第4話 清浄なる光の奔流

 果てしなく美味しそうな料理が、テーブルいっぱいに広がっている。そのテーブルの大きさも教会とは全然違う。

 わたしたちは教会と同じ『パンとスープ』を頼んだのだけど、『歓迎会』と言われ立派な食堂に連れ込まれた。

 テーブルの主の席には、さっきとは違い緊張した面持ちで伯爵様が座っていた。


 シイナによると、お茶にご招待され、呼びに来たところ、わたしはソファの上で屍と化していたらしい······。恥ずかしい。聖女なるものの威厳、まるでなし。


 次はディナーということで、無下に断るわけにはいかなくなったのは、そういう事情もある。

 全部わたしのせい。


 厳かにディナーは始まり、頬がとろける程、美味しい料理が次々に運ばれてくる!

 なに? これはなんの料理!? 今までこの世に存在した?


「お気に召しましたか?」

 伯爵様はにっこり笑った。

「はい、とても美味しいです」

 うれしいけど、普段、食べ慣れないものは食べたくても胃に収まらない。行儀よく涼しい顔をして食事をしているけど、満腹! 残すなんて!

 ううう、悔しい。パンだけでもこんなに美味しいとは。


 町の食堂に入ることさえ、今までわたしには叶わなかった。聖職者であり、黒髪のわたしは、普通の人々の範疇からはみ出ていたから。

 こういう豪華なディナーを夢見たことがないというと嘘になる。


「聖女様、さっそく明日なんですが」

「はい。伯爵様さえよろしければ、黒化しているところを見せていただけたら、と思っております。

 しかし、お聞き及びかわかりませんが、わたしの聖力は情けないほど少ないので、お役に立てますかどうか」


 伯爵様は音を立てず、ナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭いた。


「お許しいただけるなら、シャルロッテ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。わたしは聖女かもしれませんが、その前に田舎育ちの平民ですし」

「いえ、親しみを込めてお名前をお呼びしたいのです。私のことは『ユーリ』とお呼びください」


「······それには同意いたしかねます。伯爵様は教会を通してわたしをお呼びになりました。残念ながら高位の聖女様はいらっしゃいませんでしたが、わたしと伯爵様はつまり雇用関係にあると思いますので」


 一瞬、シャンデリアで明るい部屋の中に闇が落ちたような気配がした。


 伯爵様は急に席をお立ちになると、わたしの方へ歩いていらっしゃった。急なことに動揺する。


「どうも誤解があるようなので、話を聞いていただきたい。教会からどのように聞いて、この城にいらっしゃったのか知りませんが、私が教会に頼んだのは、あなたが思っていることとは違うようだ」


「······では?」


 こほん、と伯爵様は咳払いをした。

「私は先日、黒髪の聖女様がこの世に存在すると知りました。そんなのはただの噂だと最初は思ったんですが、なんとパズが聖女様とお知り合いだと言うではないですか?

 ずっと求めていた方が実在する。

 ――とすれば、私のすることはただひとつ」


 馬車を降りた時と同じように、伯爵様は恭しく、片膝をつき、わたしの手を取った。


「どうか私の伴侶になっていただけないでしょうか? あなたに結婚を申し込みたいのです。私のすべてを懸けて、あなたをしあわせにすると約束いたします」


 ユーリ様は顔をゆっくり上げた。

 銀髪の前髪がほつれて、一筋、顔にかかる。青い瞳は真っ直ぐにわたしを捉えていた。

 至極、真面目で、冗談は1ミリたりともないようだった。


 でも! 有り得ないじゃない!?

 聖女が結婚なんてできるわけないでしょう?

 一生を神に捧げてるのに。

 それとも還俗しろと――?


「私には明確な理由があります。私の伴侶はあなたしかいません。

 なぜかあなたが今世、聖女として生まれていらっしゃったので時間がかかりましたが、私にはあなたしかいないということを教会にも理解していただき、あなたを招いた次第です」


 天地がひっくり返ったかと思った。

 バタンと派手な音がして、なにかが倒れたのだとわかる。

 ⋯⋯ああ、倒れたのはわたしだ。キャパオーバー、という言葉を思い出す。


 ◇


「⋯⋯お嬢様、具合はいかがですか?」

 息が苦しい。浅い呼吸を繰り返している。

 何があったっけ? 記憶を辿る。食事⋯⋯お腹がいっぱいになって、そしてユーリ様が。


 わたしの中の聖なるなにかが渦を巻くように荒れ狂って、頭がひどく痛い。

 正確には、グリザのあるところを中心に、燃えるように熱い。

 どこかで聞いたことがある。還俗は簡単な事ではないと。命懸けだと。


 でも、まだ承諾もしてないのに。


 ◇


 礼儀正しいノックの音がする。

 パズだった。


「ドアの前にいる。そのままベッドで聞いてくれ。

 ご主人様はロッテへの求婚を取り消すと仰っている。お前がこんなに辛くなるなら、俺は簡単にお前について伯爵様に教えなければよかったんだ。

 軽率だった。······ごめんな。

 求婚が取り消されれば、すぐに体調も戻るはずだと伯爵様は仰ってたから、治ったら教会に戻るといい」


「パズ? どうしてユーリ様はいきなり求婚を? ユーリ様は女性にとても人気がありそうに見えるし、一目惚れっていう感じではなかったし」


 パズはしばらくなにも言わなかった。

 灯りの油が燃える、ジリジリいう音しか聞こえない。

 話はわたしの知らないところで広がって、そしてさっと閉じた。

 わたしの意思とはまるで関係なく。


「そればっかりは俺の口からは言えないよ。ちょっと待っててくれ」


 戻ってくるのかわからないパズの足音が、ドアの外を響いていた。


 ◇


 コンコンコン、と三度のノックが重く聞こえ、「入っても?」と硬い声で尋ねられる。

 ベッドサイドにいたシイナが、かつかつと扉に近づき、「申し訳ありませんが聖女様は」と突っぱねるように言葉を口にする。鉄壁の侍女だ。

「どうぞ」と、気をしっかり持って返事をした。


 ユーリ様は背中に1本、まるで固い鉄の棒が入っているかのように、背筋を正し、緊張した面持ちでベッドのそばまでやって来た。


 心配そうな瞳の青が、揺れてる。

 小石を投げた湖面のように。


「私が考えなしだった。あなたをこんな目に遭わせてしまうなんて」

「わたしも考えてもみませんでした。わたしみたいな不器量な者が、万が一でも⋯⋯その、求婚されるなんて」


 ユーリ様は、横を向いて、こほんと言った。

 とても気まずそうに。

 そして、うつむいてしまう。

 なにか話したいことが、きっとあるはずなのに。


「よろしかったら、お話いただけますか?」

 顔をハッと上げると、彼は見過ごしてしまいそうな潤んだ瞳でわたしを見つめた。

「仮にも『聖女』たる者、普通は結婚はできないとお知りだったことでしょう。それでも求婚なさったのには、並々ならぬ理由がおありだったのではないでしょうか? こうして初めてお会いしたばかりなのに」


 努めて冷静に、ひと言ひと言を発する。

 エレナと昔、人前に立つことがあったときに威厳を保てるように、話し方の練習をした。

 教会の、古びた祭壇で。


「シャルロッテ様⋯⋯」

 顔を上げては、うつむく。

 やっぱり理由があって、わたしは招かれたんだ。

 つまり、わたしじゃないとダメだったんだけど、わたしではお役に立てそうにないんだ。

 申し訳なさでいっぱいになる。


「本当に勝手な話ではありますが、お聞き願えますか?」

「もちろんです。悩める者を支え、助けることほど聖職者にとって喜ばしいことはありませんもの」


 彼は再びわたしの目をのぞきこんで、伏せかけた瞳に、長いまつ毛がかかる。後悔と戸惑いが交互に顔を見せる。


「失礼ながら⋯⋯右手をこちらに向けてお出しいただけますか?」

「手を? このようでよろしいでしょうか?」


 慎重に、言われた通り右掌を、彼に向かって差し出す。彼が差し出した掌と同じように。少し恥ずかしい。ユーリ様の手は、鍛えられた身体に似つかわしくない、滑らかな指を備えていた。

 掌と掌が、少しずつ重なろうとする。

 グリザから発せられる熱とは別のエネルギーの流れが、注ぎ込まれてくる。


「あっ!」


 光が、部屋を照らした! わたしは一瞬、目を疑った。


 ユーリ様の銀髪を思わせるような、神聖な輝き。

 光はとめどなく、重ねた掌から溢れ出す。

 その性質は正に清浄。

 清らかで、心地よい。

 さっきまでの身体の不快感が消えていく⋯⋯。


「やはり、思った通り、私たちは『つがい』のようですね」


 ユーリ様は悲しそうに微笑んだ。

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