第5話 綵月宮にて〈二〉

「五妃のうちの、誰かの企みでしょう」


 芹欄は吐き捨てるように言った。

 確かに、後宮での事件は妃同士の確執や嫉み、寵愛の競い合いから成る例ばかりで、妃を貶めるのは同じ妃という場合が多いのであった。


 綵妃は誰かの恨みを買ってしまったのだろうか。綵月宮に篭もりがちで、他の妃や皇族との交流は少ないと聞いていたのだが。


「はぁ……綵妃様がご無事で何よりです。夜芽を迎えに行ってきますね」


 芹欄は心の底から綵妃の無事が嬉しい様子で、こちらに深く頭を下げて、駆け足で出ていった。

 梓春は「ふぅ」と一息付き、寝台の蒲団の上にぽすっと寝転ぶ。ふかふかで心地が良い。


 噂通り、綵妃の件は妃間の諍いが原因か。


 玲瓏殿の後宮には、現在五人の妃がいる。所謂"五妃ごひ"だ。

 彼女たちは一年前に御世替わりした際に、各名家の十五から十八までの娘より選抜されて入内したという。


 五妃とは、

 華幻かかん宮の妃、レイ 丹紅タンコウ

 璉萃れんすい宮のれん妃、ジョ 瑞藍ズイラン

 雀爛しゃくらん宮のしゃく妃、ネイ 琳珠リンジュ

 蕓瑆うんせい宮のうん妃、カン 玉溟ギョクメイ

 そして、綵月宮の綵妃、エン 桃蓮トウレンのことである。


 妃の現在の年齢は璉妃が十九、蕓妃が十八、華妃が十七、雀妃が十六。

 確か綵妃は華妃と同じ十七だ。

 本来ならばその下に嬪、貴人と続いてもいいのだが、御世代わりしてまだ日が浅いために、次の選抜はまだ予定されていなかった。


 まだ何処へも鳳輦ほうれんが渡っていないならば、位は今は均衡しているはず。正直、この状態が最良であるといえよう。


 妃の中で梓春が実際に目にしたことがあるのは華妃だけであった。


 後宮門兵であれば皇族を目にする機会は多くなるかと思いきや、そんなこともない。

 妃達が門を通る際は基本的に牛車を使い、姿を窺おうにも簾で仕切られている。中の様子は全て人伝いで耳にし、勝手な想像に留まる。


 警備は手薄になってしまうんじゃないか。


 自分のいた立場から離れて客観視すると、様々な疑問が浮かび上がってくる。玲瓏殿は極めて秘密主義で、かえって危機感が無いとすら思える。

 対外関係は問題ないし、表面上は至極平和だが、その水面下は濁っているはずだ。皇位継承の蟠りが解けていないのだから。


 俺はこのままここに居ていいのだろうか。

 梓春は格子窓の外を眺める。今はまだ朝方だ。

 四日の今日は、通常通り早朝から晩まで任に当たる日であった。宿舎では失踪したと大騒ぎになっているやも知れない。


 迷惑かけてるだろうなあ。

 無断欠勤という言葉で済ませるには状況がおかしすぎるが、一体どうすれば元に戻れるか見当がつかない。

 

 梓春の肉体は腹を刺されてかなり出血していた。刺客たちの会話から察するに、意識を失った後は何処かに連れて行かれたのだろう。

 仮に綵妃の魂が梓春の肉体に入ったのだとしたら、彼女がその状況に耐えられるとは思えない。それに。


「いっ……!?」


 そんな何度目かの煩悶の最中、ズキリと鋭い痛みが襲ってきた。梓春は咄嗟に額を抑え、ぎゅっと目を瞑る。暗い瞼の裏側に女の影が描かれていく。


 これは、綵妃……?


 桃色の艶髪に亜麻色の瞳。先程姿見越しに見た容姿と重なる。おそらく綵妃だ。何も言わず、こちらをじいっと見つめている。


 すると、またズキリと稲妻のような激痛が襲ってくる。瞼の裏側に見えた綵妃は一瞬のうちに消えていった。


 暫く深呼吸を繰り返すと頭痛は治まった。


 「……なんだったんだ、今のは」


 梓春は頭痛持ちでは無いが、今は綵妃の身体だ。綵妃は病気がちであるから、先天的な持病なのかもしれない。それに、無理矢理に魂を入れ換えるなど、どんな害があるか分からない。


 綵妃の姿が見えたのも、入れ替わりのせいなのだろうか。

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