第5話 光の聖女と黒い龍

『グリザルドの信仰では、聖女フランティアが聖なる力で邪悪なる黒い魔王を打ち倒し、最初の聖王と結婚したとある』


 この国の者なら知らない者はない、建国の物語。

 『黒い魔王』。聖女は黒い魔王を倒して、という下りが、わたしたち、黒髪の者たちを生きにくくさせている。黒は魔の象徴だから。


 でも、ユーリ様がお話くださったのはとても不思議で、まるで奇跡かお伽噺のような物語だった。


 ◇


「⋯⋯というわけで、黒い魔王と最初の聖王は同じ人物なのです」

「つまり聖女は黒い力を吸収して、王を浄化したのでしょうか?」

「そうです。ここ、グリザルドでこれを知る者はほとんど残っておりませんが、この時、聖女フランティアの美しく輝くプラチナブロンドが黒く染まったと、我が家門では伝えられています」


 すぐに信じろと言うのは無理な話。

 今までの聖女信仰をすべて覆すような中身。まさかフランティア様が、黒髪だったなんて。


「私の髪がシルバーなのは偶然ではなく、聖力によって常に魔力が体内に入らぬよう、聖力が働いているからです。······魔に染まらないように。聖女様のご加護なのです。

 私には弟がひとり居りますが、彼の髪は母に似た色の濃いブロンドです。私は家長になる宿命さだめによりシルバーブロンドなのだと、父にそう言われて育ちました」


「では、わたしの髪が黒いのは⋯⋯」

「もうおわかりかと思いますが黒は魔力の色です。聖力とは真逆の。魔獣たちは魔力で国境を黒化し、西の隣国ガラテア帝国は我が国を魔力で手に入れようとしているのです。

 そしてシャルロッテ様の髪が黒いのは魔力を聖力で常に吸収するからです。パズも同様の体質です。シャルロッテ様の聖力は乏しいとお聞きしておりますが、恐らく体内で魔力が聖力に転換されて、魔力の多いこの領地では首都より聖力も増すと思います。

 ほかの聖職者は、聖力を放つだけで吸収することはなく、魔力を力に変えることもありません」


 髪が黒いのは聖力で魔力を吸い取っていたせい?

 生まれてからずっと忌々しく思っていた黒髪が、ますます忌み嫌われる物に思えてきた。

 この黒さが魔力の色なら、やっぱりわたしは······。


「シャルロッテ様! さっき見た光を覚えていらっしゃいますか?」

「······はい」

 信じられない光景だったけど、わたしたちの手が合わさると、聖なる光が溢れ出した。


「あれは夢じゃないんです。私とシャルロッテ様はつがいと申し上げましたが、······その、私たちが共にあれば聖力は増し、この地の魔力を、つまり黒化を取り除くことができるんです」


 なるほど、そういうことなんだ。

 だからわたしじゃないと······。


「これまでもフランティア様の転生者は、予測するのが難しいところにおりました。ですがまさか今回は元の聖女様の姿になっているなんて、最初にこの話を聞いた時は驚きました。

 私にとって夢見てきた女性が聖女であるなんて。ただ、聖女は結婚できるのだろうかと」


「······すみません、難しそうじゃないですか?」

「そんなことありません。私の努力不足でしょう。あなたのグリザの力を私の持つ力で上手く制御できれば、こんなことには」


「伯爵様のお力ですか?」


 そこでユーリ様は口ごもった。

 はっきり言葉にするのは難しいという顔をしていた。


「驚かないでくださいね」

「はい」

 間がある。一度に話してくれる気にはなれないみたい。わたしは青い彼の瞳の中に立つさざ波を見ていた。

「私の本性は、龍なのです」


 驚く前に思考が停止した。

 先程、合わせたその掌は人間のものに間違いなかったし、ユーリ様の身体のどこにも鱗らしきものはもちろん見えない。邪気もない。

 恐る恐るそっと、手を伸ばす。彼はわたしの手を取って、自分の頬に当てた。


「私の祖先こそ、邪悪なる黒い魔物、つまり龍でした。それを浄化してくれたのが聖女フランティア様なのです。

 私は一族の者として、家長として、髪の色だけではなく龍の血を色濃く備えております。龍であればこそ、この国を魔から守る役目があるのです。

 本当に穢らわしく獣の本性を持っているのは、私です。――私を軽蔑なさいますか?」


 精悍な顔つき。

 不敗の将と名高い辺境伯の瞳から流れるのは清い流れで、決して涙などではない。

 かわいそうな人――そう思うのは容易かったけど、邪龍にならないその心の清らかさが、涙からわたしの心に染み込んできた。


 この人を悲しみから救いたい。黒髪と蔑まれていたわたし同様に、この人は自分の中の血を蔑んでいる。


 誰もが、わたしの浅慮を笑うかもしれない。わたしはただ、目の前のこの人ひとりを救うためにできることをしようと固く思い、決断した。


「ユーリ様、どうぞわたしをユーリ様の伴侶にお迎え下さい。まだまだ何事にも未熟ですし、未来の保証はできませんけど、でも、わたしの立場から申し上げて良いものかわかりませんが、わたし、あなたを助けたいのです」


 彼はわたしをぐいっと抱き寄せると、力強く唇を奪った。

 なにかを奪われ続けることには慣れていたはずなのに、なぜか心の中は怖い思いでいっぱいになった。

 彼の奥底に、黒い鱗を輝かせる大きな龍の姿が見え隠れした⋯⋯。


 龍はわたしの聖力を欲していた。

 それは唇から唇へ、流れて行った。

 大きな龍は穢れをそそぎ、美しく光を放つ虹色の翼を持つ龍に姿を変えた。

 ただ、それを見守った。

 わたしの力のすべてを使っても、癒してあげたい。本当の自分を受け入れてあげてほしい、と。


 ◇


「聖女様! なにが起こったのですか? まさか、伯爵様に······」

 シイナが深刻な顔をして、またベッドにぐったり横たわるわたしに声をかけた。

「······シャルロッテ様、こんな······」

「鏡を持ってきて」


 意を察したシイナが、美しい薔薇の絵付が持ち手に施された手鏡を持ってきてくれる。わたしはそこに、自分の姿を見た。


 指を通すとさらりと日に透けるこの髪は······黒ではなく、限りなく色の薄いプラチナブロンドになっていた。

 ユーリ様は仰った。

 聖女の力と龍の力が合わさり、黒い力は浄化されたのだと。


「どうかなぁ? 新しいわたし、わたしはまだ慣れないけど」

 グリザの花は相変わらず額に咲いていた。けれどもそれがまた熱を発するとは思えなかった。

 プラチナブロンドの髪の間で、聖女の赤い花はいっそう目立って見えた。


 ◇


 信じられませんね、とシイナは語った。

 それもそう! わたしだってまだ夢じゃないかと疑ってるんだから。

 戸惑い顔のシイナに、飛び切りの笑顔を向ける。

「結婚よ、シイナ。わたしには遠い世界のことだと思ってたから、なんの知識も心構えもないの。どうかわたしの手伝いをしてくれる?」


「······聖女様のお願いであるのならば、なんでも聞きます。ただひとつ言っておきたいのは、髪の色が例え何色でも、わたしはシャルロッテ様の味方だということです。あの龍にだって――」


「シャルロッテ、まだ休んでいないの? 人の声がまだしたから見に来てみれば」

 ドアの隙間から銀髪がのぞいた。


 シイナはまるで宣戦布告というように、ユーリ様をバシッと見て、はっきりこう言った。


「伯爵様、聖女様は大変お疲れです。わたしが部屋を出る時に灯りを消しますので」

「申し訳ない、邪魔をした。その、よく休んでほしい」

 ユーリ様は開きかけた扉から私の顔をうかがって、そして立ち去ろうとした。


「お待ちください。お休みのご挨拶がまだ」

 わたしは重い体をベッドから引きずり出し、ユーリ様に駆け寄ると、気合を入れて背伸びした。

 背の高いスマートな身体に手を伸ばすと、勇者と呼ばれるだけあって、しなやかな服の下は鍛えられた筋肉だとわかった。


「シャルロッテ······」

 思い切って耳の下辺りに口づけをした。

 下品な行為かしら、と思ったけど、今、わたしたちにはそれが必要だと思ったから。


「お休みなさいませ。新しい朝が来るまで、どうぞごゆっくりお眠り下さい」

 ユーリ様もわたしの顎からそっと耳の下に手を入れると「そうだね。今日はいろいろあったから、君もよく休んで」と、軽く頬に唇を寄せた。


 はぁ······と、ドアが閉まると同時にシイナは大きなため息をついた。


「シャルロッテ様、一体なにがあったのですか?  信じられませんね、いくら美貌があったとしてもこんなに短時間で恋に落ちるものでしょうか?  たった一日ですよ? 伝説の力ってそれ程強いのでしょうか?

 わたしがここを空けていた間になにがあったんです? まるでおふたりはとても親しい······その、恋人同士のように見えましたわ」


 ぽっとシイナは頬を赤く染め、下を向いた。

 わたしだって――。

 戸惑いがそう簡単に消せるとは思えなかった。心臓が忙しなく鼓動を打った。

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