記憶4
カーテンを開ける。相も変わらず曇天が広がっているがいつもの視界を遮るような雨は幻だったかのように消え去り、眼前には自分よりも背の低いところに建物たちが
雨が止んだところで日の光が届かないことには変わりがないのにどうして喜ぶことができようか。変化したことに喜びを見出すのではなく大事なのは最善の状態だと私は思ってしまうが、実際のところ二次元的にしか見たことの無い澄み渡るような青空を視界に収めたところで私は疎外感を感じるだけかもしれない。でも彼女が喜んでくれるなら、私もきっと同じように笑顔になれるかもしれないな。朝日の差し込む食卓で、達平が静かにコーヒーを啜って、望が眠そうにトーストをかじって、朝でも元気な礼がいて……そんな夢のような最善とは少し遠いけれど。
私がそんな夢を頭に浮かべるように彼女もまた夢を見ていた。少し心苦しいがそろそろ覚めてもらうしかない。
「望、朝ですよ。もう起きてください、朝食の時間ですよ」
そう言って望の体を揺すると、「うぅ……」とうめき声をあげながらのそりと上体を起こして眠い目をこすり、朝一番の空気を欠伸と共に肺いっぱいに吸い込んだ。
「もう朝なのか……もうちょっとだけ寝てもいい?」
まだ眠いのか片目が開かないまま上目遣いで聞いて来る。大き目のTシャツが少しはだけてしまっていて、いくら夏とはいえ朝は少し寒いのだろうか無意識に布団を手繰り寄せて体に巻き付け始めた。それを巻き取るように剝がしていくと、「う、ああ」とか呻きながら望も一緒にぐるぐると回り始める。
「駄目です。どうせ昨日も夜遅くまで動画か何か観ていたんでしょう?電源が入りっぱなしでしたよ」
「バレちまったか……そうだよ刑事さん。さあ、私を捕まえてくれ」
そういいながら私に両腕を広げてなぜか儚げな顔でこちらを見上げてくる。
「いったい何を観ていたんですか望……まったく、仕方のない子ですね。ほらっ」
広げた腕に手を通して立たせ薄手のカーディガンをかけてやると、甘えるように私の腕をつかんで微睡んでいる。まぁ少しだけならいいか、といつも通り撫でやすい位置にある頭に手を置くと彼女もまたいつものようにされるがまま私の方に身を預けてきた。そのまま引きずるようにしてダイニングテーブルまで連れていき座らせる。
「今日の朝ごはんなぁに?」
両肘をついて手で両頬を支え、眠気に抗うようにパチクリと音が鳴りそうな勢いで何度も瞬きをして、その振動で卓上調味料がカタカタと鳴っている。そんなに眠いのならもっと早く寝ればよかったのに。そんなに昨日見ていた映像は面白かったのだろうか。
「お行儀が悪いですよ、望。目玉焼きと卵焼き、どちらがよろしいですか?」
彼女はまるでトロッコ問題にでも答えるかのようにウンウンと逡巡した後、決心したように「目玉焼き!」と答えた。
「かしこまりました」
IHコンロのスイッチを押して、一さじ分くらいのサラダ油を敷いて温度が上がるまで少し待つ。その間にキャベツなどを刻んだだけの簡易的なサラダを木製のボウルに入れ、望の好きなシーザードレッシングを適量垂らして混ぜ合わせる。こうしないと彼女が特撮物の怪獣のように力いっぱい混ぜてサラダを机にぶちまけてしまうので、それを見越してのことだ。あまり甘やかしてしまうのは良くないとは思うが、予測しうる不幸は可能であれば回避するべきである。
そうしている間に温まった油の上に卵を落とすとぱちぱちと
「ベーコンは召し上がりますか?ソーセージもございますが」
「ん~、今日は目玉焼きだけでいいかな。その代わりごはん大盛りがいい!」
「かしこまりました」
目玉焼きの焼ける匂いで脳がだんだん覚醒し始めたのか、いつもの元気を取り戻しつつあった。感嘆符が可視化してきそうな彼女の要望に応えるように、炊き立てのお米を曲線が隆起するように小さな茶碗によそい、冷蔵庫から取り出したミルクをコップに注いで朝食の準備が整った。サラダと目玉焼きも机に並べて、形式的に私も一緒に手を合わせる。
「「いただきます」」
そういうと望はモリモリと朝食をほおばり始めた。シンプルだが血の通った朝食の対面には、綺麗に拭かれ埃一つない机に反射された私の顔が映っている。それと目が合うと、満足そうにニヤついていた。なんて顔をしているんだ私は。
上がった口角を引き戻しつつ望を眺めていると、不思議そうな顔をして彼女が口を開いた。
「ラルダはご飯食べないの?」
「私は……」
そう言ってから言い淀む。私がアンドロイドだという事実は礼の判断で望にも秘密にしてあった。それは情報が漏れることを恐れてというよりは、望を巻き込まないようにしようという礼の方針だったからだ。巻き込まれるといっても兵器開発でもあるまいし、別のアンドロイド開発に携わっている企業に情報が漏れたところで実力行使に出るほどのものではなく気にしすぎだったのかもしれないが、わざわざ伝える必要もないので念には念を、といった感じだった。
礼が亡くなって研究開発が止まってしまった今、事実を隠す必要はもう無い。しかし今私がアンドロイドだと、血の通わない機械の人形だと望が知ってしまったらどう感じるだろうか。母親がいなくなって頼みの綱である父親は自室から滅多に出てこない。自分で言うのもおこがましいことだが現状彼女が頼れるのは私だけだ。
「大丈夫です。朝食は摂らないことにしていますので」
そう思ったら事実を伝えることはできなかった。後ろめたさはあるが、今じゃない。きっといつか話せる時が来るだろう。それまでは自分の中でしまっておくべきだ。
「ふーん、そうなんだ。こんなにおいしいのに」
納得した、というよりは諦めたみたいな顔をして望は食事を再開した。手持ち無沙汰と気まずさを紛らわせようとモニターの電源を入れ、携帯端末を接続するとさっきと同じ天気の話が寡黙な部屋に流れ始めた。
「雨、止んだんだ。珍しいこともあるもんだね」
「そうですね。せっかくですし少し外出されますか?せっかくの雨止みです、きっと良い日になると思いますよ」
私がそういうと望は少し顔をしかめて首を横に振った。
「本当に良い日なのかな。私はいつも通りじゃないのは嫌、変わっちゃうのは怖いことだよ。それに学習カリキュラムもやらないといけないし」
そういって棚の上にある礼の写真を一瞥して黙り込んでしまう。
てっきり望は喜ぶものだと思っていたが、彼女にとって非日常は恐怖の対象になってしまったらしい。彼女の日常は母親との別れという形で突然奪い去られ、残ったのは孤独と傷跡だけ。受け容れるにはまだ時間も準備も足りていないようだった。
「了解しました。それでは朝食が終わった後は学習カリキュラムをやりましょう。休憩の時間になったらまたお呼びします。お茶菓子を用意しておきますよ」
返事は無かった。しばらく彼女との間に沈黙が流れる。このまま座っていたら望も気まずいだろうなと思い立ち上がろうとしたとき、先に沈黙を破ったのは彼女からだった。
「ねえラルダ」
「はい、なんでしょうか」
望は何か言いかけて、躊躇うように口をつぐんでを繰り返している。良い日になるだなんて配慮が足りなかっただろうか。一体何を言われるのか緊張しながら待っていると、覚悟を決めたように彼女が口を開いた。
「あの……私と!と、友達になって、くれませんか……?」
「はい?」
想像もしなかった発言で一瞬何を言われたのか理解が遅れてしまった。
「嫌だったらいいの!突然変なこと言ってごめんね、ごめんなさい。それじゃ勉強しないといけないから私行くね!」
「待って」
足早に部屋を後にしようとした望の腕をつかんで引き留めると、ビクッとしてこちらの方を向かずに立ち止まった。つかんだ腕は震えていて、相当な勇気を出したんだろう事が伺えた。できるだけ優しい声色で落ち着いて話しかけるよう心掛ける。
「待ってください。良いですよ、友達になりましょう」
そういうと恐る恐るという感じでゆっくりとこちらを振り返って泣きそうな顔で私の顔を見上げた。
「いいの……?こんな私と友達になっても」
「こんな、なんて言わないでください。良いに決まっているじゃないですか。ただ」
「ただ?」
「友達って、どうすればいいんでしょうか?」
それを聞いて安心したのか気が抜けたのか、彼女はへなへなとその場に座りこんでしまった。気づけば腕の震えも止まっている。
「どうすればって、そうだなぁ。とりあえず敬語をやめてみたら?」
「わかりました」
「『わかった』でいいよ。ラルダにも苦手なことがあるんだね」
そういってにっこり笑うと彼女は私の腕を引っ張るようにして立ち上がった。もうさっきまでの気まずさはなく、彼女の表情も明るさを取り戻していた。
「それじゃ私は勉強するから。ラルダも砕けた話し方練習しておいてね!」
「わかり、わかった。望も、頑張って」
ぎこちなく話す私を面白いものでも見るようにフフッと笑うと、彼女は自室に戻っていった。
「あ、お菓子はクッキーがいいな!」
彼女の部屋から注文が聞こえてきて思わず笑ってしまう。私も練習しないと。こんなにぎこちないと真実を伝えなくても機械みたいって思われてしまうかもしれないな。
Noisy memory 金借 行(かねかり こう) @aloneair
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