第9話 力の奔流

 約束通り3日後、ユーリ様は騎士団を連れて帰っていらした。

 魔獣は行った頃には影もなく、教皇の指示に不満を漏らす者もいたけれどユーリ様は「なにもなかったからいいんだ」と仰った。

 誰もそれに反論はしなかった。


 いつも変わらずネジが巻かれているような城内は、城主の帰還でキリキリと強くネジが巻かれた。

 みんな、ユーリ様の帰りを心待ちにしていたことが伝わる。

 わたしの『愛する人』は、分け与えたくなくても、周囲にその魅力をばら撒くらしい。そればかりは止められない。


 凱旋祝いの食卓が用意され、わたしとユーリ様は久しぶりに同じテーブルに着いた。

 騎士団の面々もご一緒して、国境がどんな様子だったのか、今回の遠征でどんなことがあったのか、お酒の酔いもあって面白おかしく話してくれた。


 色鮮やかな味わい深い料理、その後のスイーツ。領地内で収穫したものだけを使ったそれらは格別の味わいだった。

 ひとりきりで過ごすディナータイムのさみしさに比べれば、賑やかさは最高のスパイスだ。


 ◇


 食後、ソファでくつろぎながらふたりきり、紅茶をいただいた。昨日までの雨のせいか、まだ気温は上がりきらず、温かい紅茶は心を満たす。


「この紅茶はいつものものと違うね?」

「はい、実は······」


 わたしはカタリナ様の話をした。彼はうなずきながら黙って聞き役に徹してくれた。そして話が終わると······。


「それはずいぶん気に入られたんだね。あの気難しい方がまさか自分から君を招いたなんて、それだけでも驚きだけど」

「とてもおやさしかったですよ?」


 ユーリ様は笑いをこぼした。久しぶりに見るくだけた笑いに目が釘付けになる。


「叔母はご自分の娘にも厳しい人でね、僕もちょっとした悪戯やマナー違反でよく怒られたよ。扇子で叩かれたことも実際にあったよ。

 昔はここへもよく訪れて、湖畔でボートに乗ったこともある。日傘を差した叔母はまるで切り取られた影絵のようだったよ」

「お美しい方ですもの」

「しかし髪の色と瞳にコンプレックスがあってね、母とは折り合いが悪かったものの、逆に変わり種の私をかわいがってくれてね。叔母と母の父親がやはり銀髪だったから」


 そう言う瞳は、どことなく曇って見えた。

 父親と同じく龍として生まれた甥を父親の影のようにかわいがったのだろうと、そう思っていたのかもしれない。

 カタリナ様はそんなさみしい理由で彼を愛したわけではないだろうに。


 わたしは大胆に、彼の身体に体の重みを預けた。


「カタリナ様はユーリ様のことをとても心配していましたよ。まるで息子のように思っていると。そのお陰でわたしも娘にしていただけました。わたしの実の母は消えてしまったけど、結婚してなんとふたりになったんです!」


 ふふっと笑うと、彼は驚いた目をして「君には負けるな」と呟き、やさしく溶けるような瞳でわたしを見た。

 まだ18のわたしには27になる夫は眩しすぎるくらい大人だ。その腕の中にすっぽり、包まれていたくなる⋯⋯。




「――わたしの愛する聖女様、今宵はベッドを共にしても?」




 眼差しだけでどこかの鍵が外れた。

 わたしの夫は本当にこんなに素敵な人でいいのかしら、と女神様の祝福に感謝したい。

 今まで少し嫌いだった自分が、愛されて、少し好きになれる。それは特別な感情だ。


「毎晩、お待ちしておりました」


 ◇


 聖女フランティア様はきっと黒龍を愛していたに違いない。

 自分の聖力のすべてを投げ打って、龍の清い心を救った。それは愛なしでは到底叶わないんじゃないかなと。


 ユーリ様は灯りを細くすると、わたしを落ち着かせるように腕の中にしまった。

 聖女として育ったわたしには、もちろん異性とのつき合い方のハウトゥーは頭にない。

 ただ恐れずに受け入れること、それに専念する。


「美しい髪だね。今夜は君の髪をブロンドにしてしまうかもしれない。私の中の龍が、君の中の神聖な力を求めて暴れているようだ。⋯⋯私の心臓の鼓動が聴こえる?」


 なんと答えたらいいのかわからず、なにも考えられないまま、ぽすっと軽い音がして、気がつくと枕に頭は沈んだ。

 それと同時に彼の長い、鋼色の銀髪が、強い雨のようにわたしの上に降り注ぎ、その瞳はわたしだけをじっと見つめた。


「私が先に君を求めて、君を見つけたんだ。誤解しないで。愛が重いのは私だよ。君に受け止めてもらえる自信がない」

「⋯⋯どうしていつもわたしの心を読まれるのですか? わたしにはできないのに」

「それはね」


 端正な顔が少しずつ近づいて、鼻先に唇が触れる。


「フランティアは龍に力を注いだ後、我が家門の伝承では力を失ったとあるんだ。私の方が力が強いのかもしれないよ」


 これ以上喋らないで、と耳元で囁くと、軽く耳たぶを噛まれる。そんな経験はなかったので身体が反射的にビクッとする。

 それでもしゃべらないと約束したので、ただされるがままに受け入れていく。


 唇から熱くやわらかな舌が5mm、1cm、⋯⋯とわたしの口内を占領し、これこそが快感なのか、それともわたしたちの持つ力の奔流なのか、区別がつかない。


 そのうち、区別することの努力を放棄し、今まで離れていた分、1ミリでも彼から離れないよう、必死にその逞しい身体に捕まる。

 振り落とされないよう、吹き飛ばされないよう、意識は混濁し、目眩がわたしを襲う。


 汗か涙か、そういうなにかがとめどなく頬をつたう⋯⋯。


 これ以上、彼の支配を受け入れるのは無理だと感じた時――なにかの針が振り切れて、彼は身体ごと、わたしの上に文字通り崩れ落ちた。


「ごめん。経験がなかったから、やさしくしてあげられなくて。これだから私は龍にすぐ乗っ取られてしまうんだ」

「ユーリ様、わたしは龍もユーリ様も愛してます。どちらも同じですもの。やさしさと猛々しさが表裏一体でもおかしくないですよ」

「ロッテ⋯⋯」


 彼はわたしの頭を抱いた。

 抱かれているのか、抱いているのか、その境は曖昧だった。

 もしユーリ様が龍の力を持て余しているのなら、いつでもわたしがその余分な力を解放してあげたいと、そう強く思った。例え多少の痛みを伴ってでも。


「私ばかりが求めすぎてしまったね。でも今夜は君の負担をこれ以上増やさないようにしよう。君はまだ大人になったばかりなのに、私の方が子供みたいだ」


「そうでしょうか? わたしは今までの人生で自分には欠けていると感じていた部分が、今、しっかり埋められたような気がします⋯⋯。足りない分を補っていただけたように感じます」


「無意識に誘うのは狡いよ。私は我慢を覚えなければいけないね。君に扇子で叩かれる前に」


 腕枕なんて、子供の頃以来で。

 ふふっと顔を見合わせたけれど、彼の存在をしっかり確かめたいような、恥ずかしくて目も見られないような相反する気持ちに、心はいつまでも揺れた。初めて触れたその肌の感触が馴染み深く思えて、離れ難い。

 彼も同じなのか、わたしの身体のラインをいつまでも確かめていた。


 何度も軽い口づけを繰り返し、何度も触れ合った。


 離れていた分、気持ちは強くなるというけれど、今までの人生を賭けて求めていた分、確かに彼の愛情は尽きることなく、重いものだった。

 ――いつの間にか光は遠のき、わたしは眠りについていた。


 ◇


「おはようございます、若奥様」

「おはよう、シイナ。⋯⋯あの、ユーリ様は?」


 夜のことはすべて幻想だったのかもと、一瞬疑う。

 でもそれは真実だったという証に、身体の節々が痛んで、上手く動けない。

 乱れた寝具が目に入り、途端に恥ずかしさが頂点に達する。


「あの⋯⋯」

 シイナは珍しく言い淀んだ。言葉を探しているようだ。わたしはゆっくりその言葉を待った。


「おめでとうございます! ご主人様は先にお目覚めになり、お湯を使ってからいらっしゃるとのことです。その後、若奥様の体調はよろしくないでしょうから、こちらの部屋で一緒に朝食にしようと仰られました! とにかくおめでとうございます。わたしもうれしいです」


 シイナはぺこりとお辞儀をすると、すっ飛んで、部屋から出て行った。


 お部屋で一緒に朝食をいただくなんてマナーに反しないかしら、と考えつつ、身体全体が火照り、再び彼の腕の中を恋しく思う。ふとその甘い汗の匂いが残り香のように鼻をくすぐる。

 ――もう離れたくない、どんな時でも。


 ◇


「若奥様!? 隠すことはできると思いますが、髪が一房、プラチナブロンドに染まっています。どのように結いましょうか?」


 さすがわたし付きの侍女、シイナは、急な髪色の変化にも驚くことなく、ブラシを手に持ち、いつもと同じようにそう言った。

 龍の力が多少勝ったみたいだ。

 少し考えて⋯⋯今までと少し違うわたしたちになった証を、彼に見てほしいような気がした。


「変わった部分がユーリ様にわかるようにしてほしいの。⋯⋯できるかしら?」

「わかりました! では腕によりをかけますね。特別な日ですもの」


 まるで鼻歌をうたいそうな勢いで、弾むようにシイナはブラッシングを始めた。

 新しい自分を鏡で観察する。

 わたしはどこか変わったかしら――?

 もしもどこかが変わっていたとしても、変わらず、愛されると今なら信じることができる。


 それこそが、新しい朝の力だ。

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