幕間1
第19話 アプリコット危機一髪! 前
カルミア・グレインヴェーゼの身分を示す名札を胸のスーツに挿し込むと、私は裁判所の待機室に置かれていた新聞を広げた見出しを見てうなります。
【ロッドシティ中央駅に突如魔物が出現!】
「うう……アプリコットぉ……」
新聞の見出しと共に載せられた写真には白黒のアプリコットの顔写真。名前を書かれたボードを手に持った彼(?)は新聞で連日報道されました。
最初は駅で逮捕された時の写真。次は抑留された独房の写真。次は荷物の検査を受ける写真。
ハム族を直接目にする機会がなかったのか。ロッドシティの人々が新聞屋に列を為しているのを見ました。
結論から申し上げますと。私達への検事さんからの逮捕命令は1時間も経たずに撤回されました。ただ列車に乗っただけの魔物を持ち込んだとするのは、証拠が不十分であり身柄を必要性が認められないと言うことでした。
証言が集まって行くうちに私たちの疑念は晴れていきました。ロッドシティの警吏さんたちは数回の証言をそんなに深く追求することなくそのまま受け入れてくれたのです。
しかし、私達の罪がないと決まれば。今度はアプリコット自身が密航者として追及されることを意味しました。
検事が起訴したと言うことは弁護人が必要ですが。私たちが解放されたと同時に弁護人の男性がやって来てくれました。かなり屈強で元は将校さんだったとか。ハイゼルさん曰く、その弁護士事務所は金を積むことになるが働きはしっかりとしたところ……らしいです。
アプリコットのかけられた罪状は、数百年前のイングリウム王が出した、首都のロッドシティをはじめとした諸都市から魔物を排除する「魔物追討令」。かつて魔物が闊歩していたアルビオン島には多くの魔物が居て入植した人間を襲ったり、家畜を盗んだりしたそうです。
その過程で出されたのがこの命令です。検事方はこの命令が国内法として適用し、アプリコットを追放しようとしています。
違法な魔物の侵入を手引きしたサプライライン社と言う形に持ち込んで、それからディステル社長の将軍大権発動を追求する。
……なるほど。たしかに検事方は合理的な戦法をとってきます。
待機室には私一人でした。ハイゼルさんやディステル社長達は別用で忙しく。私も龍剣士として休暇が必要と言われましたが、どうしても心配でわがままを言ってやって来たのです。
コンコン……。
木の扉から乾いたノックが2度鳴ります。どうぞと私が返すと見慣れない壮年に近い男性が立っていました。私は頭が固まりました。
検事さんの服装でなければ、見知った弁護士さんでもない。法衣でないので裁判官さんでもないし……。ただスーツを着ただけの事務員さんにしては余りに雰囲気が違います。
整えられた灰色の髭と顔の見えやすい白と黒が混じったオールバックの彼は「失礼する」と言ってから部屋に入りました。
害意はないようですが。それ以上に何者であるかが気になります。勲章も装飾のないただのスーツのつもりであるつもりでしょうけれど、よく反射する黒は手に入れられる人間は非常に限られたものです。
「すみません。あなたは?」
「今は、言わない。ただ君達の相談役に頼まれて来た。敵ではない」
「それは失礼いたしました」
柔らかいながらも、しっかりとした口調。弁論をたしなむ人間ほどではありませんが、素人でもないようです。ですが名無しは困りますので紳士さんと呼びましょう。
「いくつか聞きたい。グレインヴェーゼ伯についてだ」
「……おじい様のことでしょうか」
「そうだ。ファルケインのことだ」
ファルケイン。おじい様の名前です。恐らく紳士さんはおじい様の古い友人なのでしょう。
「ファルケインと貴公。いや、君はどのような思い出があるのかを」
「思い出ですか?」
変な事を聞きます。何を教えられたとか、昔彼と私はこうだったとかではなく。思い出?
「おじい様から褒められ……戒められた事があります」
「ほう」
「カーライルの街で盗みに入られたことです。おじい様や地元の警吏の方が不在で、私は領主の代行として申し渡しをしたことがありました」
……
ただ、その時に私は功利……いえ人の役に立てることに喜びを見出していました。
自分がこの身分に生まれたからには善人と悪人を報いる者になりたかったのです。
街に立ち寄った商人から盗みを働いた少年を、私は普通の大人と同じように牢屋に禁固するようにと言い渡しました。
彼は「自分には食わす仲間がいる」と言いました。私はどうすればいいのか分かりませんし。理解が出来なかったのです。法にはそのようなことは書いていませんでしたから。
おじい様と警吏の方が帰って来てから、私は自分の手柄を伝えました。その時、おじい様と警吏の方は顔を見合わせてから。おじい様は首を横に振りました。
「よくやった。ただ、お前は自分の務めを果たしたのだ」と頭を撫でてくれました。
少年は数か月後に牢を出ました……そして、しばらくしてから城砦の前で。
飢死した子供達の亡骸を並べ、彼は自裁しました。見つけたのは私です。
私は、彼と子供達を死に追いやったのです。
そうつぶやいた時、おじい様は違うと言いました。
「法と秩序を全うした結果に死が伴うなら、それは法と秩序の欠陥であり。完全に運用した人間の責ではない」と。
責任逃れと言えばそれまでですが。おじい様と警吏さんは少年とその仲間を知っていました。知っていて逃がしていました。
私は法を全うし、おじい様は法を曲げていました。
ですが、それはどちらが「正しかった」でしょうか?
―――
「ファルケインは相当。君の事を買っているようだ」
「なぜです?」
「若い頃の奴は、厳格で何でも人に言い聞かせる人間だった。ただ、あまり出来の良くない奴ばかりを相手していた。出来る者には口ではなく行動や少ない言葉によって模範を示していた」
「それは、そうなのでしょうか」
「うむ。私が保障しよう」
紳士さんは少し微笑んでからうなづくと部屋の時計を見ます。
「そろそろ開廷の時間だな」
「……どのような形であれ、アプリコットは悪い魔物ではありません」
「分かっている」
あがきのように言ったアプリコットへの弁護を紳士さんは微笑みで受け取りました。
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