第八話:秘密
「う……」
目が覚めると、そこは
「――ここ……は?」
傍らから聞こえる、ピッピッピッというモニタリング音と鼻を刺激する消毒の香り、そして白い天井。
(病……院……?)
重い頭を右に動かすと、カーテンレールに繋がれたカーテンが、風によってかすかになびいていました。
「ひづ……けは……」
右に動かした顔――視線の右側にある
(3日も経ってる……!?)
一連の騒動が起きたのは6月の2日、現在は3日後の5日。あれ程の状況だったのに自分がまだこの世にいることにも驚きます。
(そうだ……!皆さんは……!?)
「……うっ……
周囲を確認しようと起き上がると突如、腹部からやってくる激痛。激痛で身体が”くの字”に折れ曲がり、視線が下に向きます。
「くぅっ……! ……あ……れ?」
内側からじんじんとくる痛みに耐えていると、私はあることに気づきます。
(服が……変わってる?)
そうなのです。ここに来るまで自分が着ていた黒い修道服のような制服から、簡素な貫頭衣のような服装に変わっているではありませんか。
「――まさか……」
(痕……見られて……!?)
私の身体や額にある傷痕や火傷の痕、それが晒されたとなると――
「さ……な……?」
「――!?」
はっとして声がした方向――左方向を見ると、開かれたカーテンのむこうに、セミロングかつ金髪の大人びた少女が酸素マスクを付け、仰向けに寝ていました。
「まい……や……さん?」
私が確認の意味を込めて、その潤いのない口で話しかけると
「うん……よかった……無事で……」
酸素マスク越しに聞こえる、安堵したかのような声。すると舞弥さんのいる方向から吹いてきた強い風によって彼女の、目視では見えなかった目元が露わになります。
そこには
「――ッ!?」
(――瞳が……赤い……!?)
そうなのです。本来なら透き通るように透明なエメラルドグリーン色の瞳が、その色を変え、赤く――厳密には桜色に近い色――なっているのです。
「赤い……あっ……」
まずい。そう思った私は慌てて取り繕うとしますが時既に遅く、眼前にいる舞弥さんはその言葉を聞くと目を見開き
「――!!」
表情をくしゃっとさせると、次の瞬間には
――大粒の涙を眼から滴らせながら布団を顔まで被り、顔を背けてしまいました。
「あ……」
あぁ、やってしまった。そう思った矢先――
「――うっ……」
ずきっと鋭くはしる頭痛と、同時に遡られる過去の記憶。
――フラッシュバック。身近に起きうるどんな些細なミスや出来事でも記憶し、ふとした時に思い出される、いわば生まれ持った呪いのようなもの。
そしてその呪いは、とある記憶を思い出させます
『(これからもずっと傍にいさせて?)』
それは三日前、舞弥さんが私を抱き寄せ零した、とある言葉と記憶。あのときの舞弥さんの表情は、たとえ同好罪という弊害があっても私のこの想いは変わらないという表情に満ちていて……
「――最低……私って……」
私はその後もずきっとはしる鈍痛に顔をしかめ、頭を抑えながらそう呟くのでした。
◆
「でね、そこにドドーンと登場したのが……そう! 航空自衛隊の方々、それもかの五阿班さんで――」
「みゆ姉食い気味……困ってるから……。――すみません……バカ姉が……」
――同時刻。今日は通常なら登校の日だが、先の騒動で一週間の間休校日になっている青防第一特別養成学校。その寮内では、その騒動を目撃した者への簡易的な事情聴取が行われている。
「いや、大丈夫だよ。――ふむ……」
彼女たちの眼前にいるのは一人の男性。彼はみゆ姉――本名を未悠という――の話したことの要点を絞りながらタブレット端末のメモ機能でその要点を記入しているが、それ以外に不自然な点が一つある。
それは――
「空士長! こっちの事情聴取終わりました!」
「あぁ! こっちももう少しで終わる! 向こうには――」
空士長。それは、本来ならこんな場所では聞くことのない言葉。
そう、現在何かしらの事情でこの寮に来ている者達は、壊れた建物の補修工事に従事している工事作業員を除くと殆どが
そして空士長と呼ばれた彼は、手に持っているタブレット端末を操作すると
「じゃあ最後。このフレームに心当たりはないかな?」
と言いながら端末にとある画像を映し出し、未悠と隣にいる、彼女の妹の沙姫に差し出す。
「――! あっ!」
「これって……」
差し出された端末に映された画像は、全体的に多少ピンボケはしているものの、その姿は白い蝶のようなフレームと半透明かつ不自然に浮き出た小柄なフレームのようなもの。その画像はまさに、先の騒動の際に二人が見た”白い《夜桜》”と、その周りにいた半透明なフレームのようなもののそれであった。しかしながら、寮で起きたときの画像ではない。明らかに島国の光景を映し出した画像からトリミングしたと思われる写真。
「この画像は、先の騒動が起きる前に、沖縄諸島連合の那覇技術研究所のカメラの一つが映し出した写真だけど……――その感じだと見た感じかな?」
「えっと……見たっていうか……文字通りその場にいたというか……ねぇ沙姫?」
「うむぅ……」
と、端末に映し出された画像に返答する双子姉妹である二人。空士長はその返答を聞いてもなお微動だにせずに
「――そういえば、他の生徒さんに聞いた話で、専用機を持った生徒二名がこのフレーム装着者達と戦闘を行って少ししてから、戦闘不能になっている教員とその生徒二名に向かって生身で向かっていった生徒がいたとのことだけど……?」
「「うっ……」」
と言われると途端に大げさにのけぞる二人。そうなのだ。この二人こそ、件の騒動の中でも特に重要な情報を持つ、即ち重要参考人なのである。
「(どうする沙姫……? 絶対面倒なことになるよね……?)」
未悠は囁き声で、傍らにいる沙姫にあからさまに気怠げな雰囲気で話しかける。
双子の姉の方である未悠は、めんどくさい事柄はスルーする質だ。今回の件も「他の人に変わってくれれば……」と若干グロッキーになりながらも渋々事情聴取を承諾したという経緯がある――半分は妹の沙姫に引っ張られただけなのだが――。
(ここで「はいそうです」って言ったら絶対基地か何かに行くタイプのやつじゃん……そうしたらこの学校で浮くに決まってる……)
「……私達です」
「ちょっ……」
そんな未悠の願い虚しく、放たれる言葉。それを聞いた眼前の空士長は、一瞬目を見開くがすぐに冷静な顔つきになりながら
「なら話が早い。まぁ各種手続きとかあるからすぐにってわけではないんだけど、あとでこっちまでご同行願えるかな?」
それを聞いた未悠は手に脂汗をにじませながら、ぽりぽりと頬を掻き
「えーと……。ど、どこに?」
とわざと大げさに答える。彼女は心の中ではまだ解っていない――否、解ってはいるが認めたくないのだ――。その言動に空士長は不思議そうに首を傾げながら
「え? ”本部”だけど?」
「ですよねえええええ!」
◆
ぴっ、ぴっ、ぴっ……。
夜が差し迫っている病院。その中でもバイタルサインの音が鳴り響くほどに静まり返った病室内では、二人の患者がそれぞれベッドに横たわっており、そのうちの一人である私は、もう一人の患者である親友――舞弥さんのいるであろうカーテンが掛かっている方向を見ながら、あの時の記憶を思い出していました。
『赤い……あっ』
(なんてこと言ったんだろう……私)
私は頭を抑えながら体を丸ませ、自身の欠点であり、同時にコンプレックスでもあるASDの特徴の一つ、過去の記憶の反復により出現した舞弥さんとの記憶を、まるで漫画のようにたどっていきます。
『(これからもずっと傍にいさせて?)』
『私が桜那のことをそれぐらい強く想ってるってことは知ってほしいの……』
『そんなに自分を責めないで、もっと自分をいたわって? ――すぐには難しいと思うけど、私も頑張るからさ?』
「――うっ……くっ……」
そしてその記憶の長い旅は伝染あるいは派生されていき――
◆
――一年前――
「――それじゃあ、今日は初めて生徒が全員揃ったので、改めて自己紹介をしましょうか〜」
午後のホームルームの時間。眼前の教壇に立っているのは、この学校に赴任して長いことが経つ――らしい――
「順番は出席番号順でいきましょうか。――それじゃあ……はい、こっち側から!」
「え!? あ、はいっ!」
言いながら出席番号が早い方を指差す先生。指を指された生徒は最初こそ驚いていたものの、すぐに調子を取り戻します。
「えっと、
(自己紹介……)
正直、この手の明るい人のする流れは苦手です。なぜかというと、この手の自己紹介のときに喋りすぎるか、或いは迷い、結果的に黙ってしまうかの二択だからです。
(それに趣味って言ってましたよね……。)
ふと、最初に呼ばれた生徒――確か相原さん――が仰っていた”趣味”という言葉に引っかかりを覚える私。趣味ということは、それこそ”なにかに熱中していること”の意味で、私でしたら音楽鑑賞とネットサーフィン、そして読書と答えるのが正答なのかもしれませんが、ここには一つ疑問があります。それは――
(暗い人と思われないかしら……)
私の趣味である音楽鑑賞とネットサーフィン、読書。言い方を変えれば”おとなしい人”と捉えることができるかもしれませんが、残念ながらそう捉えられるのは全員とは限りません。そうなると
(また、始まるのかな……)
ぎゅっと、右の二の腕を掴み、擦る私の脳内で思い出される、過去の記憶の断片。それは中学時代、最初の自己紹介やコミュニケーションの場で羽目を外して喋りすぎたせいで周りから引かれて、その後話す人がいなくなったという記憶。
(あの後、クラスでずっと目立たないように過ごしていたら影で”根暗”ってあだ名で呼ばれてたんだっけ……)
「――さん……呉石さん?」
「ひ、ひゃいっ!?」
ふと顔を上げると、眼の前に名瀬先生がこちらを向き、前かがみ気味に立っていました。途端に周辺から起こるくすくすと笑う声。私はその大小さまざまなくすくす笑いによって生まれた、楽器で言うところの
(あ、あっ……)
と脳内でパニックになりそうになりながら、ペンケースの中に事前に入れてある液体薬を無意識かつ手探りで取り出そうとします。
すると――
「ねぇ、なんで皆笑ってるの……?」
一声。おそらく後方から聞こえてきた声は、そこまで大きな声ではなかったのにもかかわらず、しん……と、それまでくすくす笑いに支配されていた空間を上塗りし、その言葉を言い放った方の空間に瞬時に変化します。
(あっ、えっ……?)
私はその方の容姿は一言で言うと”日本人離れ”していました。
良く見ればアジア系の血が入ってるのがわかりますが、それでも日本人離れしているという言葉がふさわしい――実際、瞳がエメラルドグリーンに輝いていたり、髪色がブロンドに近い金髪になっていたりしている――その女性は、がたっと席を立ち、その行動を見てびくっと体を震わせる私を一瞥すると
「皆おかしいよ、それに自分が同じ立場になったらどう? ――嫌でしょ? 嫌なこと他人にやったら駄目ってなんで気付けないの……?」
と周りを見渡し、冷静ながらどこか怒りを覚えた口調でそう言い放ちます。彼女は続けて
「――先生も先生です。こういうことが苦手な生徒のために何か”配慮”することはできなかったんですか? 例えば口頭か唐突ではなく、あらかじめやるということを皆に伝えて、その後紙に書き出させるとか色々あったでしょうに……」
しんと静まり返る教室。私はその間に
「――すみません……!」
と、液体薬を持ちながらその場を後にします。
「ほら――」
教室を抜けるまでの間も彼女の怒りは止まりません。私はその声をバックに聞きながら
「ごめんなさい……ありがとうございます」
とひとりごちるのでした。
「呉石さん……だよね?」
「……ッ!」
放課後の保健室。私が身支度を整え――あの後教室に戻り、荷物類を持って保健室に逃げ込みました――ていると、こん、こん、こんと三回ノックがかかり、がららとスライドドアが開かれます。そこには、教室で怒りを露わにしていた、件の日本人離れした容姿を持つ彼女がいました。
「何……ですか……?」
私は身支度を整える手を止め、顔をこわばらせながらそう訪ねます。それを見た彼女は「まぁ、そうなるよね……あんなこと言ったら……」と小声で言いつつ、こつ、こつと上靴の音を鳴らしながら私に近づいてくると
がばっ
(えっ……!?)
「――あのときはごめんなさい……って言っても許さないのは知ってるけど、それでも言わせてくれないかな……? そうしないと自分が許せない」
と、頭を下げながらそう言い放つ彼女。私はわたわたと手を振りながら
「えっと……ま、まず頭を上げてくださいっ」
(この人……)
誠実な方だ。と瞬時に思いました。何故なら、トラブル全般で私に謝ってくる方なんて今までいなかったからです。今までこの手のトラブルの際に関連する人物は、絶対的に謝らないか、険悪な空気になって終わるのに……と思った私は、申し訳無さそうにそう言いながら立ち上がると、頭を上げる彼女と目線を合わせようとしますが、ここでもあることに気づきます。それは――
(背が同じ……!?)
そうなのです。私の身長は、一般的な女性の身長をはるかに超える百七十八センチであるのに対し、眼前の彼女も私とほぼ同じ――彼女のほうがほんの少し低い感じ――背丈だったのです。
「――背、同じくらいなんだ。なんか安心」
か細い声で発せられたその言葉は、まるで私の心の中を見透かしたかのような言葉で、同時に彼女の、その容姿と身長から醸し出されるミステリアスな雰囲気に思わず
「綺麗……」
と声に出してしまいました。私は、その咄嗟に出た言葉にはっとすると
「あっ! ち、違うんです! あなたが私なんかよりも物凄く綺麗な方で思わず見惚れてしまって……! そ、それで! 別に他意はないって言いますか……!! その――」
あぁ、やってしまった。
必ずそうだ。初めての人に対してなにかやってしまうのは。
「――ふふっ……! 呉石さんって面白いね、そんなにお世辞なんて言わなくていいのに」
「すみません……」
と、口元に手をやり、微笑しながら返答する彼女。
(うぅ……私ったら……)
彼女の反応を見て更に萎縮する私。眼前にいる日本人離れした容姿を持つ彼女は、そんな私の反応を見ると
「――謝ることないよ。それに、呉石さんの方が落ち着いてて、それでいて大人な綺麗さがあるから羨ましい……」
「えっ……?」
不意に褒められ、きょとんとする私。私が綺麗で落ち着いている? お世辞にもほどがある。仮にお世辞じゃなかったとしても、それは見る目がないというもの。だって私は――
(醜いアヒルだもの……)
「――さん、呉石さん……? 大丈夫? 顔がこわばってるけど……」
「あ……い、いえ……! 何でもないです……!」
再びわたわたと手を振ると、彼女も再び吹き出します。
「そう? なら良いけど……」
――本でいう、閑話休題のような時間が流れ
「あっ……そういえば名前、教えてなかったね」
その少しの時間の中で思い出したのか、或いは話題を変えようとしたのか、彼女がそう聞いてきます。彼女は周りを見渡すと
「立っててもあれだし、とりあえず座ろうか」
と、未だ保健医が不在の室内の中から手頃な椅子を二つ見つけると「よいしょっ……とっ」とかけ声は言いつつも両手で軽々しく持ち、私の前に置きながらこちらにも渡してきます。私はそれをありがたく受け取ると、自身の前に置き、座ります。
「あ、で名前だよね。――私の名前は
彼女はそう言うと、「下の名前、聞いてもいいかな?」と興味ありげに、そして少し前のめりの姿勢になりつつ聞いてきます。私は内心嬉し気味――なぜなら、自分の下の名前まで聞いてくださる方はいなかったから――に
「――さ、
私はそう言い終えると、眼前の彼女を見、様子をうかがいます。眼前の彼女――結城さんは
「舞弥でいいよ。――そうか桜那っていうんだ……! 綺麗でいい名前だね!」
と、その気持ちを表現するように右手で小さくサムズアップする結城さん――舞弥さんとよんだほうが良いかも――。私は懐疑的になり、同時に
(褒められた? この名前が?)
と褒められたことに困惑します。なぜならこの名前の意味は――
「まあ、それはともかく……」
私の考えを遮るように、舞弥さんは語尾を濁し
「桜那、って呼んでもいい?」
と言うと同時に「――って、いきなり呼び捨ては馴れ馴れしいよね! 桜那ちゃ――」「いえ……大丈夫ですよ……!」「いいの? じゃあ桜那で! こちらこそよろしくね、桜那!」「はい、舞弥さん」とお互い嬉しげに話します。
(これなら大丈夫かな……?)
◆
――現在――
「――くっ……ふぅ」
(あの時から舞弥さんといっしょに行動することが多くなったんだっけ……)
病室内。舞弥さんと出会ったとき――一年前のことを遡り続けた私はいつもの癖で薬を常備している箇所――太ももにつけてあるポーチ――を探しますが見当たらず、はぁ……とため息を付きながらごろんと仰向けの体制に戻ります。何回か静かに深呼吸をし、時間を見ると、もう夜に差し掛かっていました。
「うぅん……さなぁ……」
「え……?」
突然、隣のカーテン越しにあるベッドから聞こえてくるか細い声。隣では舞弥さんが寝ていますが、彼女が寝言を発しているのを聞くのはこれが初めてです。私はなるべく音を立てないようにベッドから降りようとしますが、その際に傷が痛み、反動で揺れた、輸液剤類を設置するスタンドの大きめな音が、静かすぎるこの空間に響いてしまいます。
「ん……桜那……? そこにいるの……?」
「――ッ!」
見つかった。咄嗟にそう思った私は慌てて元の体勢に戻そうとしますが
「――ちょっと、話そ?」
口元に付けられているであろう酸素マスクを小気味よくシュコー……シュコー……と鳴らしながら、くぐもった声でそう語りかけてきます。
「実は、私も……見ちゃったんだ……。桜那の、身体」
開口一番、舞弥さんは私にそう語りかけてきます。その内容は私のコンプレックスの一つである”傷痕”についてのことでした。
「あっ……」
(え……)
見られた? この身体を? 何で? どうして?
半ばパニックになった私はそう心のなかで呟き、わなわなと唇を震えさせます。
(この服――貫頭衣――に変わったときに見られたのね……)
「最初はびっくりしたよ。桜那がそこまでのものを隠してたなんて……でもそれで合点がいったことがあってね」
ここまで言い終えると、「あの……」と何かをためらうような合間と言葉が流れます。が、その時間はとても今の私には耐えきれないほどの重圧でした。
ですが同時に、彼女が次に出すセリフを察することにも繋がります。彼女が次に出す言葉。それは――
「”呉石事件”って、覚えてる?」
「――ッ!!」
(あぁ……やっぱり)
呉石事件。それは私がもともと住んでいた地方でおきた、呉石家という一家の両親を惨殺し、その子供姉妹の姉を拉致した事件。
私がこの学校に来た理由の一つであるゆず姉を探すことの発端になった事件で、私はその被害者であり、同時に事件の唯一の生き残りなのです。
そして私はこの事件が原因で、身体の至る所に火傷の痕や傷痕が残り、それを見た者から”
ですがこの学校とそれを支える青防区――それがこの地域の名前です――に来てからそれもまるっきり聞くかなくなり、充実した生活をおくれる……と思っていました。
(まさか舞弥さんの口から聞くことになるなんて……)
親友の口から出されたその言葉は、私の自己を萎縮させるには十分すぎるものでした。
(あぁ、ここではこうやって嫌われていくのか)
そう思った矢先、舞弥さんの口から
「――桜那、カーテン……開けていいよ」
と、何かを含んだような言葉が飛んできます。私は「何を……」とでも言いたげな趣で、私と舞弥さんの間を挟むカーテンを静かにシャアァ……と開きます。
そこには薄赤く輝く瞳を持ち、今は酸素マスクを付けた、見るも痛々しい親友がいました。
「腕とか身体、めくって……?」
舞弥さんはそう言うと、気まずくためらう私の腕をとり、自身の貫頭衣をめくらせます。
「――!? これ……って……」
そこにあったのは、身体に広がるいくつもの大小様々な痣。打撲とも違うその異質な量の痣は、よく見ると、ところどころに拳のような痕も見受けられます。
――まるで、誰かに殴られていたかのような……
「私ね、所謂名家の末っ子なんだ」
「え……?」
めくったものの先にあったことに衝撃を隠せていない私をよそに、舞弥さんは細々と話しはじめます。
「――羽柴家って知ってる?」
羽柴家。それは四百年前の大戦争”過人戦”でその名を轟かせた軍事関係の名家の一つ。中でも現当主である羽柴 冬獅郎はその手の話題で見かけることはないほどの有名人です。
(でも舞弥さんの名字は”結城”よね……どうして……? ――って)
「――養子……」
私がそう言うと「うん」と返す彼女。舞弥さんは続けて
「私の本当のちちう……いや、お父さん――冬獅郎さんはね、意外かもしれないけど、DV夫なんだ。それに私、由緒ある家の生まれなのに才能がない、所謂無能でさ。そのことがきっかけで私は、自分で言うのもあれなんだけど虐待を受けてて」
衝撃を隠せていない私を横目に話し続ける舞弥さん。そして掴む私の腕には指が食い込むほどに力が入り、こころなしか、唇が震えているようにも感じました。
「しかも「自分の優れている遺伝子を無下にするとは」って感じでお母さんにも殴ったり蹴ったり物を飛ばしたりしててさ。挙句の果てにはお母さん病気になって死んじゃうし、付き従っていた人たちは裏切るしで。でもその中で私はなんとかシェルターに逃げ込んで特別養子縁組に入ることができたんだ」
そこまで話すと私と目を合わせる舞弥さん。彼女の瞳は少し涙ぐみ、怒りを隠しきれないかのように揺れていました。
(でもなんでそれを公に取り上げられなかったんだろう……)
「――って顔してるね?」
そう疑問に思う私に気づくと舞弥さんはひきつった顔をしながら微笑み
「名家の中の名家だからこそできることもあるんだよね」
と、何かを含んだような言い方をします。それに対して私があっと気づくと、彼女は頷き「そういうこと。なかったことにして、関係を揉み消したんだ」と話します。
「それで出会ったのが、今の両親ってわけ」
(舞弥さん……)
そんな過去があったなんて……と絶句する私をよそに「桜那は……そんなことないと思うけどさ」と続け、私の顔を見ます。
(わた、私は……)
『あなたのその身体……見れば見るほど醜いわ。特にその胸、どうにかならないの?』
『大人になりたいよな?』
『なんでそんな事言うの!? あなたっていつもそう!!』
(うっ……)
私の両親、義母との過去。それは思い出したくない記憶の一つであり、私が男性と話せない、女性でもためらってしまう要因の一つ。
「――そっか、桜那もなんだ」
「え……?」
私がそう思っていると、舞弥さんが何かを言いたげに話しかけてきます。舞弥さんは私のことをじっと見ると
「お互い頑張ろ……? こんな私達だけど、絶対報われると思うからさ……」
と、いつもの”やんちゃな”笑みではなく、文字通りの優しい微笑みをしながら見つめ続けてきます。その潤んだ瞳の奥に見えるのは、微笑みとは裏腹になにかの決意に満ちた強い確固たる意思。
(違う……それはやってはいけないこと……!)
そのなにかが私の思っているものと同じなら、それは人が犯していけないことの一つの
――復讐。
この二文字が浮かんでくると同時に身震いする私。私は「駄目……!」と咄嗟に言葉に出そうとしたその刹那――
『呉石様、結城様、夕飯のお時間です』
と、私達のこの陰鬱な空気を断ち切ったのは一台の配膳ロボット。配膳ロボットはディスプレイに猫の顔を模したイラストを浮かべ、こちらに向かってくると、驚いている私の方へとアームを伸ばし、料理が乗った食膳トレイをベッドに備え付けられたテーブルに器用に置き、ウィィィィン……と、無機質な動作でその場を後にします。
「――ははっ」
すると突然、か細く、掠れた笑い声が静かな病室内に響きます。声の主は眼前の舞弥さんで、酸素マスク越しに口元がにこっとしているのが解ります。
「な、なんで笑うんですかっ」
私がそのことに対して指摘すると、彼女は先程と同じく、掠れた笑い声を上げながら酸素マスクをゆっくりと外し
「――いや、ロボットが来たときの桜那の反応が面白くてさ……」
と、お腹の中にある傷口に触れたのか、「いたた……」と顔を歪ませますが、それまでの笑みを隠さずに私を見つめてきます。
(お、面白い……? 私が……?)
困惑する私。それを見て舞弥さんがまた、今度は先ほどとは違い「ふふっ」と素の笑みをこぼします。
「――これで、おあいこだね。」
「え……?」
幾程の時間がたっただろうか。その静謐な時間を破るように、舞弥さんが語りかけてきます。
「使い方間違ってるかもしれないけど、お互い隠し事はなしだねってこと! これで今までよりも話しやすくなるかもしれないし」
そう軽く言い放つ舞弥さん。舞弥さんの口調こそ軽いものでしたが、私の心の中では
(違う……私がもっと舞弥さんのことを知らないと。この人は危なすぎるわ……)
復讐に駆られた、ブロンドの髪とエメラルドグリーン――否、桜色の瞳を持つ背の高い美少女は、私には脆くて儚いものに見えました。
暖かくなってきた気温の中、私の心の中ではこの静謐な空間の中とは裏腹に、舞弥さんに関する思いで満ち溢れていました。
(――私がもっと知らないと。そして、守らないと)
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