第6話 幽霊先輩と未練と夏休み
一度家に帰ってから電車に乗ること数時間。そこから坂道を数十分歩き、私たちはキャンプ場に到着した。既に日は赤く染まり、セミと知らない鳥の鳴き声が聞こえてくる。鳥の鳴き声を聞くだけでキャンプに来たという実感がした。
当日予約は大丈夫か心配だったけど、電話で聞いた話だとこの季節はお客さんが少ないらしい。なのに色々とキャンプ道具を借りられて、保護者の許可さえ取れれば高校生だけでもキャンプができるなんて最高だ。
これで、先輩の『to do リスト』を終わらせられる。先輩に悔いが残らないように成仏させられるんだ。
テントをレンタルしてキャンプ場に向かう。電話で聞いた通り、私たち以外にお客さんは二組ほどしかいなかった。キャンプはあまり人気じゃないのかな。やっぱり夏休みは旅行とか海に行ってるのかも。
受付で言われたテント場に辿り着く。辺り一面平らな緑の芝生。そこでお客さんが少なかった理由を察した。
歩けば歩くほど何かしらの虫が跳ねてくる。多分バッタ……のはず。それが無性に気持ち悪い。小さいから可愛いという言葉は虫以外に該当する言葉だ。害がないから大丈夫と言う人もいるが、それは違う。私たち虫嫌いにとっては『いるだけで害』なのだ。
しかし私のリュックには虫よけスプレーが存在しない。あるのは蚊に刺された用の塗る薬のみ。
だったらこの状況を脱する手段は一つだけ。
「先輩、テント張るの手伝ってください!」
「えー、俺幽霊なんだけど」
「お願いします! 早く安息の地が欲しいんです!」
「心霊現象はどうした?」
「所々押さえるだけなので!」
「はいはい。仕方ないな」
先輩がため息をこぼす。でも口角が上がっているのを私は見逃さない。楽しんでる先輩を見ていると私も嬉しくなる。
慣れない手つきで始まったテント張りだけど、何とか終えて中へ入った。すぐに入り口を閉じて中を見てみる。先輩は既に寝転んでいた。感触が気になって私も横になる。テントと共に支給されたマットを敷いたおかげで意外と心地いい。油断すれば寝てしまいそうだ。
「レンタルですけどしっかりしてますね」
「良し悪しはよくわからんが、落ち着くな」
「そうですね」
小さなあくびをこぼす。しかし先輩の背中が見えると急に恥ずかしくなり、上体を持ち上げた。
よく考えればこれって先輩とお泊りデートだよね。しかも寝る場所一緒だし。意識すればするほど訪れてきたはずの眠気がなくなってくる。
しかし外に出るのはごめんだ。虫が多い場所にわざわざ行くほど私は命知らずじゃない。先輩も疲れているのかずっと寝転んでいるし、私も自分の好きなようにさせてもらう。
カバンからノートPCを取り出し、今日書いていた続きを考える。私の作品の主人公は病気持ちという設定だ。だけど手術をしたところで生きるかどうかわからない。それなら元気なうちに今を精一杯生きる、という思考で日々を過ごしていた。
しかしそんな主人公にも限界がきて、これ以上生きるには海外の病院で手術をしなければならなくなる。だからこその別れ。全ての告白。どうにもできない運命に絶望するヒロイン。本来ならそこで去る主人公。そこで舞台は残されたヒロインのエピローグへ。主人公の別れを引きずりながらも、精一杯生きるヒロインを描いて物語は幕を閉じる。
これが私の理想の終わり方だった。ヒロインの問題は全て解決し、だけど主人公とだけは結ばれない。全てがハッピーではない、私が好きな幕引き。それでも納得できなかった。ここ数週間で私の中の何かが変わった気がした。
現実は残酷なんだ。だったら、せめて小説の中では幸せになってほしい。
主人公が振り返り、ヒロインの手を取る。
そこで言葉を紡ぐ。「どれだけかかるかわからない。絶対治るだなんて無責任なことは言えない。だけど、俺は必死に戦う。これからは逃げずに立ち向かう。だから俺が戻るのを待っていてほしい」
こんなところだろうか。終わり方はもう少しアレンジして、エピローグ。手術が成功したかどうか、直接伝えるようなことはしない。ヒロインの独白、行動、そして期待を含ませるような表現。
ご都合主義なハッピーエンドだと思う。けれど小説だからそれでいいと思えた。現実が残酷な分、余計に……。
***
気付けばノートPCが強い光を発していた。いや、周りが暗くなっただけだ。午後七時五分。日が沈み切ったらしい。
「先輩、外へ行きますよ」
「もう小説はいいのか?」
「はい。書き終わりました」
「そりゃあよかった」
寝転んでいた先輩が体を起こす。私は事前に準備していたリュックを背負って外に出た。先輩はふわふわと飛んで私に付いてきてくれる。数少ない街灯を頼りに私は歩いた。
「先輩、今更ですけど昨日はすみませんでした」
「本当に今更だな。けど俺は気にしてないから変に悩むなよ」
「本当ですか?」
「じゃないとここに来る提案断ってる。それに俺の方が最低だ」
「そんなことないですよ」
「いや、俺みたいな死んだ人間が今を生きる後輩の時間を奪ってる。罪悪感でいっぱいだよ」
先輩が自嘲気味に笑う。ここで反論しても、先輩はきっと認めてくれない。わかっているからこそ歩を速めた。
「着きました」
このキャンプ場が所有しているグラウンドに入って立ち止まる。普段は野球をしている人たちに貸し出しを行っているらしい。周囲に照明がなく、月明かりのみが私を照らす。
「こんなところで何するんだ?」
「何もしませんよ。ただ、空を見るだけです」
レジャーシートを取り出してその上に座る。先輩にも座るように促し、私の左隣に座らせた。
「どうです? ここの星は」
「これは……やべえな」
視界いっぱいに広がる満天の星。私が住んでいる地域でも見えないことはないが、比べものにならない。周囲に光がないおかげで、普段は見えないような星々がはっきりと見える。
「先輩は今を生きる私の時間を奪ってると言いましたね」
「事実だ。後輩を俺のワガママに付き合わせてる」
「でも、私は独りだと小説書いて、読んで、人とは全く関わらない。私がしていないことは変に毛嫌いするような、面白味のない人生でした」
きっと先輩がいなかったら夏休みは家から出ることすらなかった。文芸部室に行ったのだって先輩目当てみたいなものだ。
「後輩は強いから大丈夫だよ」
「そんなことありません。先輩がいたからです」
「お世辞をどうも」
「違います。カラオケ、プール、お祭り、花火鑑賞、キャンプ。先輩といたから楽しめたんです。先輩がいたから、その楽しみを知れたんです。この星空だってそうなんですよ」
空に向かって右手を伸ばす。届きそうで届かない星空。一つぐらい掴めそうに見えるのに、手にするのは空気のみ。最近はこんな経験ばかりしている。
「だから、先輩は自分を卑下しないでください。先輩のおかげで今の私がいるんです」
「後輩にそう思ってもらえたのなら、嬉しいな」
先輩と手が重なる。温もりは何も感じない。ただ、重なったことだけがわかる不可思議な現象。凄く安心できて、無言で星を眺める。
数分、もしかしたら数十分の時間が流れたかもしれない。気付けば涙が流れていた。軽くなった左手で目元を拭きとり、リュックから『to do リスト』を取り出す。
「先輩……」
線を一本引く。これで全てが終わった。先輩の夏休みにしたいことの全てが終わってしまった。どれだけ泣いても先輩は現れてくれないし、あの眩しい笑顔は見られない。
ペラペラと流すようにページを捲る。何度も眺め、見るたびに心が満たされた文字。既に線が引かれた一文を指でなぞる。
・後輩を勧誘する
あの日、図書室で先輩に部へ誘われてから学校が楽しくなった。世界が色づいた。この夏は先輩が『楽しい』を教えてくれた。それだけで私は十分だ。
だからひと夏の思い出とはここでお別れしよう。
「先輩、ありがとうございました」
最後にもう一度だけ文字をなぞり、ぱたりとノートを閉じた。
幽霊先輩と未練と夏休み 西影 @Nishikage
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