公園での会話
三鹿ショート
公園での会話
奇妙な動きをしている人間が、目に入った。
家の周囲に何らかの液体を撒くその姿があまり目にしない光景だったために眺めていると、やがてその人間は家から少し離れた場所まで移動し、燐寸に火を付けた。
その一連の行動から、彼女が何をしようとしているのかを察し、思わず声をかけてしまった。
驚いた拍子に燐寸を落としてしまうのではないかと思ったが、彼女は燐寸から手を放すことなく、私に振り返った。
悪事に手を染めようとしていたところで声をかけられれば、誰もが驚くだろう。
だが、彼女は目を見開きながらもその場から逃げ出すことなく、燐寸の火を消すと、私に近付いてきた。
口封じとして危害を加えようとする様子には見えなかったために、私は彼女の犯罪行為など見ていなかったのだと誤魔化すかのように、
「このような時間帯に出歩くなど、危険ではないか。早く帰宅した方が良い」
笑みを浮かべながらそう告げると、彼女は驚いた様子を見せながらも私に頷き、その場を後にした。
放火によって何者かの生命が奪われることもなく、同時に、彼女が悪人と化すことがなかったことに対して、私は安堵の息を漏らした。
***
彼女が放火をしようとしていた家の眼前に存在する公園の長椅子に座り、無為に過ごしていたところ、彼女が姿を現した。
私は思わず身構えてしまったが、彼女は何も告げることなく私の隣に腰を下ろした。
無言の時間が辛いわけではないが、落ち着くことができなかった。
だからといって、何らかの話題を提供することもできなかった。
どうするべきかと焦っていると、不意に彼女が口を開いた。
「私の悩みを、聞いてくれますか」
思わぬ言葉だったが、彼女の機嫌を損ねるとどのような事態に発展してしまうのかが不明だったために、私は首肯を返した。
いわく、彼女は会社の上司から交際を迫られていることに困っているらしい。
彼女はその上司に対して好意を抱いていないが、それを正直に伝えれば、会社での今後の立場が危うくなるのではと心配しているようだ。
もしかすると、放火しようとしていたのはその上司の家なのではないかとも考えたが、わざわざそれを告げることはなかった。
転職をすれば良いという答えが最も良いのだが、それを伝えたところ、彼女が現在の会社から去ることは避けたいということだった。
他に交際している相手が存在しているという答えはどうかと伝えると、彼女には既に交際相手が存在しているが、それを伝えれば交際を断った場合と同じ結果と化してしまうのではないかと心配しているらしい。
それならば、私ではなく交際相手に相談すれば良いのではないかと考えたが、互いに知らない相手ならば、忖度の無い回答が得られるということなのだろう。
腕を組んで唸っていると、
「上司の裏切り行為に加担することも避けたいのです」
不意に、彼女がそのような言葉を漏らした。
どういうことかと訊ねると、その上司には妻が存在しているらしい。
それならば、答えは簡単ではないか。
上司の妻と結託し、その上司を追い詰めれば良いのだ。
二人の女性から責められ、同時に、上司の上役に事の子細を伝えると告げれば、その上司が迫ってくることも無いだろう。
そのように伝えると、彼女は納得したような様子で頷いた。
後日、上司から理不尽な要求をされることなく無事に問題は解決したと、彼女は報告してくれた。
彼女の笑顔を見て、私もまた、嬉しくなった。
***
それから私は彼女と公園で度々会うようになった。
雑談をしただけで時間が終了することもあれば、上司との一件のように相談をしてくることもあった。
私は他に何もすることが無いために、何時しか彼女との時間を楽しみにするようになった。
しかし、私は彼女の交際相手に申し訳なく思い始めた。
我々の間には肉体関係が無いものの、彼女との時間を奪ってしまっているのだ。
それを伝えると、彼女は口元を緩めながら、
「その程度のことで怒りを露わにするほどの人間ではありません」
そう答える姿から、よほど交際相手のことを理解しているのだろうと察した。
誰しもが、彼女とその交際相手のような関係を築くことができれば良いものだ。
***
今では冗談を言い合うほどに親しくなったため、私はかつて抱いていた疑問を発しても問題は無いのでは無いかと考え、彼女に問うた。
「何故、あの家に放火しようと考えたのか」
私が指差した家を見て、彼女は途端に表情を暗くした。
訊くべきではなかったのだと慌てて質問を取り消そうとしたが、それよりも先に、彼女は口を開いた。
「私と交際相手との関係を否定した人間たちが住んでいる家なのです」
彼女が話してくれたために、私は続けることにした。
「何が問題だったのか、訊ねても構わないか」
「男性と女性という点で物事を見れば、問題の無い話だったのですが、そうはいかなかったのです。ゆえに、我々は家を飛び出し、誰も知らない土地で新たな生活を始めることにしたのです」
その言葉から、彼女が血の繋がった相手と関係を持ったのでは無いかと考えた。
つまり、彼女が放火しようとしていたのは、自分たちの実家だということなのだろうか。
私がそのようなことを考えている中、彼女は続けた。
「ですが、彼らは私の交際相手だけを密かに呼び出すと、延々となじり続けたそうです。私の交際相手を、人間では無く獣だと罵ったとも本人は語っていました。私の交際相手は、それでも怒りを露わにすることなく、事実を受け止めました。その殊勝な態度を見て、私はますます怒りを強めましたが、私を制止し続けたのです。自分のことを愛することができなくなってしまうほどに、苦しんでいたにも関わらず」
そこで彼女は、長椅子の背後に存在する大木を見上げながら、涙を流した。
その行為には何の意味があるのだろうかと疑問を抱いたが、私には分からなかった。
ただ、彼女を放っておくことができないという感情だけが、私を支配していた。
公園での会話 三鹿ショート @mijikashort
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