第6話 アイリス

 秋也と会った数日後、大学の飲み会で女の子がフラメンコを習いだしたのだと話し始めた。どうでもいい内容だ。


「他の通ってる人たちと食事する機会があったんだけど、意識高い系の人がいてさー。フラメンコをもっと上手に踊るために基礎をしっかりさせようとバレエまで習い始めたんだって」


「すごいねー」

「だよねー。あたしそこまでできない」


 俺は心に何かがひっかかってモヤモヤした。


「そういえば前指導に来てた美田園キミコの半生をドラマ化したやつが明日流されるらしいよ」


 これもまたどうでもいい世間話。

 なのに、なぜなんだろう。

 とても重要な情報のようにやけに記憶に焼き付いた。


 翌日、夕食を食べて皿も洗って、暇になった。

 テレビでも見るか、と電源を付けたところでドラマ化の話を思い出す。


 テレビ欄で確認したら五分後開始だ。

 チャンネルを回し、神妙な気分で待つ。


 はじまった。

 美田園キミコは幼いころからバレエに日舞にピアノを習っていたらしい。

 お嬢様だ。


 つらい食事制限や練習があったけど、つらいだけじゃなくて楽しかった、か。

 ふと、秋也の言葉を思い出した。


「今も楽しいよ」


 今も、といった。

 コーチをしている瞬間だけじゃなくて、その前。

 自分が野球部員だったときの練習も楽しかったんだろうか。


 あんなにきつそうだったのに?

 泥まみれで、時には疲労のあまり倒れて。

 吐いたりしてたのも見た。


 それでも?


「なんで落ちるの」


 テレビの中で二十歳の美田園キミコが泣いていた。

 お嬢様大学に入って、踊りはもう小さいころからやってるから新しいものをと演劇サークルに入った美田園キミコは演技する快感にはまっていた。


 でもミスコン優勝の同級生が主役で脇役ばかり。

 サークルでダメなら外の世界でとオーディションを受けまくるが落ちていた。


 美田園キミコは努力していた。

 美しい姿勢を保つのにいいからと幼少の頃より習ってるバレエと日舞を継続し、腹式呼吸を完ぺきにするためにボイストレーニングも受け。


 なのに、顔だけの女が主役をやっている。

 努力は無駄なのかもしれない。

 心がくじけそうになったとき。


 サークルの花、主役の女性が顔に擦り傷を作った。

 すぐ治るけどその間お願いと代役を任された。

 はりきって演技して、たまたま見に来てたテレビのプロデューサーにスカウト……というかスカウト未満なのだが、声をかけられた。


「今度、『東京ダンス娘』っていうドラマをやるんだけど、主役をオーディションで選んでるんだ。受けてみるといいよ」


 結果はお察し。

 ダンスの迫力が人目を惹き、あっというまにトップ女優の仲間入りを果たした。

 俺は、ドラマを見ているうちにあの日の美田園キミコの言葉を思い出した。


「努力は報われるというのは嘘よ。成功するか否か決めるのはほとんどは運。でもね、最初から努力しない人には運もついてこないものなのよ」


 主役が怪我したのはたまたまだ。

 舞台をプロデューサーが見ていたのもたまたま。

 運だ。


 だけど『東京ダンス娘』の中で披露したダンスは幼少より培ってきた経験が生かされたもの。

 人を魅了したのはまさにそのダンスだった。

 運よく主役の座を掴んで、でもダンスという努力の結晶がなければ一世を風靡したりしなかった。


 運が向いてきても、その運を活かせなければ意味はない。

 美田園キミコは、番組の最後にこうも言っていた。


「努力が報われて嬉しかったけど、でも報われたいからした努力ってわけでもなかった。楽しかったのよ。楽しかったから続けてこれた」


 運を活かすには普段の努力が必要なのだ。

 それも、楽しんでやる努力。


 やっとわかった。

 秋也をまぶしく感じた理由。


「俺も……今からじゃ遅いかもしれないけど……やらないよりマシだ!」


 俺は小学生の頃にあきらめてしまった「役者」への夢、情熱が再びよみがえってきて、なんだかすごくワクワクした。


 次の日から、サークルは俺にとって飲みのためのものじゃなく、演技するためのものになった。

 美田園キミコの教えていた基礎をしっかり身に着け、本気でやっていたメンバーたちに教えを請い、大学卒業後は劇団に入った。


 劇団だけでは当然食っていけずアルバイトもした。

 内容は、腹式呼吸を完ぺきにするために受けたボイストレーニングを活かしてパブで歌手。


 そういや、ボイストレーニングも受けようと思ったとき、フラメンコのためにバレエを習う人のことを思い出した。

 その人の気持ちがいまではわかる。


 昔以上に演技にはまった俺は、上達するのが嬉しくて楽しくて、努力せずにはいられなかったのだ。


 そうこうしながら劇団を続けて、スカウトされてプロになった先輩の伝手でテレビドラマの端役に選ばれた。


 そのドラマには、美田園キミコがいた。

 主人公の母役だ。

 俺が演技に惹きつけられた『盲目のシンデレラ』からはや二十年。


 彼女は大女優になっていた。

 俺も年を取るはずだ。


 俺は、ドラマでの出番が最後の日、迷いに迷った挙句、美田園キミコにアイリスの花束を渡した。


「なに、これ?」


 最終回後の打ち上げでもないのに花束?

 と首を傾げられた。


「アイリスの由来は、ギリシャ語のイリス……虹、だそうです。あなたは俺にとって虹みたいな人だから」


 それと『盲目のシンデレラ』のオープニングにこのアイリスの花束が映っていたから。

 彼女は、意味不明という顔をしながらも。


「ありがとう」


 そう言って受け取ってくれた。

 雨上がりの空の虹。

 夢をあきらめてから雨降りでじめじめしていた俺に、晴れの空の虹を、努力した時に見える道を示してくれた人。


 あなたは、永遠に俺のアイリスです。




 おわり

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あなたは俺にとって虹みたいな人だから 音雪香林 @yukinokaori

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