第11話 その名は珱煌〈二〉

「梓春? いや、すまない。私は聞いたことがないな」


 珱煌は申し訳なさそうに首を横に振る。やはり知らないか。


「貴女のお知り合いか?」

「ええ。私の友人なんですけど、二日前から連絡が取れなくて……」


 梓春は友人という設定で話を進める。


「ふむ。困っているのであれば私の方でも調べよう」

「えっ、本当ですか?」


 初対面の人間の手助けをするなんて、大変なお人好しだ。しかし協力者が増えるのは、梓春としても有難い。でも、どうやって連絡を取ろうか。


「ここで会ったのも何かの縁だ、遠慮はしないでくれ。そうだ、貴女の名は……っ!?」


 珱煌が言葉を紡ぐ最中に、カサカサッと叢と木々を掻き分ける音が侵入してきた。


「巡回か!」


 さらに、その反対側からタッタッタッと庭園の石畳を踏む音まで聞こえる。


「おい、誰かいるのか! 何をコソコソとしている!」


 衛兵だ……! しまった、そうだった。

 梓春が綵月宮を飛び出してからの時間を考えると、今は恐らく深夜一時、ちょうど衛兵の定時巡回の時間だった。

 

「やってしまった……」


 珱煌はガックリと項垂れている。梓春は素早く脳を回転させる。一体何処に隠れれば。挟み撃ちにされると逃げられない。


 いや、何故ここまで焦って逃げ隠れしなければならないんだ? 一瞬回って冷静になった頭は今までと逆の思考になる。

 ここは普通に衛兵と話し、「此処で涼んでいたのです」と言えばいい話だろう。よし、そうしよう。

 そう決心した時、もう衛兵の呼び声が間近に聞こえてきた。


「時間が無い! 珱煌は俺と椅子の陰に隠れてろ! ほらっ!」

「は……?」


 羽織っていた上衣で珱煌を覆う。背丈が大きいからとても納まっていないが、まあなんとかなるだろう。「おい、何だ急に!」と身じろぐ珱煌を押してしゃがませ、涼み台の影に押し込む。

 梓春は珱煌の盾となるように立ち、衛兵を待ち構えた。


「すみません、私は此処で散歩をして居ただけで「あれっ、綵妃様!?」……へ?」


 梓春は剣を携えた衛兵が木々の間から姿を現した瞬間、直ぐに口を開き謝罪を述べる、筈だった。あれ、この衛兵は今なんて言った?


「いやあ、すみません! まさか綵妃様だったとは……てっきり不審な不届き者がコソコソと何か企んでいるんじゃと思って」


 梓春より年下の若い衛兵は拱手礼で頭を下げ、もう一度梓春を"綵妃様"と呼んだ。

 それに続けて、石畳の方から向かってくるであろうもう一人の衛兵にきこえるようにして「おーい、此処にいらっしゃるのは綵妃様だ! 問題ない!」と大声で叫ぶ。


 梓春は顔がぴくぴくと引き攣らせて、「いえ……」と掠れた声を絞り出した。


 はは……最悪だ……。そりゃ顔が広いか、綵妃は妃だもんな。

 填油と侍女達の起こった顔がぽわぽわと脳裏に浮かんでくる。明日から綵月宮の門は固くなるに違いない。背後で蹲っている珱煌は驚いているだろうか。


「綵妃様が外に出られるのは大変珍しいですね。こんな夜更けに何を? お身体は大丈夫なのですか?」

「少し庭園の花を眺めながら散歩をしていまして……ほんとに少しですので心配しないでください」

「なるほど! くれぐれもお身体にはお気を付けてください、それでは私は巡回に戻ります」


 衛兵はビシッと姿勢を正して敬礼の構えを執り、道を引き返そうとした。


「あのっ! 私が此処に居たことは記録しないでくれますか……?」

「ですが決まりが……」

 

 梓春が呼び止めた衛兵は困ったように頭をかく。これは、押せばイケる……!

 梓春は両手を合わせて「お願いします」と懇願した。妃がここまで言っているのだ、一般兵は拒めないだろう。


 案の定、衛兵は「はぁ……わかりました」と頷いた。恐らく一体何故と疑問が浮かんでいるだろうが、物分りのいい若年兵はもう一度礼をしてから去っていった。


 ふふん、意外と何とかなるものだ。梓春は手を腰に当てて、得意げな顔をして見せた。


「綵妃」


 妙な達成感に浸っていると、背後から"綵妃"と呼ぶ声が梓春の高揚を破る。

 ギギッと、ぎこちなく後ろを振り向くと、珱煌が梓春の上衣を腕に引っ掛けて突っ立っている。


「へぇ、貴女が綵妃だったんだな」

「……いえ?」


 珱煌は手に持っていた上衣をそっと梓春の肩に掛け、呟く。

 その瞳には、梓春が隠していたことに対する怒りや不信感等は宿しておらず、予想外に落ち着いた表情をしていた。


 梓春はそんな珱煌に対して何も言うことができない。それに、妃と分かってなお、梓春に対してこんなにも堂々としていられるなんて。

 そこまで巡らせて、梓春は考えるのをやめる。いまは冷静な思考が無理だ。


「まさかこんな所で会えるなんて、抜け出してきた甲斐があった」


 むしろ、珱煌は目を細め、口角を上げて嬉しそうに笑う。

 梓春はその綺麗なさまに思わず見蕩れてしまう。男の梓春から見ても魅力的な奴だ。もし綵妃の中身が綵妃のままであったなら、ころりと落ちてしまっていたに違いない。


「あの、黙っていてすみません……」

「いいや、構わない。此方としても、貴女に言っていないことがある。それはまた後日にでもお伝えしよう」

「え、ええ」


 何か重要な事と後日の約束の決定が聞こえたが、あまりにもさらさらと流れるので、梓春はただ言われるがままに頷く。


「それより、貴女が元気そうでよかった。私を押し込んだ、先の行動は勇ましく、助かった。うん、このお礼もまた後日に渡そうか」


 珱煌は何やらひとりで「それはいい」などと呟きながら微笑む。


 梓春はハッとして、自分の行動を思い返す。何やらとんでもない無礼をしてしまったかもしれない。妃の身体で男の人を押したり、敬称なしで呼び捨ててしまったり。

 いやしかし、珱煌に怒った様子はない。ならば、ちゃんと謝ればもう問題はなさそうだ。


「先程はごめんなさい。その、慌てていて……珱煌殿は随分と姿を見られたくない様子だったから、せめて貴方だけでも、と思ってしまって……」

「ははっ、私は喜んでるんだ。それに、随分と畏まった様子だが、先程のように『珱煌』と呼んでくれても構わない」

「え、いや、それは」


 何だ、この男は。かなりの変わり者だ。梓春は『綵妃入れ替わり事件簿』脳内フォルダに入れた珱煌の欄に『変わった奴』というレッテルを貼る。

 そんな脳内作業が行われていることを露も知らない珱煌は、そのまま続ける。


「まぁよい。そうだな……早速だが明日の晩、貴女の宮に出向くことにしよう。貴女の友人である梓春という人物についても、明日の午前に軽く調べておく」

「ええと……明日の晩ですね、わかりました。ありがとうございます」

「それでは、私は目的も達成したことだし、そろそろ戻る。それではまた明日」


 あっさりと約束を交わしてしまった。珱煌は夜風に銀髪を揺らして、月明かりを浴びながら帰っていく。


「石畳の方から帰った方がよくないか?」


 けれど、わざわざ草むらの中を歩いていく後ろ姿は、変わった奴だなと思うばかりである。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る