第四話:交錯
「よし、全員揃ったな。ではこれにて実技練習を終わりにする。各自忘れ物がないようにするように。私からは以上だ――名瀬先生からは何か?」
「そうね……この後は午後から昼食を挟んでから座学に入りますが、昼食までまだ時間もあるので、皆さん早めにシャワーを浴びて休憩してくださいね?」
実技練習が終わり、訓練機を脱ぎ、全員集合した中で槇羽先生と名瀬先生はそう言うと
「では各自着替えて自室に戻り、昼食まで待機するように――では、解散!」
槇羽先生がパンッと小気味よく両手を合わせると、魔法が解けたかのように一斉に動きだす皆さん。
「舞弥さん」
「うん」
私達もそれにならって動きます。
着替えが終わり、ホールを出る途中、私は考え事をしてしまい男子生徒――見覚えがないので恐らくB組ではなくA組の方?――にお互いの肩が当たってしまいます。
(あっ……)
「ごっ、ごめんなさいッ」
慌てて謝る私を横目に、男子生徒は
「おい、気をつけろよな”ドーター”。」
「……ッ」
”ドーター”――専用機を持つものへの差別として使われる言葉――と呼ばれ、私は怯みます。
男子生徒は怯んだ私を一瞥し
「ちっ、こんなのでも入学時の成績が良ければ”専用機持ち”になれるんだから安い、なぁ!!」
と舌打ちすると同時に周りに文字通り”大声で尋ねる”男子生徒。
周りからの返しは様々でした――聞かぬふりをする生徒、クスクスと薄笑いをする生徒、そもそもその話が入っていない生徒など――が、私の精神を削るには十分でした。
「ぁ……ぅ……ぇ……?」
怯む私。それを見た男子生徒は続けて
「てか、噂に聞いたんだけど、君、中学時代いじめられてたらしいじゃん? やっぱ女だから
「ッ!」
(その情報……一体どこから……)
ここは昔いた地域とはかなり離れているはず、それに県だって違う。じゃあどこから……?と一抹の不安がよぎります。
私が何も話さずにいると
「あ? なんだその眼? 何? ”専用機持っていれば男なんか怖くない”みてぇな眼だなオイ?」
「そんな……つもりじゃ……」
「ねぇ、何てこと言うの!? ただ肩が当たっただけでしょ!?」
私をカバーしようと舞弥さんがヒステリックな声を隣から発します。
「まぃ……や……さ」
しかし男子生徒はその声を強引に静止し
「キンッキンうるせぇな……! 結城ッッ!!」
舞弥さんに対して語気を強くした男子生徒の、低く音圧の強い言葉は私のある記憶をフラッシュバックさせました――それは
『おいうるせぇぞ!!』
「――ひっ……! ぅ……あ……お、お父様……!」
「あ?」
思い出すと同時に顔が瞬時にひきつる私。その声は小さいときに家庭を支配していたお父様――父親の語気にそっくりだったのです。
途端に身体から力が抜け、その場にへたり込んでしまいます。
(あぁ、この人も同じなんだ)
混乱しながらもそう思う私。内心パニックになり自分の理性ではどうしようもないほどに感情が入り乱れます。
パァン……!!
すると突然、そんな小気味のいい音がし、ふわっと嗅ぎ慣れた香りがしたかと思うと目の前に女性の影が現れました――舞弥さんです。
「桜那に謝って?」
舞弥さんはにこやかに言うと、相手――男子生徒をその怜悧な眼で睨みます。
「――っ
「なんの騒ぎだ!! ――おい、何してる!!」
男子生徒が舞弥さんに対して拳を振り上げた刹那、低く切迫した声が辺りに響きます――槇羽先生です。
槇羽先生の隣には男子生徒が――おそらく彼が知らせてくれたのでしょう――私達を指していました。
「けっ」
と男子生徒は吐き捨てると足早にその場を後にします。
「おい待て! ……大丈夫か?」
槇羽先生は男子生徒を追わずこちらに向かい、私のところまでくると心配そうに訪ねてきました。
(……ッ)
「ごめんなさいっ……!」
私はパニックになっている頭をどうにか使い、途中でふらつきながらもホール内から抜け出そうと試みます。
「あっ、桜那ッ!」
途中、舞弥さんの声がしましたが振り向かずにその場を後にします。
「はぁっ……はぁっ……」
ホールの入口、その傍らの壁に体を預ける私。ホールの入口からはわらわらと生徒達が出ています。
「……ッ」
そんな生徒達に気づかれないように身を潜めつつ、太ももにつけた小型のポーチから液体の入った小さい薬――分包を取り出し
「――んくっ」
封を切り、中に入っている液体を口にします。
(……ふぅ)
飲み終わると同時に飲み空をポーチにしまい、あたりを見渡します。
(――だれ……も見て……ない……よね……?)
周囲を見渡すと、ホールの傍らだからでしょうか、誰も気づくことはありませんでした。
(舞弥さんはもう行ったかしら……)
認知バイアスの一種により薬を飲むことで一旦の落ち着きを取り戻した私は、小さく深呼吸をしホールの入り口付近を見ます
「桜那――!!」
すると、その方向から、長身かつ金髪な一人の女性が出てきます。彼女――舞弥さんは、きょろきょろと周りを見渡すと、険しい表情をしながら遠ざかっていきます。
薬の効果でようやく回ってきた頭を使って脳内の整理をしていると、先程舞弥さんの静止を振り切って出てしまったことを考え
「ごめんなさい……」
と、まるでそこに舞弥さんがいるような口調で独り
◆
「あっ、桜那ッ!」
数分前、ホール内玄関に響く声。舞弥は桜那を静止させようと手を伸ばすが、その手は空振りに終わってしまう。
(どうしよう……”アレ”が他の生徒にバレたら……)
――自閉症。”ASD”と呼ばれるそれは、まさに桜那の秘密の1つであり同時に二人だけの秘密の一つでもあるのだ。
流石に教員間では配慮上共有されているとは思うものの、生徒間では当然ながら共有されてはいない――されていたらそれこそ問題だが――。その為この事がバレたら
(”いじめ”がまた……)
桜那から聞いた中学時代と同等、いやそれ以上のいじめが起きてもおかしくはない。
(いや、考えてる暇なんてない……桜那と会って落ち着かせないと……)
舞弥はそう思うと同時に
「待って……!」
「あっ、おい、待て!」
後ろから聞こえる教員――綺更の声を無視し、舞弥は桜那が出ていった方向に足早に向かうのだった。
◆
「はぁ……はぁ……」
その後寮内にたどり着いた私は、着くと同時に
「――なんでこんなことに……」
先程の事を思い返します。ことの発端は私が物思いにふけっていたための不注意が原因なのに、こんな大事になってしまったことが――そしてそれに加えて皆の前でパニックになってしまった……もしそれで自分がASDだとバレたら……
(――ダメよ……! 今は考えちゃだめ……!! まずは落ち着かせないと……!)
薬の効能と認知で少しずつ落ち着いてきているとはいえ、まだ油断はできないと悟った私はすぐに考えるのを止め、深呼吸をしてから自室に向かいます。
しばらくして
「着いた……」
見慣れた傷痕まみれのドア、異質な木目、何処か懐かしさを覚えるそのドアの前に私は立っていました。
「舞弥さん……」
彼女は心配してくれているでしょうか、はたまた何も感じずに普段通り過ごしているでしょうか。そんな事を考えながら恐る恐るドアを開けます。
すると
「――桜那ッッ!!」
「――ッ!? ひゃっ……!」
私を見つけるやいなや、がばっと私に覆いかぶさるようにしてハグしてくる舞弥さん。私は思いがけないその行動に素っ頓狂な声を漏らしてしまいました。
「桜那ッ――あぁ良かった……! どこに行ってたか心配したんだよ……!」
「ま、舞弥さん……! 苦しい、苦しいです……!」
ぎりぎりと強くハグをされ、すかさずとんとんっと舞弥さんの背中を軽く叩くと
「――え? あぁごめんね……!」
と力を緩めるのを感じます。
「んっ……。――舞弥さん、ごめんなさい……」
ゆっくりハグを
それに対して舞弥さんは
「謝るのは私の方だよ……もっと早くカバーしてればこんな事にはならなかったんだし……それに」
舞弥さんは続けて
「これで放課後の楽しみ、なくなるかもしれないし……」
「あっ……」
放課後の楽しみ――お互いの推しのアーティストの新曲を聴くということ――が、もしかしたらこの一連の騒動で舞弥さんは反省文を書かされて無しになるかもしれない、と思った私は
「ま、また今度聴けばいいじゃないですか……!」
「うっ……そうだけど……そうじゃなくて……桜那と一日でも多く一緒にいたいというか……その」
(一日でも多く私といたい? なんのことを言っているのかしら……?)
私がそんなことを思っていると
「あ……。そ、そんなことよりさ!立ち話も何だし中入って話そ? ――ほらほら、いつもみたいに入った入った!」
「え、あっ……」
そう言うと私の手を取り、中へ誘う舞弥さん――誘うと言ってもここは私達の自室ですが――。
そして中に備え付けられている二段ベッド、その下段まで移動すると
「ここ、座って?」
舞弥さんは下段のベッドの傍らをぽんぽんと叩くと、座るように促してきます。
私はその促しを受け、ゆっくりとそこ――下段のベッドに座ります。
(ち、近い……)
隣同士――それもフレームを展開していない状態なので、余計に近い――舞弥さんの容姿はミステリアスな顔立ちで、そのミステリアスな顔立ちの中でも特筆すべきは、妖艶且つ怜悧なアイラインです。
そして今妖しげに揺れるその眼差しは、私のアイラインの中――瞳に注がれているのでし
た。
「ま、舞弥さん……その……」
「んー?」
と首を傾げ、微笑するだけで微動だにしない舞弥さん。向かい合わせのこのルームメイトは少なくとも学内では屈指のレベルを誇る美女。同性同士といえどこういった些細な行為にもどきりとさせられます。
(――私なんか……)
コンプレックスの傷痕や火傷痕、思い出したくもない父親や、先程の男子生徒にも遠回しに言われた切れ長のアイライン
(身体だって……)
――実母譲りのゆったりとした肢体。下を見ると、この学校の簡素なデザインの制服をこれでもかというほどに内側から押し上げる2つの大きな脂肪の塊が、まるで私に宣戦布告をするかのごとく強調されていました。
(――ッ)
ふと思い出す義母の一声。『醜い』と放ったあの一声は、私の心の奥深くに刺さる、一種の枷でもあります。
「――な、桜那〜? ……大丈夫?」
「――あっ……」
途端に聴こえる落ち着いた声――舞弥さんの声。はっとして顔を上げると、そこには美女――もとい舞弥さんの顔がありました。
彼女は私の顔を見るな否や、にこっと、そのミステリアスな顔立ちにミスマッチしたやんちゃな笑顔を輝かせました。
「もう、そんな顔しないの!ほら笑った笑った!」
「舞弥さん……」
「さっきも言ったでしょ〜?「そんな顔してちゃせっかくのクールなお顔が台無し」って」
「――でも……」
すると「うぅ~ん」と唸る舞弥さん――私と彼女との間に数秒の静寂が訪れます。
数秒後、舞弥さんはベッドの奥の方に移動すると
「じゃあさ、こっち、おいで?」
「……? えぇ……」
私は不思議そうにその促された方――ベッドの奥の方に移動します。
――すると
「きた来た……ぎゅうぅぅぅ!」
「……!? ちょ、ま、舞弥さん……!?」
急激に彼女――舞弥さんの顔が近くなると同時、ふわっと若干汗ばんだ匂いと彼女特有の甘い香りがしたかと思うと、文字通り”ハグ”をされました――今度は先程とは違い、お互い二段ベッドの下段にいるからか、嗅覚と感覚がより鋭敏に感じられます。
(〜〜ッ!)
私が訳も解らず赤面しながら混乱していると
「――桜那ってさ……色々大変だよね。自分のこともあるのにこんな学校にいてさ」
「……え?」
そう小声で言う舞弥さん。どういうことだろう……と私が疑問を抱いていると
「だからさ……――なんて言ったらいいのか解らないけど、困ったら私を頼って?無理にとは言わないけど、さ。」
「頼る……」
「そう、頼る。桜那の全てを支えきれるか解らないけど、私、頑張るから。だから、だからさ……」
合間を置いて、舞弥さんは更に私を強く抱きしめ、耳元で
「(これからもずっと傍にいさせて?)」
「――ッ!!」
――遠回しな告白。親友の衝撃の発言に思わず体が硬直してしまいます。
舞弥さんとは今を合わせたら2年の間柄、でも……
「舞弥さん……でも……」
「――知ってる。同性同士の交際・結婚は法律で禁止されてる。でも、桜那をこのままにしてられない……支えたいの……ダメ?」
同好罪――正式名称、同性好意罪。同性同士で想うと世間からバッシングを受けるだけではなく懲役刑となる、正真正銘の犯罪行為――、舞弥さんはその罪を最悪受ける覚悟で話していることがうかがえる口調で話します。
「桜那……?」
「うっ……」
ふと顔を上げると、至近距離に舞弥さんの顔がありました。
瞳は潤み、密着する胸からは心なしか、心拍数が上がっているように感じます。
(舞弥さんのことは好き、でも……)
それはあくまでも親友としてのこと、恋愛としての感情は――
(私はどうしたらいいの……?)
その感情と親友から告白されたことの衝撃で心が持ちきりになる私でした。
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