第3話 長い銀髪
あの手紙の意味するところはなんだったんだろう⋯⋯と思いつつ、手を動かしていたら朝が来た。
まるで、聖女なら誰でもよかったというわけではない、とも取れる内容。
であって、社交辞令にも取れなくない。
でも、あんな夜更けに⋯⋯。
煩悩を振り切って、刺繍糸を小さな
「わたしはご迷惑だと申し上げたんです。こんな夜更けに女性を訪れるなんて、ここでは当たり前のことなんですかって! ええ、きつくそう言ったんです。
そうしたらいけしゃあしゃあと、『これだけ聖女様に渡していただけたら良いのだけど』なんて言って!
シャルロッテ様みたいに黒いマントのフードまでしっかり被って、顔も見せずに去っていきましたよ。家臣の躾がなってないんじゃないですかね。わたしも貴族のことはよくわかりませんけど」
出立する寸前まで、シイナはプンプンだった。
でもわたしの頭の中は、あのロマンティックな手紙と薔薇でいっぱいだった。
社交辞令かもしれないけど、こんなに素敵なことがわたしの人生にあるとは思っていなかったもの⋯⋯。
「今日は御髪をいつもより一段と綺麗にまとめますからね。シャルロッテ様の威厳と神聖さが増すように、シイナ、がんばります!」
わたしの苦手なゆるやかにうねる黒髪は、いくつかの編み込みとともに綺麗にまとめられてしまった。
世慣れてない貴族の娘のように鏡に映って、いつもの修道服までもがよれた布ではなく、まるで良質な布地でできているように見えた。
「へへ」とシイナは鼻を擦り、わたしたちは伯爵家からやった来た、かつて見たことのない高級な馬車に乗った。
馬車には仰々しく、護衛騎士がふたりも付いていた。ふたりとも、シイナの話していた通り、わたしのようにフードまでしっかりマントを着込んでいた。
革張りのシートには『聖なる方へ』とカードの付いた昨日と同じ赤い薔薇の花束が置かれていた。
◇
お城への道は、勾配のある坂道を森を抜けるように、何度も道を折りながら続いていた。
昨日までの平民用の馬車では、お尻がもたなかったかもしれない⋯⋯。そう思うとゾッとした。
緑の深い森を抜けると、目の前が緩やかに開け、黒い岩造りの頑強そうな城が現れた。
ところどころに黒曜石が嵌められているのか、太陽光を反射している。
どちらにしても、想像の上を行く城だった。
城の周りには水濠がぐるりと廻り、御者の話では城の裏手には湖があり、その向こうには岩壁がそびえる断崖と険しい山々が続くとのことだった。
ぽかん、としているうちに、馬車は下ろしてもらった橋を渡り、城壁内に入った。
伯爵が付けてくれたという護衛騎士ふたりのうちのひとりがさっと馬を降り、馬車の扉を開けた。
騎士はわたしに手を出し、城に圧倒されていたわたしは無意識にその手の上に手を乗せた。
すると騎士はスルッとかぶっていたマントのフードを脱ぎ、その顔を露わにした。歳の頃はわたしよりずっと大人。極端に白い、失礼かもしれないけど貴婦人のように女顔で。
青い瞳⋯⋯。
わたしが窓から見つめていた、5月の青い空のような、突き抜けるような青。
思わずじっと見つめてしまって、相手は照れくさそうに笑った。
さらりと髪が頬に落ちる。初めて見る銀髪は鈍く光るシルクの糸のようで、後ろに赤い細い紐で長い髪をひとつに結わえていた。その髪を揺らすように、突然風が吹いた――。
記憶する限り、銀髪は黒髪以上に珍しい。
◇
「我が城にようこそ、聖女シャルロッテ様。こんなに遠くまでお越しいただき、感謝しております。本来なら私が――」
「伯爵様、聖女様が固まってます! ご挨拶はマナー通りに長過ぎず」
「これは申し訳ありません」
『伯爵様』と呼ばれた人物は片膝をついて、座った。わたしの手を離さずに!
繋いだ手に戸惑っていると、彼は口を開いた。
「お待ちしておりました。ヴィルヘルム伯ユーリエと申します。お会いできて光栄です」と。
ハッとして、習ったはずのマナーを思い出そうと慌てると声が出ない。あたふたしながら、怪しい挨拶をする。
「こちらこそ、お迎えありがとうございます。教会から参りましたシャルロッテと申します。どうぞよろしくお願いします。⋯⋯昨夜のお手紙、ありがとうございました」
伯爵様はなにかに満足したように、にこっと笑った。そして「お気に召しましたか?」とくだけた口調で言った。
高貴な方なのに、まるで野に咲く花が開くような微笑みだった。
◇
城に入ってからは大騒ぎだった。
それはわたしが黒髪の聖女だからではなく、伯爵様が『エスコート』したまま、手を離すことなく部屋まで案内なさったからだ。
あちこちで使用人たちが、なにかをこそこそと話している。目が合うとさっと頭を下げる。
⋯⋯ヤバいところに来ちゃったんじゃないかなぁ?
なんか、聞いてたのと、違うような。
あの時、『聖女を求めている』と教皇様からうかがったけど、なんだか個人的に過剰な歓迎を受けているような!? ⋯⋯思い違い、甚だしいかも。単に伯爵様の信仰心が深いのかもしれない。
考えすぎ、と頭の中に蓋をした。
「ではこちらの部屋をご自由にお使い下さい。シャルロッテ様の御髪が映えるように、白を基調とした部屋に作りました」
「⋯⋯はぁ? えと、わたしが黒髪だと前もってご存知だったのですか?」
「なにかお気に召さない点でも?」
はぐらされた?
いやいやいや、わたしに合わせて作らせた部屋ってなに? 白っていうか、ところどころのアクセントがゴールドだし。
聖女だから金色なの?
あの大聖堂の老人たち、わたしになにか隠してたんじゃないの?
だってまるでこれじゃ、わたしが⋯⋯んー。
わたしが、女主人になるみたいじゃないの?
「それにしても美しい御髪ですね。光を浴びた時のツヤが素晴らしい。わたしはあなたをずっとずっと待っていたのですよ。罪作りなお方ですね」
「あのー、なにを仰ってるのかまったくもってわかりかねるのですが」
「え⋯⋯。私の表現はあまりに婉曲的で言いたいことが伝わっていないのでしょうか? 申し訳ありません、こんな辺境におりますから、社交術にも疎く、高貴な女性と話す機会もなかなか持てなかったもので。気持ちの昂りを上手く抑えられなくて」
「伯爵様が一度にたくさん、説明もせず、突っ走るからですよ!」
伯爵様の眩しさで見えていなかった、馬車に同行していたもうひとりの騎士がボソッとそう言った。
わたしは目を見張った。
⋯⋯見間違いじゃないかな? だって、こんなに遠いところにいるはずないでしょう?
「あ、やっとお気づきですか? 覚えていらっしゃるかな? お小さい頃にご一緒に遊ばせていただいた⋯⋯」
「あなた、パズ?」
「そうですよ、ロッテ! ああ、懐かしい! 教会のみんなはどう⋯⋯」
こほん、と伯爵様は咳払いをした。
「この者は地主の家で見つけ、労働環境が悪辣だったため、城に召し上げました」
こほん、とパズも咳払いをした。
「聖女様、この度は再びお目にかかれて大変うれしく存じます。久しぶりにお会いした喜びから礼儀を欠き、申し訳ありません。なにかありましたらすぐにお呼びつけください」
「縁もあるでしょうから、この者を従者にしましょう。いい拾い物をしたようで、これでもかなり腕の立つ者ですから」
「身に余るお気遣いありがとうございます。しかし聖女フランティア様は、わたしがこれ程の贅沢をすることをお許しするとは思えません。お力になれるかわかりませんが、領土の浄化のためにお力添えするために参りました。どうぞ使用人のひとりとして数えてくださいませ」
わたしは顔の前で指を組み、敬虔な顔で目を閉じた。
⋯⋯うう、冷や汗が。
「そうですか······。お気に召しませんでしたか。やはり侍女頭の話をもっと参考にして聞くべきだったのかもしれませんね。聖女様はまだお若いですし、部屋が華美すぎたかもしれません。⋯⋯すみません、この日を待ちに待っていたもので一足飛びにいろいろなことを抜かしてしまったようですね」
憂い顔も美しい。
青い瞳に、存在感のある長いまつ毛が影を落とす。
⋯⋯いえいえ、いろいろ誤解があるような。
「伯爵様、聖女様もお疲れでしょうから、とりあえず詳しい話をするまでは客間にお通ししたらいかがでしょうか?」
「客間か」
伯爵様は背の高いほっそりした侍女を呼びつけるとなにかを確認していた。
「⋯⋯シャルロッテ様、地味な部屋ですが湖のよく見える部屋にご案内いたしましょう。客間の中ではもっとも景観が美しいかと」
「ありがとうございます」
部屋ひとつでどうしてこうなった?
ぐるぐる頭が回り、なんだかぐったり疲れてしまった。えーと、と考えてみても、今起きたことの記憶がまとまらない。まるで洪水のようだった。
◇
次に通された部屋は薄い水色の壁に、木調の家具が置かれた落ち着いた部屋だった。
ほっと力が抜けて、高級であろうソファに、行儀悪くドサッと座った。座り心地が馬車とは段違い。
置いてあったゴブラン織りのクッションを抱える。
パズ、とりあえず生きてた。
教会のみんなに教えてあげたい。
黒髪の聖女も稀だけど、黒髪の騎士も聞いたことがない。
⋯⋯伯爵様のお陰?
伯爵様の細く長い銀髪を思い出す。
高貴な方だけに顕れると聞いたことがある。貴族として、純血の血統なのかもしれない。よく存じ上げないけど。
一体、伯爵様はなにをお考えなんだろう? なにを思ってああいう行動に出たんだろう?
疲れた。
なにもかも投げ出したい。
わたしは思うがままに身を任せて、ソファに倒れるように横になった······。
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