第九話:知らない感情 / 新天地へ

 六月九日の昼。各種手続きを終え、無事退院した私と舞弥まいやさんは、寮内に戻り、授業に復帰するための準備をしていました。

「――それにしても、こんなに早く退院できるとは思ってなかったよねー。最近の医療ってすごいなぁ……」

 そう独りごちる舞弥さん。ここ最近の医療では医療用ナノマシンや各再生細胞による治療が本格的に採用され、メスを握る、一般的に言われる大きな手術という手術は一部の病気でしか聞かなくなりました。そして、私達の怪我を治してくれたのもその医療技術のお陰であり、事実として、治療した痕すらありません。

(私の傷痕も治せればいいのに……)

 しかしそのナノマシンなどの最先端医療が受けられるようになったのはであり、私のこの傷痕ができたキッカケである”呉石事件”が発生した時代には一部の富裕層にしか行き届いていない実態がありました。

(それに傷といえば……)

 ふと入院していた数日前のことを思い出す私。あの時に舞弥さんの奥底に見えたものはとても脆く儚いもので、そしてそれは軽い力でも途端に折れてしまいそうな、そんな感覚がありました。

(舞弥さんのことは私が守ってフォローしてあげないと……そうしなかったらこの人は”破滅の道”をたどることになる)

 舞弥さんの目的、それは”復讐”。ほんの数日前の出来事が嘘のように感じるあの発言は、私の心を動かすには十分すぎるものでした。

(――私が桜那のことをそれぐらい強く想ってることだけは知ってほしいの……)

 ふと、私は、”あのとき”に舞弥さんに言われたことを思い出します。あの時の舞弥さんの表情も、ある種の決意に満ちていて――

「――な……さーなっ! 居るー?」

 ここまで考えていると、上のベッドから声がかかります――舞弥さんの声です。

「い、居ます! ――そうですよね! 私も驚きですっ!」

 私はその感情を隠すように慌てて返答すると、彼女は「……だよねー。私もびっくり」と再度、驚きを隠せないような返答をします。


「――そういえば換気してなかった……」

 しばらくすると、上のベッドにいる舞弥さんからそんな声が聞こえてきます。

「開けてきましょうか?」

「ごめーん!! ありがとうーっ!」

 そう返す舞弥さん。私は窓のある、部屋の中ほどの部分まで来ると、かちゃっとクレセント錠を外し、窓を開きます。

 途端にふわっとひろがるやや緑の匂いを含んだ風。六月の空気にしては少しあたたかすぎる風ではありますが、今までこの部屋を包んでいた滞留した空気を入れ替えるにはふさわしい風でした。

 ちなみに、校内は今昼休みの真っ只中。小一時間ほどの時間ではありますが、寮内に戻り、それぞれの時間を満喫している生徒さんもいます。――が

「――そういや俺等の部屋ぶっこわれてんだったわ」

「おーい!! これ向こうに運んでくれー!!」

 と言ったように、寮の一部にできてしまった傷痕はまだ残っており、例えば、私達が吹き飛ばされたがために部分的に崩れてしまった男子寮の一階と二階部分やその周辺では、今もなお作業員の方々が行き来して資材を搬入したり、それらを用いて補修工事を行っています。

(ごめんなさい……)

 私は「申し訳ないことをしてしまいましたね……」とその景色を見つつ舞弥さんに話しかけます。すると彼女は準備をする手を止め

「だね……。――でも、あそこで戦ってなかったら槇羽先生も危なかっただろうし結果オーライって感じじゃない?」

「でも絶対後で怒られるかもね」と苦笑交じりに言い、準備を続けます。


「いるかな……?」

 しばらくすると、キィ…… というドアが開かれる小気味のいい音が背後で鳴り、振り返ると、そこには二人の童顔の女子生徒が立っていました――双子の姉妹であり、同時に私と舞弥さんの共通の友人である未悠みゆうさんと沙姫さきさんです。

 その姉妹のうちの明るく破天荒な方――未悠さんは、舞弥さんに早足で近づいていき

「舞弥ぁ〜!! 会いたかったよおおお!!」

 そう嬉しそうに言いながら、同時にベッドの上段から降りてきた舞弥さんの背後に思い切り抱きつきます。舞弥さんはびくっと体を震わせますが、次の瞬間にはにぱっと明るい笑みを浮かべ

「うわっ、未悠ぅ〜っ! びっくりしたなぁーもぉー!!」

 振り返り、わしゃわしゃと未悠さんの頭をなで回します。未悠さんは目を閉じ「んぅ……ふふっ」と、気持ち良さげな、それでいてどこか嬉しげな声を漏らしながらされるがままになります。

「みゆ姉……って、まぁ今日くらいなら良いか……」

 そう心配そうに漏らしたのは、未悠さんの妹である沙姫さん。彼女は「僕も……」と、もじもじと体を揺すりながら、とてとてと、私の方に近づいてきます。

(えっ……まさか……)


 ぎゅっ……


「〜〜ッッ!!」

 私の胴部に現れる柔らかい感触とあたたかい体温、そして腰に回される彼女の小ぶりな手。

 ――ハグされた。そう気づくと同時に、ぼっ! と顔中が熱くなるのが感じられますが、それだけでは終わらず、沙姫さんは自身の眼の前にある二つの双丘――私の胸に顔をうずめ、うりうりと、まるで頬ずりをするかのように自身の顔で擦ってきます。

「んんっ……! ちょっ……さ、沙姫さんっ……」

 途端に胸から脳内へぴりぴりっと上ってくる甘くしびれる感覚。私はその不思議な感覚に耐えつつ、沙姫さんにやめるように言いますが、こうして会うのがあまりに久しぶりだからなのか、やめる気配が感じられません。

「……おかえり」

「――えっ……?」

 しばらくすると、私の深い胸の谷間の中から沙姫さんのこもった声が聞こえ、しかし次の瞬間には「ぷはっ……」と、その谷間の中から顔を出し私を見つめてきます。その端正な顔立ちをした童顔の少女は、表情を変えずに

「僕も……会いたかった」

 と、久しぶりに会えた気持ちを体現するかのように、ぎゅうぅ……と、更に強くハグをし、それに合わせて彼女の小顔が私の胸に深く潜っていきます。

「んくっ……――ふふっ」

(”会いたかった”……私も)

 正直に言うと、周りにこんなことを言われたのはこれが初めてです。私はそのセリフに内心驚きながら、嬉しさのあまり思わず微笑みがこぼれ、そんな沙姫さんの頭を、会いたかった気持ちを体現するかのように優しく撫でます。



 キンコーン……!!



 寮内に鳴り響く、昼休み終了5分前の合図。これに反応し「あっ……!」っと声を漏らしたのは紛れもない未悠さん。彼女はそれまできつく抱き合っていた舞弥さんの腕をぽんぽんと優しく叩き、ハグを解くと「――ごめんっ!今日この後実習だからいかなくちゃ!」と両手を合わせ、そそくさとその場を後にします。

「行っちゃった……」

 突然の出来事に呆気にとられ、ぽつんと取り残される舞弥さん。彼女はどこか寂しいような表情をしましたが、次の瞬間には、なにかにつられたかのようにふふっと笑います。

 私はそんな彼女を見つめていると、自身の胸の方からもごもごとくぐもった声が聞こえます件の彼女――沙姫さんは依然として私の胸に埋まったまま動きません。

 私は沙姫さんが遅刻しないか心配になり、未悠さんが出ていった方向――ドアのある方向を見ながら

「沙姫さん……?行かなくて良いんですか……?」

 と、彼女に話しかけますが、離れようとしません。

「ち、ちょっと沙姫! 遅れたら怒られるってば!!」

 しばらくすると、先ほど出ていった未悠さんが、ドア付近から顔を出し焦り気味にそう言い放ちます。

「うぐぐ……名残惜しい……」

 と、その言葉を聞くと同時にぎぎぎ……とぎこちない動作でハグを解除する沙姫さん。私の胸から顔を出したときの表情は、まさにそのセリフを体現するかのような表情をしていました。

「桜那、またこうさせてほしい」

「え、えぇ……」

 困惑しながら反応すると、彼女は「――行ってくる」と名残惜しそうに言い、とてとてと未悠さんについていきます。



「さて……と、私達も準備、進めないとね」

「――ですね。それに早く復帰しないと補習になりそうですし」

「うっ、それは勘弁……」

「ふふっ、冗談ですよ。 でもそうなる可能性も無きにしも非ずなので、早めに準備しておいたほうがいいですよ……?」

「だね。もう怒られるのは御免だし……」




 キイイィィン……!!

 遠くから聞こえる、フレームの稼働音。ここは二年B組の教室前の廊下。未悠さんたち如月姉妹と別れたのちに校内に入り、そこでも授業復帰するための各種手続きをし、ようやく終わったところに意外な人物が現れます。それは――

「なんだ? 今日退院だったのなら一報くれればよかったじゃないか……」

「「!」」

 すらりとした無駄のない体系と怜悧なアイライン、時折かしょん、かしょんと独特の駆動音を立てる義足、そしてひらひらと舞う右袖。

 それは間違いなく私達B組の担任であり、同時にこの学校で起きた騒動での被害者の一人である槇羽先生です。

「せ、先生……!? 大丈夫なんですか!?」

 槇羽先生が現れると咄嗟に反応したのは、紛れもない舞弥さん。舞弥さんは困惑した表情を隠せずに、かつそれを裏付けるようにその大人びた顔立ちを心配そうな趣に変えていました。

 しかし、当の先生は何事もなかったかのような素振りで

「ん? ――あぁ……あの後すぐに気を失ったのだが、幸い傷は浅かったらしいからな、問題はない」

 言うと先生は、さっと私達の身体を一瞬見ると、「それよりも、身体の方はどうなんだ? かなりの怪我だと聞いたが……」と心配そうに伺ってきます。

 私は「いえ」と頭を振り

「今のところ大丈夫です。最新のナノマシン治療のお陰で、私も舞弥さんも共に早めに退院できましたので」

 そう私が言い終えると、「そうか……」と安堵の表情を浮かべる槇羽先生。普段見慣れない表情にまたしても困惑している舞弥さんに私は微笑します。

「では私たちはこれで。このまま教室入っても大丈夫ですか……?」

「あぁ、構わないがもうじき終わるぞ? それでもいいのか?」

 そのセリフに私たちは瞬時に、手首につけられているウェアラブルデバイスを確認すると、同時にキンコーン……!と小気味よくチャイムが鳴ります。

 ばっと先生の方を見ると、腕組みをしながら「?」と頭の上に表示されているかのような表情をしていましたがやがて、ははっ、と少しだけ声に出して笑います。

「せ、先生……?」

「ふふふっ……。いや、すまない。こちら側からみるとお前たちが息ぴったりだったものでな……」

 またしても見慣れない、槇羽先生の反応に思わずぽかんとする舞弥さん。先生はそんな舞弥さんの表情を見ると私達と同じようにウェアラブルデバイスについた時計機能を確認します。

「……っと、すまない。そろそろ放課後の時間だな。お前たち、人まずは退院おめでとうだ」

「――あ、ありがとうございます!」

 先程の表情が嘘のように、ぱぁっと笑顔になる舞弥さん。私もそれにならって「ありがとうございます」と返しますが、先生は次の瞬間にはいつもの厳しい顔に戻り

「――だからといって手加減はしない。覚悟しておけ」

 と言い終えた瞬間にしゅん……と項垂れる舞弥さん。ぼそっと聞こえた「まぁ、だよね……」という独り言が、彼女の心の中を表しているかのようでした。




 きゅきゅっ……しゃああぁぁぁぁぁぁ……


 シャワーハンドルをひねると同時に、ホースを伝いシャワーヘッドの方へ送られるお湯。適度に温度調整されたお湯が体をつたうのを感じると同時に、今日の疲れをいやしてくれるような、心地よい感覚に陥ります。

 夜に差し迫っている夕刻。気温も日中に比べて下がり、心地よい空気になってきています。

「お風呂……入りたいな……」

 言うと同時に顔を下方向に向け、自分の体を見る私。

 「——舞弥さんみたいになれればいいのに」

 彼女——舞弥さんの体つきは、とても私とはかけ離れた見た目をしています。全体的に脂肪分の少ないスレンダーな体つきとハグしたときにわかる、浮き出た肋骨の感触。そして百七十七センチという、百七十八センチの私とほぼ同じ高身長であるにもかかわらず、そのすらっとした佇まいも相まって、それ以上の身長にも見えます。

 顔もとても愛らしく、よく「クールな顔をしている」と言われる私とは大違いな、大人びた、それでいてとても可愛らしい顔立ちをしています。

 そして染色した、少し派手目な金髪やゆるくロールがけしたかのような髪質も、彼女の日本人離れしているような顔立ちにとても似合っていて――

あつっ……」

 そんな感情を遮るように、シャワーから突如として熱めのお湯が出、私はあわててお湯の調整をします。その際にステンレスでできたシャワー栓本体に写った自分の赤くなった顔を見、「え……」と、困惑を隠しきれない様子になります。

(なんで赤くなって……私)

 突如として浮かぶ「なぜ?」という三文字。私と舞弥さんは同じクラスのクラスメイトであり、唯一の”親友”で、そして沙姫さんと未悠さんたちが共通のお友達で――

「うっ……」

 フラッシュバック。それは未悠さんと舞弥さんがハグし合っている姿。そんな、私たちにとっては何気ない行為が、今の私にとっては複雑な感情を抱かせるのでした。

 心臓がずきずきする感覚と苦虫を嚙み潰したような、しつこくまとわりつく感覚。

(これは……何……?)

桜那さな……? ――大丈夫?』

「——!!」

 ふと、後ろのドアから聞こえる、心配そうなトーンの女性の声——舞弥さんの声です。

『考え事してるんだったらごめんね、でもいつもよりも長い感じだから心配になってさ』

 そういいながら、ぎし、ぎしと、彼女が脱衣所の床を歩く音が聞こえます。

「だ、大丈夫です……! 急いで洗いますね!!」

 私が慌てて声を出すと、ぴたっと彼女は止まり

『そっか……! まぁ今日は、”未悠たち”は”委員会の仕事で遅くなる”って言ってたし、ゆっくり入って大丈夫だよー?』

 ”未悠たち”。その何気ない言葉に引っ掛かりが生まれると同時に、”委員会の仕事で遅くなる”という言葉に何かがこみ上がる感覚を覚えます。

「……私、どうしちゃったんだろう」

 再びぎし、ぎしと歩く音。その遠くに行く足音を聞きながら、私は髪を洗うためシャンプーに手を付けるのでした。




 ◆





「——では実習を始めるぞ。今回は市街地戦の実践的な模擬戦を行う。」

 翌日。ホールに集まった私たちB組は、今回は専用機持ちとそうではない生徒に分かれずに実習の準備をしていました。

「(これマジで苦手なやつなんだよねぇ……)」

 ふと、小声で舞弥さんに話すクラスメイトの一人。「(わかるぅ)」と小声で返す舞弥さんをよそに、久しぶりの市街地での戦闘を想定した実習に私は

(できるかしら……)

 と心配になります。一年時の実習も含めると、今まで市街地戦の実習をしたのは三回。その中でも前回は壊滅的で、複雑な建築物郡に頭が真っ白になり、結局舞弥さんや先生に助けてもらったという過去があります。

「――では始める前に……”専用機持ち”は推進剤の補給は十分か?」

 そんなことを思っていると、先生――槇羽先生の確認の声がかかります。そこではっとする私と舞弥さん。

(補給、忘れてた……)

 専用機は通常とは違い、稼働エネルギーと《プロテクター》は自室にある《ライザー》をしまう場所に置くことで回復しますが推進剤に関しては専用機はそうではありません。専用機ならあらかじめ展開し、ホール内と校舎の間の保管庫にある補給ユニットに接続することで補給することができ、練習機や通常機なら、外部から来てくださっている企業さんに委託して供給します。

「(これ怒られるよね……?)」

 横からかかる声――舞弥さんです。彼女も同様のようで――当然といったら当然ですが――、顔を口元を引きつらせながらそう話しかけてきます。その光景を見ていた槇羽先生はため息交じりに

「お前たち……はぁ、そういうことか。――バカ者め」

 嘲笑。”専用機持ち”がするべきではない行為をしてしまったことと、事前に補給を済ませておけばよかったことに気づき、萎縮します。

「だが、ここには《 責誠せきせい 》――練習機が余っている。それを使うと良い。それとお前らも同じだ。”人は失敗から学ぶ”。この言葉を許さない国を作っているのは今のお前らと同等のやつだと心に刻んでおくんだな」

 しかし、槇羽先生は私達に練習機 《責誠》が置いてある場所を指差すと同時に、嘲笑していた生徒に対してそう言い放ちます。その言葉には棘がありましたが、このときはその意味に気づけずに居ました。

「――それでは始めるぞ。各員、フレームの装着始めッ!!」

「「「「「はいッ!!」」」」」




「うおおおおおおおおおッ!!」「はああぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 ギャリリィィィィィィン!! ガツッ、ガンッ!!

 あたりに響き渡る鍔迫り合いの音と模擬弾の発射音。時折聞こえる「ビーッッ!!」という、模擬的に撃墜されたことを知らせる音と、時折聞こえる男女の悲鳴が、その実習の苛烈さを物語っていました。

 模擬戦闘開始から十分。空間ディスプレイによる情報だと、その短時間で早くも七人が撃墜――正確には退場――され、残るは私と舞弥さんを含む十九人になりました。

(――《夜桜》に慣れてたせいで扱いが難しい……!)

 今回私と舞弥さんが使っているのは、この学校で使用されている練習機である《責誠》。私達の専用機より一世代前の、第三世代型のフレームである《責誠》は、名前からも分かる通り、数少ない純国産のフレームで、見た目では両肩にあるシールドが、武装はシンプルなブレードとライフル――それぞれ一本と一丁ずつ――が特徴的です。

『はぁっ……はぁっ……! 《責誠》ってこんなに扱いづらかったっけ!?』

 通常通信回線オープンチャネルが開かれると、息も絶え絶えになった舞弥さんの驚いた声が入ります。

 それもそのはず。第三世代フレームと私たちの使用している第四世代フレームの間では、筋力補助機能などの性能に違いがあります。ちなみに《責誠》は練習機の中でも――特に――筋力補助機能が高めに設定されていますが、やはり一度第四世代フレームに慣れてしまうと、その恩恵は受けづらいです。

『――ですね。私も専用機に慣れてしまったのでその代償がきたのでしょうか……? 同感です……』

『そりゃお互いこれ使ってた時すぐへばってたわけだ……! ――ぐっ……!!』

『ッ!? 舞弥さんッ!』


 ギイィィン……ッ!!


 突如として回線に割り込んでくる、耳をつんざくような音。それが鍔迫り合いだと気づくと、幾ばくかの同じような音の後に『ぅらああッ!!』という舞弥さんの大声と、仕掛けてきた生徒の悲鳴とが聞こえてきます。直後に「ビーッッ!!」と周囲に鳴り響く、その場からの退場を知らせる音声。

[背後、敵機接近]

 そしてふと、からっとした無機質な指向性音声とともにそれに指示された方角に素早く振り返ります。そこには――


 ――そこには黒と白のモノトーン調の装甲を身にまとった、文字通りの”天使”が立っていました。


 汗で濡れそぼった大人びた顔と、汗で濡れながらも存在感を醸し出すきれいな金髪。正確には堕天使の方が機体色としては合っていると思いますが、それでもなお”天使”という表現ができる程の衝撃を、私は刹那的な時間の中で覚えました。

『綺麗……』

 私はその時無意識に、通常通信回線の切断を忘れたままそうつぶやきます。眼前の天使――舞弥さんはこちらを向くと目を見開き

『桜那ッ!? 後ろ、後ろ!!』

[後方、敵機接近]

『え……!? ――ッ!!』

 慌てた様子で言う舞弥さんの声と無機質な指向性音声とを聞くと同時に後ろを振り返ります。そうしてこちら側に一人の男子生徒が突貫してくるのを把握すると同時に右側のスラスターユニットを吹かします。直後にかかる急加速のG。

『ぐぅぅ……!』

 左回転を行いその突貫を回避すると、その加速を使った重い回し蹴りを、その男子生徒に『はぁッ!』という気迫とともにその胴部に食らわせます。途端に脚部装甲を伝わって現れる、硬い感触とガッッ!! という衝撃音。《責誠》の《プロテクター》は半自動制御ということもあり、手動――正確には思考を介しての展開――での展開はほとんど必要としません。そのことは重々承知ではいましたが、それでも、私の回し蹴りを食らい、私から見て前方に吹き飛んでいく男子生徒を見

(ごめんなさい……!)

 と心の中で謝ります。

『呉石! 結城! お前たち何を喋っている!! このままなら反省文を書かせるぞ!!』

 直後に回線から放たれる怒声。その声にびくっ、と体を震わせながらもかすかに聞こえる生声の方向に自動フォーカス機能を向けてみると、そこでは通信機を片手に、とてつもない剣幕を立てながら怒鳴る槇羽先生の姿がありました。

『やばっ! ごめん桜那、切るね!!』

 途端にブツッ! と強引に切られる回線と、その音に一瞬不快感を覚える私。先生の視点から見てどうやって話してるのがわかったのかは不明ですが、それでも槇羽先生の凄さが垣間見える、そんな瞬間でした。

(わ、私も気を引き締めないと……!)

 私は深呼吸をすると周りを見渡し、それから各種パラメーター。インジケータを確認します。

「各種機能、異常なし。……このまま何もしないと評価がないままになる。——何とかして動かないと……!」

 問題がないことを確認すると、私は少し焦り気味にそうつぶやき、前に移動しながら索敵を開始します。が――

[左右。敵機、急速接近]

「もらったぁッ!!」「はああああぁぁぁぁッッ!!」

「——ッ!!」

(しまッ……!)

 左右からの挟み撃ち。右側の生徒はブレードを上段に構え、もう片方の生徒は下段に構えて突進してきます。《プロテクター》の残存量は十二分に、距離は10メートルほどと同じく回避できなくはない距離にありますが、それでも受け次第では即退場となる可能性もあります。おまけに今の私は、後腰にライフルを、右腰にブレードをマウントしているのみで、手は完全に未武装の状態。

(なら……!)

 私は腹をくくると、後方にスラスターユニットを吹かして前方に移動し、無理やり回避しようとします。途端にチッ!! という金属が《プロテクター》をかすめる音が後方から聞こえます。同時にわずかにマイナス方向に変動する《プロテクター》残量。そしてある程度の距離を取ると同時に腰からブレードを抜刀し、大きめにUターン。握る手が甘かったのか、私が振り返ると同時に弾き飛ばされる、下段に構えていた生徒のブレード。それを見ると同時に、スラスターを吹かします。

(おそらくそのまま素手では殴らずにブレードを取りに行くはず……! なら……!!)

 予想通り、下段に構えていた生徒はブレードを取りに後退します。それを見ると同時に間近に迫ったもう片方の生徒


 ――の目の前にブレードを突き刺し、同時に体をひねりながら各部位のスラスターを小刻みに吹かして逆さのまま宙に舞います。


「うおおっ!?」

 混乱する件の生徒。私はひねりの姿勢から着地すると、すぐさま振り向き、そして前方へスラスターを吹かして急進しつつ、ライフルを両手で構え手探りでセイフティを解除すると、中腰且つ前かがみのの姿勢で相手に近寄りつつ発砲。ガァンッ!! ガァンッ!! という独特な発砲音を響かせながら相手に銃弾を浴びせます。

 マガジンが空になるころには、「ビーッ!!」という音が鳴り、相手がさらに後方にあるピットにインし、退場します。

「はっ……! はぁっ……!!」

 途端に上がる息。普段使っている専用機の《夜桜》とは違う、それと比べると弱い筋力補助機能や久しぶりの市街地戦に対する緊張のせいもあってか、心拍数が倍以上にも跳ね上がったかのような、そんな感覚を覚えます。私は上がった息の中で深呼吸をしながらライフルを腰にマウントし、近くにある自身で突き刺したブレードを回収して構えると、前方にいる先ほどスルーした生徒を見据え、さらに私は横目で各種インジケーターを確認します。

 ――稼働エネルギー七八パーセント、《プロテクター》形成可能残量九十六パーセント、推進剤容量六十九パーセント。推進剤や稼働エネルギーの燃費が悪いといわれる《責誠》ですが、「まだいける……!!」と心の中で鼓舞し、私は姿勢を落としブレードを正中線に構えると、背部すべてのスラスターユニットを吹かし、先程のように突貫します。

「はああぁぁぁぁッッ!!」




 ◆




「あー重かったーッ!!」

「(ま、舞弥さん……他の方に聞こえますって……)」

「あー、頭痛い……って沙姫! エビフライ取らないでったら!」

「むー……」

 四人それぞれに喋る私達。

 シャワーを簡易的に浴び終わった後の昼食時間。私達四人は、いつものように他愛のない会話をしながら、昼食の定食やパン料理類を手に持ち、或いは箸やフォーク類を使い食事をしていました。

 昼食時間開始のチャイムがなって少しした頃に食堂に入ったのですが、それでも一年生から四年生――この”国立青防第一特別養成学校こくりつせいぼうだいいちとくべつようせいがっこう”は四年制の学校なのです――が時間になると、リアルタイムで入れ替わりながら食事を取っているため、中にいる生徒数は決して少なくはありません。

「しっかし桜那さぁ、やっぱり慣れって良くないねー。……まさかあんなに《責誠》が重く感じるなんてさー……」

 ふと、フォークとスプーンを使ってナポリタンを器用に巻きつけながら、そう気だるげに話す舞弥さん。彼女は言い終わると同時に、その巻き付けたナポリタンをあむっ、とその艷やかな口に運び「……んん〜っ! 美味しいっ!」と、愛嬌のあふれる至高の笑みを浮かべます。私は彼女のその表情にどきっとしながらも

「で、ですね……!。――ですけどその前に、お互い専用機のライザーを忘れたのがいけないので次から気をつけないとですね……」

 言い終えると、私も舞弥さんと同じように「はぐっ」と両手で持っている好物のサンドウィッチを一口頬張ります。

 ――ちなみに中身はシンプルなハム&チーズサンドで、その間と間に、本来挟まっているはずのレタスに打って変わったマヨソースが、程よく酸味を利かせており、その酸味がハムとチーズの美味しさをより引き出しているかのように感じました。

「うっ……そ、そうだね……」

 舞弥さんの方を向くと、彼女は持っているフォークとスプーンを置きながら「槇羽先生マジで怖いから今度から気をつけないと……」と、私をちらっと見ながら項垂れます。

「良かったぁ、私たちB組じゃなくって! ね? 沙姫? ――って、エビフライ食べたでしょーもぉーっ!!」

「ふふふ……」

 舞弥さんと私の隣では、双子姉妹――未悠さんと沙姫さんがそれぞれのテーブルの料理関係の話をしていました。未悠さんが後で食べることを想定していたでいたであろうエビフライを沙姫さんが、目にも止まらぬ速さで奪いさっていきます。

 私はそんな二人を見ながらふふっ、と微笑むと、(そういえば……)と、顎に手をやり考えます。

(――そういえば、A組の先生――千寿せんじゅ先生は今育休中なんでしたっけ……)

 未悠さんと沙姫さんの所属する二年A組の担任の千寿先生――下の名前をとおると言います――は、去年の末に第一子を授かり、現在はその名の通りの育児休暇――育休をとっています。

 補足ですが、千寿先生も槇羽先生と同じようにフレームに関係する経歴の持ち主で、かつてはかの法務省直轄の機動隊の一人でしたんだとか。

(よくよく考えると、先生方の経歴がすごすぎるわね……)

 槇羽先生のような陸上・航空・海上自衛隊員や、千寿先生のような機動隊員などの幅広い経験や知識などを頭に叩き込むための本学校には必要不可欠な人材だということに私は改めて気付かされます。


 ピロリン♪


「未悠、なんか鳴ったよ?」

 すると、舞弥さんの隣に座っている未悠さんの食事スペースに置いてある携帯端末から小気味よい音が聞こえます。「ん……?」と、特に焦った様子もなくゆったりと携帯端末をとる未悠さん。しかし内容を確認した次の瞬間には、さー……と、顔を瞬時に青ざめ、引きつらせます。

「みゆ姉……?」「未悠さん……? どうか、されたんですか?」「え、未悠?」

 それに反応する私たち三人。その声を聞き、びくっ! と体を震わせると、するっと携帯端末が手から滑り落ちます。「あぁっ!」という声虚しく、かたんっとテーブルに落ちる携帯端末。彼女の端末の画面には一通のメールが表示されており、その差出人は――


 ”防衛省”


「――え……?」

「は? なんで……?」

 その三文字に驚きを隠し得ない私と舞弥さん。

(防衛省……!? なんでそんなところから……?)

 疑問符を浮かべ、或いは驚愕の表情をそれぞれ浮かべながら、私はなぜ防衛省からメールが、それも未悠さんのところに送信されたのか考え、その答えを模索していると


 ピンポーン……!!

『――教員より生徒へ。二年A組の如月 未悠、そして沙姫。また、二年B組の呉石 桜那と結城 舞弥それぞれ四人は、昼食完了後すぐ”第一相談室”まで来るように。……繰り返す。二年A組の――』


 トーンの低い女性の声――槇羽先生の声です――でアナウンスされると同時に「ええええ!? ちょっ、えぇ……」と驚愕の声を上げ、その後しどろもどろになる舞弥さん。「(ま、舞弥……! 声大きいって……!)」と小声で彼女に話しかける未悠さんをよそに、私はもう一人――未悠さんの妹の沙姫さんに顔を向けます。

「さ、沙姫さん……?」

 沙姫さんは顔こそポーカーフェイスのままですが、よく見ると眉間にしわが寄っているのが解ります。手元を見ると、その手には青色のケースに入った携帯端末があり、画面には未悠さんと同じ差出人のメールが表示されていました。

「――てか時間やばっ!! あそこ行くなら早く食べないと……!」

 すると両手にスプーンとフォークを持ち直し、ナポリタンを急いでフォークに巻きつける舞弥さん。時折「あぁっまたミスった……!」というように、巻きつける加減を間違えたりしている様子が彼女の焦りをより体現しているようでした。

 が


「――オイオイ、聞いたかよお前ら? また”例の四人”がお呼ばれされてるぞ??」

 そんな雰囲気を壊すように私達に突如として向けられる”言葉の刃”。


 ――途端に周りからその言葉を起源に、伝染するように起こる嘲笑。


 正確には”言葉の刃”を向けた、食堂の入口側に居る男子生徒を中心とした、いわゆる取り巻きたちの嘲笑と、角や隅に座っている一部の生徒の嘲笑。その周囲からの反応に私は「なん……ですか……」と弱々しい目つきで、言い放った相手を見据え、その言動に気づいた舞弥さんが「――大丈夫」とそれまでもっていたフォークとスプーンを置き、私がテーブルに放っていた左手に、そっと自分の右手を重ねます。不安げなのは私と舞弥さんだけではなく、未悠さんと沙姫さんも一緒のようで、狼狽する未悠さんを、沙姫さんがじっと見つめていました。

 やがてその嘲笑が収まると「おっ、早速はっけ〜ん」と言いながら、こちらにざり、ざりとスリッパの引きずる音を立てて向かってくる件の生徒と取り巻きたち。

「な〜に、やってんのっ?」


 着かれた。


 そう理解すると同時に震える肩と、ひくっ、と鳴る喉。この時点で、舞弥さんに預けている左手とは反対の右手はすでに、太ももに付けている緊急時用のポーチに添えられていますが、飲めるタイミングはおそらくありません。


 なぜならこの空間で私の秘密――自閉症と過去――を知っているのは、他でもない舞弥さんだけなのだから。


「――なんの用……?」

 開口一番。声に発したのは眼前の美女――舞弥さんです。

 彼女はその切れ長の目を嫌悪感丸出しの目つきに変えながら、トーンを抑えた口調でその眼前にいる男子生徒を睨みつけますが、当の男子生徒はそれを意に介さないような素振りで

はどうも 

 と裏声で、それでいて嘲りが含まれたような返答をします。その言葉のニュアンスと言動の雰囲気は、まるで誰かの声真似をしているような――

(……ッ!)

 察すると同時に赤くなる私の顔。それに気づいたのか「……桜那のこと言ってんの?」と更に嫌悪感と苛立ちをあらわにする舞弥さん。その舞弥さんの剣幕には未悠さんも驚いたようで、舞弥さんを見つめたまま微動だにしません。

「おーおー、怒った怒った。てか専用機持ちドーターこう短気じゃ、この国も終わりだなぁ、オイ!!」

 彼を中心に再び起こる嘲笑。私はこのときすでに頭が真っ白になる、所謂パニック状態に陥っており、身動きを取ることができない状況になっていました。

「ぅ…………ぁ……」


『お前みたいな”女”は命の無駄遣いっていうの知らねぇのか!!』

『なんでこんな事もできないの!? ――駄作が』


 男子生徒の大声とともに起こるフラッシュバック。大声を上げる実父と、ヒステリックに叫ぶ実母との記憶。


 ――命の無駄遣い。駄作。


 ただ血液が循環し、呼吸を必要としているだけの、命の無駄遣い。途端に這い上がってくる、胃や喉が焼けるように痛くなる、嗚咽。

(く、薬を……)

 しかしながら飲むタイミングがない。仮にここで飲んだとしたら、その後何を言われるかわからない。そう思った私は俯いていた顔を上げ、再度周りの状況を確認します。が

「――あ? どうしたよ? "専用機持ってん"だろ? 早く展開しろよ?」

「展開してどうすんの……? ――結局、私たちから専用機の使用許諾を剥奪して、自分達のものにしたいだけじゃないの……?」

 自体は私が気づかないうちに更に深刻になっているようで、いつの間にか舞弥さんは私の眼前にはいなくなり、そして席から外れ、男子生徒と見えない火花を散らしていました。百七十七センチの長身を誇る舞弥さんと肩を並べ、火花を散らす男子生徒。ネームプレートには[ 二年A組 生田 晴臣いくた はるおみ ]と書かれていました。

 ――二年A組。それは、ここに居る未悠さんや沙姫さんと同じクラスだということを示唆します。

「俺、”《ライザー》”ってやつがどこにあるか知ってんだぜ? 例えばこ――」

「触らないで!!」

 食堂内に響く舞弥さんの裏返った声。「なんだ……?」と食堂の調理室から何人かスタッフがでてきます。触られそうになったのは、未悠さんの《ライザー》であるシルバーネックレス。しかし当の未悠さんは事態の収集が追いつかないのか、ぽかんとしていて、向かい側に居る沙姫さんは、依然としてポーカーフェイス……と思いきや、よく見ると眉間に皺を寄せ、さらに唇を震えさせていました。


 まるで、込み上がってくるなにかに耐えているような……


「――叫ぶなよ、ただの冗談じゃねえか。なぁ?」

 苦笑交じりに、取り巻きに話しかける男子生徒。「あぁ」と返答する取り巻きたちを見、視線を舞弥さんに戻すと

「ていうか何でアタシたちの邪魔をしてくるの……?? ——また槇羽先生に怒られるよ?」

 と、叫んだからなのか、若干濁りのある声で男子生徒に話しかける舞弥さんに、「あぁ?」と突っかかる件の男子生徒。

「——あんな見かけだけのババアなんか知るかよ。大体、敵一機も落とせずに戦闘不能になったって聞いたぞ? そんなんで元自衛隊なんて下士官レベルだろ」

 それに同調して、ぎゃははははと笑う取り巻き達。確かに、槇羽先生は敵機を一機も落とせずに戦闘不能に陥りました。ですがそれは先生のハンデ――義足になっている左脚と、欠損している右腕のことです――と、正体不明のフレームとの性能差——私と舞弥さんが戦った、白い蝶の羽のようなスラスターユニットをもった何か——によるものであり、決して先生が弱いわけではありません。

(……そこまで言わなくても……)

 それに自分たちは戦ってもないのになんでそんな事を――


 キンコーン……!!


「チッ……行くぞ」

 チャイムが鳴ると同時に、ざり、ざり……とスリッパを擦る音を鳴らしながら去っていく男子生徒とその取り巻きたち。「二度と来んなッッ!!」と叫び、はあ、はぁと息を吐く舞弥さんを見つつ、私は多少戻ってきたとはいえ、依然として半ばパニック状態の頭を使いながら他の二人の状況を見ます。

 沙姫さんは、先程のような何かを耐えているような表情とは違い、どこかほっとした表情を浮かべてはいますが、沙姫さんの向かい側の席にいる未悠さんは「はぁ……なんなのもう……」と言いつつくたぁ……と、その場で力を抜いていました。

「はぁ……はぁ……。ふう……――大丈夫……? 桜那?」

 すると、私の前に移動してきた舞弥さんに、心配そうな面持ちをされます。私は瞬時に頭を振り

「え、えぇ……。ですけど、一応急いでお手洗い行ってきますね……」

「なら私ついて行ってもいいかな? またアイツらきた時に対処できないと思うからさ」

 そう言うと、「未悠と沙姫は先行って事情説明しといて」と二人に伝え、コクリと頷くのを見ると、私と舞弥さんは手洗い場――所謂トイレ――へ向かいます。




「んくっ……ふぅ」

「大丈夫……? 落ち着いた……?」

 手洗い場の洗面台前。パニックを鎮めるための安定剤を飲んだ私は、舞弥さんに背中をゆっくり擦られながら、すぅー……はぁー……と深呼吸を何回かして、自身を落ち着かせます。

 ――引いていく過去の記憶と先ほどの情景と、飲むと同時に口の中に広がっていく苦い味。何十年の付き合いとはいえ、不快であることには変わりはありません。

(苦い……けど飲まないと苦労するのは私だから……)

「マジであいつら、休学とか特別指導にならないかなぁ……なんでなんの指導も受けないの……」

「ま、舞弥さん……口が汚いです……」

 慌てて指摘する私。すると「今誰もいないから良くない?」と、返事が返ってきたと同時に周りを見渡します。

 ここは食堂に備え付けられた、所謂女子トイレの中。中の雰囲気はトイレらしくシンプルで、備え付けられた四つの洋式トイレには、誰も入っていないことを裏付けるようにドアが空いていました。

「それ飲むのも大変だよね……他人事だけど、でもすごく辛そうにしてるの、にも伝わってくる」

 舞弥さんのこれまでの明るい声とは違う、落ち着いた声色。たった二年間の関係ですが、舞弥さんのこの声が素だということは人目でわかります。

「……え? ――ッ!!」


 ぽすっ


 そんな音が聞こえてくるかのように、突然、私の右肩に舞弥さんが頭を預けてきます。

 ――途端にふわっと鼻腔をくすぐる、甘く、それでいて上品な香り。そして、はぁ、はぁ……という呼吸音と耳元をかすめる吐息。


 ――舞弥さんが至近距離にいる。そう気が付くと同時に胸の鼓動がどくんっ、と一気に呼吸が苦しくなるほどに高鳴ります。


 苦しい。苦しいけど、でも嫌じゃない。


 痛いくらいに高鳴る心臓。しかし

(――相手は舞弥さんなのよ……!? なんでこんな……こんなに)

 心臓が高鳴るの……?

「でも桜那がいるのに、あんなに熱くなっちゃ駄目だね。気をつけないと」

「そ、そんなこと……それにさっきは仮に私が同じ立場だったとしても同じ様になってたと思いますし……」

 どくっ、どくんっ、と脈動する心拍に耐えながら返答すると「まぁ、そっか」というと同時に、ははっ、と渇いた笑いをする舞弥さん。


「――でさー」

「マジー――よね――」


 すると入口から、こちらに向かってくる声が聞こえてきます。

「(ふぅー……――)」

「ひゃんっっ!」

 びくっ。

 急に耳元にかかる生暖かい風。それが息を吹きかけられたと解ると、ぼっ! と顔が熱くなるのが感じられます。

「な、なにする――」

「――お、怒った怒った♪ 可愛いぞ〜桜那〜」

(――ずるい)

 私が振り返りざまにそう言うと、”やんちゃ”な笑みをしながら元の体勢に戻る舞弥さん。その笑みには見る者を魅了する、一種の魅了チャームの魔術が施されているようで――

「早く行こっ? そろそろ先生と未悠達もしびれを切らしそうだしさ」

 舞弥さんはそう言うと、ぽーっ……としている私の手を取り、入口兼出口へと早足で向かうのでした。




 ◆




 こんこんこん。


「あ! やっときた!」

「……」

 第一相談室に入ると同時に、私と舞弥さんにかかる声と手を振る仕草――前者は未悠さん、後者は沙姫さんです――。それを見ながら「はぁ……」とため息を付きながら腕と脚を組み、教師とは思えない姿勢で待っている槇羽先生に会釈をし、空いている席に座ります。

「さて、四名全員揃ったな、ではブリーフィ――説明を始める」

 脚を組みなおしながら説明を始めようとする槇羽先生。しかし、次の瞬間に彼女からでた言葉は、私と舞弥さんの予想――先程の防衛省からの通達と、アナウンスのタイミングが気になりますが――を大きく上回るものでした。

「――明後日、お前たちには防衛省管轄の”自衛隊統括本部”に行ってもらう」


 ――え……?


 理解が追いつかず、固まって動かない頭を無理矢理に横に動かすと、隣では舞弥さんが、ぽかん、と口を開けており、その隣に座っている未悠さんと沙姫さんも舞弥さんと同じく口を開けていながらも、心のなかではわかっていたという雰囲気でその言葉を受け止めている感覚がありました。

 槇羽先生は私達を一瞥すると

「――正確には私やその他関係職員が同行するが、生徒はお前たちだけだ。詳細は諸々の事情で言えないが、端的に言えば”この学校を襲撃した者たち”についての事情聴取と思ってもらっていい」

 そう話すと同時に「えぇ!? また事情聴取ー!?」「みゆ姉、声大きいって……」という双子の声が聞こえます。

 私は自身の顎に手をやり

(あの時の敵の情報共有ってことよね……でも)

 わざわざ本部まで行く理由って……? と一抹の不安を覚えます。

「(ねぇ桜那……)」

 ふと右隣を見ると、心配そうな趣で小声で話しかけてくる舞弥さん。私は何かを感じ、自身の太もも部分を見ると、彼女の手がそっと添えられており、彼女の心配の度合いがわかります。

「(――おそらく大丈夫です)」

 私は彼女にそう話しかけると、その添えられている舞弥さんの手に、そっと自身の手を重ねます。彼女の顔を見ると、その行動によってどこか安堵したかのような、そんな表情をします。

「……ゴホンッ!! ――とにかく、だ」

 わざとらしく咳払いをする槇羽先生。しかし次の瞬間にはもとの表情に戻り

「明後日から最低一泊二日は向こうに滞在する予定だ。もちろん、その間は”特別教習”ということで、生徒へ話の筋は通しておく。後はお前たち次第だ」

「えぇ!? 滞在するのぉー!」「だからみゆ姉、声……」先ほどとほぼ同じ反応を示す双子を横目に

「い、行きます……行かせてください! 情報共有は最優先事項として、それとは別に色々経験したいので……!」

「桜那ッ?」

 私には現在進行系の目標がある。それは姉――ゆず姉を探すための力を手に入れること。

 そのための糧になることがあるなら或いは――

「――だ、そうだ。他のお前たちはどうだ?」

 先生のその発言に対し「もちろん行きます……!」「この流れは行くしかないよね……」「行きます」と順番に返答する舞弥さん達。


 その後、順当に話は進み、一泊二日、統括本部に滞在することになりました。

 でも、そのときは知らなかった。



 ――まさか、あんなことになるなんて。


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