第12話 綵妃の夢

 梓春は珱煌を見送った後、手前の萃門すいもんを通り、何とか奥の碧門へきもんまで辿り着いた。顔馴染みの門兵が二人立っている。我が友・夏月は居ないようだった。


 ふむ、ここで彼らに尋ねてみようか。碧門の門兵ならば、殆どの奴らは綵妃を見た事がないはず。先程記録帳消し策戦が上手くいったのだから、今回も大丈夫なはずだ。


 梓春はそうっと歩いて行き、眠たそうに欠伸をしている門兵に「あの」と声を掛けた。

 すると、門兵二人はビクリと肩を揺らして、驚きのまなこで此方を見る。こんな時間に声を掛けられるなど思ってもいなかったのだろう。


「ええっと、どうなされましたか?」


 背の高い方の門兵が尋ねる。梓春は余り親しくはないから、この男の名前を知らなかった。やはり、妃に対する礼作法がない。此奴は綵妃を知らないのだろう。


「人探しをしていているんですが、この碧門担当の梓春という門兵をご存知ないでしょうか?」


 梓春が二人に問い掛けると、二人は顔を見合せ記憶の擦り合わせをした。


「へ、梓春?」

「ああ、梓春といえば、確か二日程前から行方不明ってんじゃなかったっけ」

「そうだそうだ、夏月がすっごい焦った様子であちこち聞き回ってたよ」

「真面目な男だと思ってたんだがなあ……」


 そうから行方不明扱いになっているのか。

 梓春は手を口元に当てて考える。どうやら、夏月は梓春のことをかなり心配してくれているようだ。友情に涙が出そうになる。


「行方不明、ですか……夏月さんの他に梓春を探している人や、梓春の行方に心当たりがありそうな方はいましたか?」

「いいや、突然消えちまったもんだから、皆何も分からないみたいだ」

「そうですか……」


 結局、梓春の肉体が何処へ行ったのかは分からないままだった。死んだという情報が回ってないならば、亡骸は見つかってないのだろう。

 安堵すればいいのか、焦るべきなのか。せめて、あの刺客たちの正体が分かりさえすれば、強引に問い詰めることもできるかもしれないのに。


 梓春は門兵二人にお礼を言った後、碧門の外にある事件現場まで向かおうか迷ったが、それはやめた。夜道の中、武器は所持していないし、綵妃の身体では危険すぎる。


 梓春は衛兵に見つからないように、とぼとぼと帰路に着く。綵月宮の門前まで来ると、夜芽はまだ眠っていた。


 そんなことで大丈夫ですか、侍女さん。

 そうっと、夜芽の横を通り、門をギギギと押し開け、隙間を通ってなんとか宮内に入る。

 そして梓春は何とか部屋まで辿り着き、ほっと詰めていた息を吐いた。


「はぁ……つかれた……」


 慣れない身体と慣れない沓で歩き回ったせいか、全身が凝っている気がする。梓春はぐるぐると肩を回しながら考える。


 そういえば、綵妃が目覚めたのだったら、元々綵月宮に仕えていた侍従達は戻ってこないのだろうか。

 一度裏切ったのだから、恐ろしくて顔を見せることなどできないのかもしれないし、やはり綵妃よりも他の妃の方が見込みがあると考えて、他宮に留まっているのだろうか。

 まあ、少ないに越したことはない。その方が動きやすいし、侍女二人と話すので精一杯だ。


「今日はもう寝よう」


 相変わらずふかふかの布団にぽすりと身を預けて大の字に寝転がる。そして、深呼吸して、目を瞑る。やっぱりこれは夢で、明日目覚めたら元の身体に戻っていたりしないだろうか。


***


 夢の中で梓春は暗闇に立っていた。何故だかこれは夢だと分かった、明晰夢だ。


 そして、梓春と向かい合わせに女が立っている。そう、この女は綵妃である。

 頭痛がした時に瞼の裏に映った綵妃と同じく、向かいに立つ綵妃はしばらく無言でじっと梓春を見つめていた。


 梓春は「貴女は今私の身体にいるのですか?」と聞きたかったが、声もでなければ動くこともできない。

 綵妃は此方に向かって歩き出し、梓春の手を握って微笑む。桜の花のような人だ。梓春はそんな感想を抱いた。


「私はもう毒で死んでいるわ」


 そして、綵妃は目を細めて、可憐な声で言葉を紡いだ。

 梓春が「え?」と聞き返す間もなく綵妃は闇に溶けていき、梓春の覚醒も近いようだった。


***


「ん……」


 梓春はぼやけた目を擦りながら起床する。目の前に見えるのは桃色の天蓋。そうだった。結局今日もこの身体のままか……。


 煌びやかに飾られた部屋に変わりなし。梓春の身体は綵妃のままだった。それにしても。


「今の夢は一体何だ」


 梓春は確かに夢の内容を覚えていた。綵妃が放った台詞もちゃんと耳に残っている。


『私はもう毒で死んでいるわ』


 これは、俺の幻覚ではなくて本当のことなのか? そしたら、綵妃はもう死んでいて、やっぱり梓春の身体も死んでいることになる。これが夢枕か。

 もう今後は、俺が綵妃の代わりに生きていくしかないのだろうか。俺は元の身体には戻れないのだろうか。


 分からないことだらけで、今すぐ占師にでも診てもらいたい。占師でも分からないかもしれないが、そもそも非現実的すぎて梓春だけでは咀嚼しきれない。


「最悪な夢を見たな……」


 梓春は額に手の甲を乗せて、「はぁ、」と憂いをひとつ零した。

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