第4話 夏祭りと私の想い

 いつものように文芸部で集まった今日この頃。先輩が机に身を乗り出した。


「今日は夏祭りに行こうぜ!」

「今日……ですか」


 今日だったんだ……地元の夏祭り。小学校の時は友達と遊びに行ったっけ。中学校からは本だけが友達だったせいで、開催日など忘れていた。


「それで、どうよ?」

「行きますよ。当然」


 『to do リスト』を開く。数ページ捲り、『夏祭り』と書かれた文字を眺めた。他は線が引かれている中、未だに生きている文字。地味に数が多かった予定も残すところは『夏祭り』『キャンプ』『一日中アイス』の三つだけになっていた。


 地元の夏祭りはこの一つしか存在しない。なので参加できなければ、『to do リスト』のために遠くの夏祭りへ行く必要がある。地元でさえ人が多いのに、お祭りのためだけに遠くまで出向くのはごめんだ。


「あと一つ注文いい?」


 そこで先輩が人差し指を一本立てた。


 ***


 午後六時五十分。私は朝に先輩と決めた集合場所に来ていた。まだ先輩は到着していないらしい。空が赤く染まり、お祭りの喧騒が耳に触る。普段は人がいないような神社も、この日だけはたくさんの人で賑わっていた。


「お、もう来てたんだな」


 先輩の声がして顔を上げる。まさか空からの登場だとは思ってもみなかった。先輩は地面に着地するとじっくりと私を眺め始める。


「へ、変ですかね?」

「そんなことない。可愛いよ」


 本当だろうか。淡い紫の生地に、名前の知らない藍色の花がいくつも咲いた浴衣。数年ぶりの格好だからか、この姿がおかしく思えてしまう。というか、今の高校生って浴衣着るのかな。流石に張り切りすぎ? お母さんにも浴衣の話をしたら変に口角を上げられたし。


「おいおい、暗い顏してたらせっかく似合ってる浴衣が台無しだぞ」

「本当ですか?」

「男に二言はない。頼んでみて良かったよ」

「そう……ですか」


 例えお世辞だとしても先輩に褒められると悪い気がしない。少しはこの浴衣を着てよかったと思えてくる。


「それじゃあ行きましょうか」

「だな。ちゃんと周りに気をつけて歩けよ」

「分かってます」


 先輩が私の頭上に飛んで屋台を回る。話したいけど、周囲に人がいるせいで先輩と話せない。早く何か買って人通りの少ない場所に行かないと。


 屋台に視線を飛ばし、空いている綿あめ屋へ向かった。


「すみません、綿あめ一つください」

「色は?」

「色ですか?」

「この七つから選べますよ」


 屋台の上に向けられた先を目で追う。どうやら綿あめの色を赤、青、緑、黄色、オレンジ、紫、白のどれかに選べるらしい。


「じゃあ赤で」

「はいよ。四百円ね」


 お金を受け取り、屋台の人が一掬いの赤いザラメを入れた。数秒経つとそれは糸に生まれ代わり、徐々に雲が作りだしていく。赤というよりピンクの綿あめ。白のものより可愛らしい。


「綿あめって恋みたいだな」

「こい?」


 頭上の先輩から言葉が聞こえ、意味がわからずそのまま問い返した。こい、濃い、恋……かな?


 こういう表現がパッと出るあたり、文芸部の先輩らしい。たまには詩的な言葉を並べたくなるのだろうか。ともすれば、ザラメは愛情? 優しさ? 想い? 綿あめのように恋を膨らませるには何が必要なんだろう。


「へいお待ち」

「ありがとうございます」


 結局答えは浮かばないまま綿あめを貰った。そのまま空いていたベンチに腰を下ろし、綿あめを口に含んだ。綿あめの柔らかさと甘さが広がって頬が緩む。しかし、そんなもの感じるのは一瞬で、すぐに綿が消え去った。


「美味いか?」


 ふわふわと浮かんでいた先輩が私の隣に座る。


「甘いです。一口食べますか?」

「遠慮しとく。この体になってから食欲や味覚ないし」

「そうだったんですね」


 言われて、先輩が何も口にしないことを気が付いた。それならアイスの件は叶えられなさそうだ。もう一度綿あめの甘さを楽しんでから先輩の方を向く。


「先輩、綿あめは恋として、ザラメは何だと思います?」

「ははは、面白いこと聞くな。さっきの続きか?」


 先輩が空を見上げる。屋台の照明のせいか、星があまり見当たらない。一つ、二つ、三つと数えられる程度の煌めき。線を結んだところでキレイな三角形にはならなかった。


「そうだな……ザラメは片思いの心、だと思う」

「片思いの、なんですね」

「あぁ。小さな思いは勘違いや妄想として甘く膨らむ。成就すればふわふわに。逆に失敗したり時間が経つと萎む。その様子が綿あめと同じに見えたんだ」

「なんだか……暗いですね」


 全然先輩らしくない。先輩は恋について明るい印象だけを持っていると思っていた。これだとまるで、失恋したことがあるような……。


「恋なんて叶わなかったら暗いだけさ。ほら、花火見に行くぞ」

「え、でもまだ三十分前ですよ?」

「こういうのは早めに動かないと場所が埋まっちまうんだよ」

「そういうものなんですね」

「そういうもん」


 近くにあった屋台でラムネを購入し、先導する先輩に付いていく。少しずつお祭りの賑わいから遠ざかり、河川敷に辿り着いた。


「あまり人いませんね」

「祭り会場からちょっと遠いからな。ここに来るやつは花火目当てだけだろ」

「先輩はそうだったんですか?」

「俺は今回みたいに途中で抜ける人だった」

「そうなんですね」


 確かに、普段からこうしていないと今回のように動けるはずがない。ちょっと考えればすぐわかることをわざわざ聞くなんて……。私ったら何言ってるんだろ。


「先輩は、いつも誰と花火見てたんですか?」

「んー、小さい頃は親と見てたな。高校からは独りだったけど」

「え、先輩って友達いましたよね」

「なんつーか、変なやつらなんだよ。『野郎と一緒に見る花火とか虚しいだけじゃねえか』とか言ってさ。それにあいつらは花火を家で見る派っぽいし」

「ここの花火大会ってテレビで見れたんですか、初耳です」

「いや、ネットだとよ。クーラー効いた部屋でLIVE配信を見るのがいいらしい。花火は実際に見る方が絶対にいいのにな」


 先輩が不満げに言葉を吐き捨てる。その意見には私も賛成だ。花火は映像で見るのと実物を見るのでは全然違う。迫力、色彩、感動、どれを取っても本物が一番だ。プールで習った『雰囲気』だってそうだろう。


 今日のお祭りも文字で起こせば……私に文才がないだけかもしれないが、たくさんの人が騒いでる中で高額の綿あめとラムネを購入しただけという、何一つ面白みのないイベントだ。しかし私がこの肌で感じ、見てきたお祭りはその場にいるだけで楽しかった。薄暗いはずの道を屋台が明るく照らし、美味しそうな匂いを醸し出していたあの場所だからこそ、私の心は騒いだ。これこそが『雰囲気』の力。


 先輩が教えてくれたことだ。先輩が誘ってくれなかったら、私は今年もお祭りに行かなかっただろう。プールやカラオケだってそうだ。先輩が近くにいてくれたから体験できた。そばにいたのが先輩だったから楽しめた。この先輩のおかげで……。


「――始まるぞ」


 先輩のその一言と共に、暗かった河川敷が明るく照らされる。先輩の横顔も、暗い川も、何もかもが一つの爆破音と共に鮮明になり、私はすぐに光源へ視線を移した。黒い夜空に光の線が走り、どんどん高みへ目指していく。


 ……そして


 二度目の爆音。視界いっぱいに虹色の大輪が咲き誇る。周りから小さな歓声が沸き起こり、パチパチと拍手も聞こえてきた。その空気を盛り上げるようにまた複数の光の線が走り、轟音の合間を縫うように光の花が咲き乱れる。


「キレイ……」


 言葉がこぼれていた。いつもベランダから見ていた花火とは全然違う。この臨場感、華々しさ、全てが雰囲気となり私を飲み込んでくる。咲いた後の儚さも素晴らしい。これを知れたのも先輩が……せんぱいが、いてくれたからで。


 もし先輩の未練がなくなったら、先輩が成仏しちゃって……


 ――私はもう、こんな感動を得られないのかな。


 川に色とりどりの花火が映る。乱反射して不格好な花火。爆音が途切れず私の鼓膜を揺さぶる。歓声が遠くなる。胸が痛い。世界が闇に覆われていく。


「後輩! 後輩っ!!」

「へ?」


 突然体を揺すられて意識が戻った。打ち上げられていた花火は消えており、建物の光だけが未だに残っている。もう、花火は終わってしまったみたいだ。


「おいおい、フィナーレちゃんと見てたか? あれ見れなかったら人生の半分は損するぞ」

「先輩……」


 先輩と目を合わせる。まだ、私の隣にいてくれた。先輩はまだここにいる。


「どうした? 確かにあれを見れなかったのは悲しいだろうが、最悪ネットに上がった動画を見るって手もあるぞ」

「違うんです。先輩、そうじゃないんです」

「後輩?」


 先輩の声色が優しくなる。ずっと言わないようにしていた。こんなことを言っても先輩を困らせるだけだ。わかってる。わかってるから黙っていた。


 なのに、だというのに、我慢ができない。


「先輩は、なんで成仏しちゃうんですか」

「何言ってんだよ。そんなの幽霊だからにきま……」

「真面目に答えてください!」


 叫んでいた。拳をぎゅっと握りしめる。目頭が熱い。体が震える。へらへらしている先輩が妙に腹立たしい。そんな自分がみっともなくて、乱暴に目元を拭い去る。


「幽霊なんて関係ありません! どうして先輩は私から離れようとするんですか!」

「別にそういうわけじゃ……」

「一緒ですよ! せっかくここに戻って来たのに、何でまたどこかへ行こうとしちゃうんですか! どうして、去る準備をするんですか!」

「後輩……」


 声だけがどんどんと大きくなる。堰き止めていたはずの言葉が、想いが、奔流のように溢れ出した。しかしいつまでも熱い気持ちは続かない。最後には惨めに視線が地に落ちる。


「ここに、いてくださいよ。私の近くにずっと……いてください」


 先程までの勢いなど忘れて、ぽつりぽつりと言葉が紡がれた。私の嘘偽りない本当の気持ち。私の想い。ずっと考えないようにしていた。今を大切にしようとしていたのに、止まってくれなかった。


「俺は……」

「――っ」


 思わず地を蹴って走り出す。先輩の答えなんて聞きたくなかった。それは絶対に、私の望むものじゃないから。


「あっ!?」


 足がもつれて地面に手がついてしまう。これだから浴衣は。何で私はこんなものを……。


 いや、違う。こんなこと考えたくない。


 思考を追い出すように頭を横に振って立ち上がる。手がじんわりと熱い。早く先輩に謝りたい。でも、今の状態で会いたくもなくて。


 仕方なく歩いて帰路を辿った。

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