第5話 後悔と勘違い

「あああああ、やらかしたぁぁ」


 翌朝、起床後すぐの私は枕を抱えて叫んでいた。朝日が差しこむ部屋で昨日のことが鮮明に思い浮かぶ。


 先輩に絶対嫌われた。何やってんの昨日の私。何であんな重い発言しちゃったの!


 ポスポスと枕を叩く。どうにかして時間を巻き戻したい。昨日の自分と入れ替わりたい。今日の先輩とはどんな顔して会えばいいんだろう。


 つい掛け布団の中へ引きこもる。また昨日のことが脳裏によぎり、涙が込み上げてきた。後悔してもしきれない。


 今日は部活休もうかな。毎日来てくれる先生には悪いけど、別に私は毎日行くとは言ってないし。それに先生は文芸部じゃない部活のせいで毎朝来てるんだ。たまの一日ぐらい……。


 でも、先輩に会いたいな。会いたくないけど会いたい。そんな矛盾してる思考で頭が埋め尽くされる。それもこれも全部先輩が幽霊になったせいだ。もう会えなかったらこんなことで悩まないのに。


「素直じゃないな。私」


 いくら言葉を羅列しても、本心じゃないことはわかっていた。それにこのままじゃいけないことも。


 重い体を起こす。時刻は午前九時。いつも九時半には部室に着いてるから、身支度をしていない私にとって完全に遅刻コースだ。それでも行かないといけない。洗面所で冷たい水を出して顔を洗う。頭が冴える。覚悟は決めた。


 早く部室へ向かわないと。


 ***


 身支度を整えて通学路を駆ける。汗が首筋を伝い、息が乱れ、横腹が痛くなる。それでも足は止めない。今日も憎ましいほど働く太陽から抗うようにひたすら走り続けた。


「先輩!」


 部室のドアを勢いよく開ける。静かな教室。そこに先輩がいなかった。


「せんぱい?」


 足を踏み入れ中を見渡す。やはりどこにも先輩がいない。どこか、散歩に出かけてるだけだと思った。先輩は毎日ここにいてくれて、私に構ってくれて、楽しいを教えてくれて。パソコンを開いて小説を書いてたら、文芸部の先輩のくせに子供のように拗ねるのが可愛くて。


 だというのに、全然現れない。現れてくれない。開いたPCの余白だけがどんどん埋め尽くされる。今まで溜まっていた展開がどんどん消化されて、文字数ばかりが増えていく。


 私の作品のヒロインは泣いていた。主人公との別れ。そうすることしかできない運命。それに絶望し、悲嘆している。心情、情景描写、キャラ同士の掛け合い。全てが自分の最高傑作だった。これは商業にも通用するんじゃないかと勘違いできるほどのクオリティー。


 もう物語も終盤だ。あとは綺麗に話を閉じてエピローグを書くだけ。


 だというのに。


「違う」


 手が止まった。本当にこれが終わりでいいのか。このヒロインの涙で一度物語を閉じてしまっていいのか。物語の中でくらい、幸せになってもいいんじゃないか?


 ヒロインは過去を乗り越えた。未来に向かって動き出そうとしている。だからこそ、抗えない運命に絶望している。だったら変わるべきは――主人公だ!


 ノートPCを閉じて部室を飛び出す。一階、二階、三階。全ての教室という教室を確認する。しかし見つからない。だったら他のところにいるんじゃないか。そんな希望を持って特別棟、グラウンド、校内のあらゆるところを捜索する。


 それでも見つからない。


 先輩、先輩、先輩!


 戻ってきたら先輩がいないか。必死な形相を浮かべている私を見て笑ってくれないか。そんな膨らんだ期待が、文芸部室に帰って来た私の心を締め付けた。


「――っ」


 下唇を噛みしめる。なにがビターエンド好きだ。こんな時だけご都合展開を期待して情けない。左腕を右手でぎゅっと握り、皮膚に爪を立てる。気にするほどもない痛み。こんな自傷行為に走ってる自分に腹が立つ。


 ノートPCをカバンに仕舞い、学校を出た。先輩の行く場所になんて心当たりがない。それでも動かないわけにはいかなかった。


 通学路、お祭りの神社、河川敷、とにかく先輩と回ったところに足を運ぶ。でもいない。見つからない。先輩はどこにもいなかった。もしかしたら、もうこの世界にいないのかもしれない。


 どうして現実は小説の世界より残酷なのだろうか。


 先輩と昨日座った河川敷に腰を下ろす。今日の川は太陽のせいで眩しい。陰キャで暗い私とは真逆。まるで先輩の笑顔みたいだ。


 ……そういえば、幽霊は水辺を好むと聞いたことがある。それなら先輩は今あそこに?


 ゆっくりと立ち上がる。あそこに先輩がいるかもしれない。そう思うとやけにあの川が愛おしく思えてきた。川に向かって手を伸ばす。私は川に足を向けて……。


「ねぇ、そこのあなた」


 真後ろから女性の声が聞こえ、振り返る。勘違いなら恥ずかしいけど、どこかで聞いたような声だった。私の瞳に海のように透明感のある碧眼が映される。


「やっぱり! この前はお家に来てくれてありがとうございました」

「先輩の……お母さん」


 すぐに体を正面に向ける。そこで先輩のお母さんが持っている花束に気が付いた。


「そのお花は?」

「これから息子のお墓参りにね。よかったら来ます?」


 身内でもない人がお墓参りに行ってもいいのだろうか。断ろうとしたけれど、これ以上先輩がいる場所など思いつかなくて、先輩のお母さんに付いていくことにした。


 徒歩五分ほどのところに墓地はあった。こんな近くに先輩のお墓があったことに驚いてしまう。しかしそれよりも驚くべきことがあった。


「せん……ぱい?」


 あるお墓の前で先輩が座っていた。バケツに水を汲んでいる先輩のお母さんを置いてそのお墓に駆けつける。


「先輩!」

「こう……はい?」

「そうです! なんでここに……今日の部活はどうしたんですか!」

「ははは、悪いな。なんか今日はずっと眠くてよ……。昨日、あまり眠れなかったからかな」


 先輩が口角を上げる。しかし見るからに様子がおかしい。体は明らかに昨日より薄いし、生気を感じない。今にも成仏しそうに見えてしまう。


「何でですか。まだ未練があるじゃないですか。なのに、なんでどこか行っちゃうみたいに……」

「ごめん」


 先輩の口から初めて聞かされる謝罪の言葉だった。先輩は私の目を見てまた口を開く。


「他の幽霊に聞いたんだ。俺たちは時間とともに成仏するって。だから気分よく成仏するために後輩を利用しちまった。本当にごめん」

「違います! 私は好きで一緒にいたんです。私は自分の意思で先輩と一緒にいたんです」


 先輩の言葉を認めたくなくて反論する。それでもどこかわかってしまう自分がいて、目頭が熱くなった。


「愛されてるなぁ。俺」


 先輩が微笑む。私がその手を掴もうとして、透けてしまう。何も感じられない。私では先輩に触れられない。悔しくて拳をギュッと握りしめる。


「何してるんですか?」


 先輩のお母さんの声が聞こえて振り返った。そういえば先輩のお母さんと一緒に墓地へ来ていたんだった。


「あ、すみません! バケツに花も持たせちゃって」

「いいのよ気にしないで。それより大丈夫?」

「私がですか?」

「えぇ。目が潤んでるわ」


 人差し指で目元を拭う。ほんのり湿った指先が風に当たり冷たくなる。


「えっと、つい先輩のことを思い出しちゃいまして」

「うちの子が迷惑かけませんでした?」

「とんでもないです。いつも私に元気をくれました」

「そう? あの子ってば高校生にもなって子供らしかったから、ちゃんと後輩を引っ張っていけるか不安だったのよね」

「あはは」


 先輩は家でもあんな感じだったらしい。思わず声に出て笑ってしまった。


「それじゃあお花変えて線香上げましょ」

「はい」


 お墓を拭き、花を変えると線香を供える。先輩のお母さんが目を閉じるのを見て私もそれを真似た。だけど何も伝えるつもりはない。先輩はここにいるから。空想の先輩ではなく、この場にいる先輩に伝えたいと思った。


 目を開けて先輩のお母さんを見つめる。どうやら先輩との会話は終わったらしい。


「これからおうちに来ない? あの子について話しましょ」

「いいですね」


 それは本当に楽しそうだ。家での先輩は凄く興味がある。でも……。


「ごめんなさい。もう少しここにいてもいいですか?」

「そう? じゃあまた会いましょう」

「はい」


 先輩のお母さんは小首を傾げていたが、先に墓地を後にする。その後ろ姿を最後まで見送り、私は先輩の方を向いた。


「先輩。今からキャンプに行きましょう」

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