を想像していたが、案外普通の友人同士のような会話だった。

 華妃は綵妃を好意的に想ってくれているのだろう。心のうちの本心は分からないが。


「妙に肩が凝ったな……」


 まだ気を弛めてはいけない。今日はもう一人、綵月宮を訪れる方がいるんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る