第10話 滴り
昼過ぎになってからアリーシャは水面を鏡に身だしなみを整える。いつもつけている花の髪飾りを外して近場の岩に置いた。
振り返って焚火の方を見やるとアプリコットが岩の上にまな板を敷き、ナイフを器用に使って川魚の肝を取り出すのを子供達が見学している。
「おでかけでしょうか」
銀髪の青年、ハイゼルがアリーシャに話しかける。彼の細い目は突き刺すようでアリーシャは努めて冷静になろうと返答する。
「はい。これから近場の漁村に」
「漁村ですか。ここら辺は無人地帯と思っていましたが」
「ええ。漁村の方々は森の中の事にはあまり関わりたがりません」
「でしょうね。……ところで聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょうか」
「あなたとロベニアの関係を聞かせてもらえませんか。出会った時や、ここまで至ることなど」
「ロベニアと出会ったのは大火のあと数日後です。私の住む村落にたどり着いた彼女はとても立っているのがやっとのようで……」
―――
それから村落で役人をしていた父が引き取る事になったんです。
私が彼女の世話をしている間、彼女はあまりしゃべることはしませんでした。
ある日兵士が訪ねてきました。ここに怪しい人が来なかったかと。
父がどう考えていたのか分かりません。ただ家の裏から私たちに村落を離れるように言うとそのまま……。
振り返ると村は燃えていました。私はいつの間にか彼女に手をひかれて森へと逃れたのです。
森には同じ兵士に村々を燃やされた人々が集うようになりました。度々襲い掛かって来るイングリウムとアルバの兵士を彼女は追い払ってくれたんです。
ただ……元より装備にあった龍結晶の輝きが失われ、彼女が持っていた未加工の結晶を使わざるおえない時があったんです。
その時、いつもは優しい彼女が……まるで別の人のようにとても冷たくなる時があります。
眠っている時に額に手をあてると、ものすごい熱があって。しばらく寝込んだりするんです。
―――
「使わざるおえない状態とは? それは人に向けられたものですか」
「火が欲しい時や、木を断ち切りたい時です。人へは向けていません」
「それならいいですが……ところで」
ハイゼルの目線が彼女の懐にある小さな本がしまわれているであろう場所へと向けられる。
「先ほどの子供達への授業。歴史の本ですか?」
「はい。……焼けた村落の残骸から見つけたものです」
「……」
「気になさらないでください。きっとこの本には焼け残った意味があるのでしょう」
「そう……でしょうね」
言葉を濁すハイゼルにアリーシャは微笑む。
「いいんですよ。確かに金色のハム族の方が教えている。生きる為の手段こそが子供達には必要です。では、私が子供達に歴史を教えることに何の意味があるのか……」
自分でも分からないんです。
その先を言ってはいない。ただハイゼルの脳が勝手に補完しただけだ。
自嘲気味に笑う彼女と先を紡げない言葉が答えではあるが。
「アリーシャさん」
「はい」
「例え本が。例え街や生活が焼き尽くされても。頭の中までは燃やし尽くすことは出来ませんよ」
「ええ。そうです」
自分が何を言っているのかと我に返ったハイゼルは失礼と言ってから立ち去った。
「さて。そろそろね」
アリーシャは籠にアプリコットが集めた木の実などを入れたのを確認すると漁村へと歩き始めた。
―――
――
―
子供の一人が岩場に置かれた髪飾りを指し示す。
「あれ? アリーシャ先生。忘れちゃったのかな」
「さっきまで居たから届けてあげようよ」
もう一人の子供がそう言った。
「ピピ?」
二人の子供達の会話に興味を持ったアプリコットが近づくと髪飾りを手に取って匂いを嗅ぐ。
「アプリコットさん。届けてくれる?」
「ピュイ!」
微笑んでうなづくアプリコットは焚火に串刺しにされている川魚とそれらをほおばる子供達を指さして二人を誘導すると、素早くアリーシャの匂いを辿りながら走り出す。
「♪♪」
軽快な速さと鼻歌で駆けるアプリコット。
「♪♪」
植物が踏み倒されただけの道。
「……」
足を止める。
空気の匂いを嗅ぐ。
今度はそこへ走り込む。軽快なステップではなく足を踏みしめて時間を惜しむ為の全速力。
先の道に居るのは数人の人影。足元には散らばる木の実。
両脇から立たされた、ひときわ小さな人影から複数延びる不自然に細いモノ。それが矢であることはアプリコットにも分かった。
「ピュイー!」
アプリコットが叫ぶと周りの人影は慌てて小さな人影を捨て置く。
倒れた人影のところまで行き着くと、仰向けに転がされ胸部に深々と刃物が突き刺さったアリーシャが、苦悶の表情で細い息を吐いていた。
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