第3話 プールと雰囲気

「夏と言ったらプールっしょ!」


 そんな先輩の願いを叶えるため、私たちはお昼前に室内プールへやってきた。


 そこまではよかった。しかしこの場所には一つ、致命的な問題がある。


「先輩、プールって何して遊ぶんですか?」


 露出の少ないフリルの水着に着替えた私だったが、荷物を置いた辺りで右往左往していた。この辺りでは大きなプールらしく、流れるプールやウォータースライダーがある。しかし肝心の遊び方がわからない。インドアな私の頭ではウォータースライダーで滑るぐらいの発想しか思い浮かばなかった。


「どうって、普通に遊べばいいだろ」

「その普通がわかんないんです!」


 周囲に聞こえないように小声で不満をこぼす。


 放課後に遊ぶような友達がいない私は、当然こういった施設との関りがない。今までアニメ鑑賞か、小説を読むか書くかの三択しかしてこなかった人生の弊害が出てしまった。正直、泳ぐことの何が楽しいのかも理解できないし。


「いや、プールって来るだけで楽しいじゃん。そういう雰囲気? を楽しむ場所なんだよ」

「雰囲気……」


 周囲を見渡す。確かに本気で泳いでいる者は一人もいない。親子連れや男友達、女友達でわいわいと騒いでいる。時にウォータースライダーから悲鳴が響き、浅瀬ではビーチボールをバレーのように繋げて楽しんでいる姿が視界に収まった。


 まさに陽で生きる者の世界。どこを見ても独りでいる者などおらず、陰オーラを出してるのは私のみ。圧倒的場違い感。私にはハードルが高すぎる。


「……用事思い出した気がするから帰ろっかな」


 百八十度回転して更衣室へ。しかし足を進めようとした私の手はすぐに掴まれた。誰の手かは言わずもがな。幽霊のくせにと心中で愚痴をこぼしつつ振り返る。


「なんですか……」

「せっかく来たのに即帰ろうとするなよ。とりあえず一通り楽しんでからな」

「明らかに私のような人が来る場所じゃないですよ」

「高校二年生が何言ってやがる。どうせ来年は受験に本腰を入れるんだ。今のうちに楽しんどけって」


 この先輩は私を帰すつもりがないらしい。幽霊が生きてる私の腕を掴めるのは反則だ。思うがままに通り抜けられて、好きなだけ物に干渉できる。幽霊とはなんて自由なのだろう。人間にもその機能を追加してほしい。


 先輩に腕を引かれてウォータースライダーの最後尾に並ぶ。他の客が話している中、私だけ無言だった。非常にいたたまれない。そんな私とは対象的に、先輩は今か今かと自分の番を待ちわびている。


 いいな、先輩は。幽霊だから誰にも見られない。見られないから恥ずかしくない。その体で生きられたら……と、あり得もしない妄想が頭の中で展開される。途端に虚しくなって、先輩を眺めていると目があった。


「楽しみだな!」

「……はい、そうですね」


 幽霊の先輩に楽しめるのか、甚だ疑問ではあるが何とかしてみせるだろう。普段も椅子や机に体を預けているし、私の前か後ろで滑ってくるに違いない。どうか水飛沫が二つ現れないことを願うばかりだ。


「次の方どうぞ~」


 スタッフの人に促されるまま、穴となっている入口に座る。途中で曲がるせいで、出口の見えないトンネル。上っている最中にも思っていたけど、ものすごく高かったよね。何メートルだろう。垂直に落ちれば余裕で死ねる自信がある。


「いつでもどうぞ~」

「は、はい」


 そうは言われても怖くて前に進めない。緊張で固唾を飲み込む。


 そうだ。三を数えたら行こう。早く行かないと他の客に迷惑がかかるし。


 ひとまず深呼吸。よし行くぞ、三、二、い……


「――いっけぇー!」

「きゃあああああ!!」


 突如背中を押され、急速に滑り出す。自分のものとは思えない声に驚きながらも、止めることはできない。トンネル型のせいで現在の高さがわからず、終わりすら見えてこなかった。何度か滑らかに右へ左へと曲がり、最後は直線で勢いが高まったと思うと体が宙に放られる。


 あ、やば……


 思考する間も与えられず、水面に叩きつけられた。すぐに水中から顔を出し、おでこに付いた前髪を退ける。


 ほんとに死ぬかと思った。先輩にはあとで絶対に文句を言ってやる。


 などと強く誓ったタイミングで、後ろから叫び声が聞こえてくるのに気が付いた。瞬時に誰のものなのか理解する。


「え、待って私まだ……」

「いやっほぉー!」


 「どいてない」という呟きが終える間もなく、先程私が出てきた穴から人影が現れた。ものすごい勢いで飛び出した先輩は私の方に放り飛ばされ、手前で水飛沫の一つも上げずに水中へ入る。


 どうやら心霊現象にならなかったようだ。先輩とぶつかりそうで、思わず身構えてしまった腕をすぐに下ろす。恥ずかしい。


「そろそろ次の人が滑るので、こっち来てもらっていいですか」

「すみません」


 スタッフの男性に導かれるまま浅瀬のプールに連れて行かれた。誘導が終わったところで満面の笑みを浮かべた先輩が戻ってくる。


「いやあ、楽しかった。すんごい迫力だったな!」

「……そうですね。どこかの誰かさんのせいで死ぬかと思いましたが」

「だって後輩のせいで人が詰まってたじゃん」

「タイミングが悪すぎるんです! 私なりに三秒数えたら行こうとしてたのに!」

「はいはい、悪かったって。ごめんな」


 これっぽちも悪びれた様子のない謝罪を受けて、私は歩いた先にあった流れるプールに身を任せる。


「でもプールは楽しいだろ?」

「……まぁ、そうですね」


 満更でもない私の態度に先輩がまた笑う。この流れるプールもゆったりできて気持ちいい。ぐるぐる回って何が楽しいんだと初めは思っていたが、これは単に回るのではなく、実際は雑談や休息が目的なのだろう。道理でちゃんと泳いでる人がいないはずだ。


 雰囲気を楽しむ。先輩の言葉はあながち間違いじゃないのかもしれない。その雰囲気を私も少しはわかる気がしてきた。


「ちょっとご飯食べてきます」

「そういや、もうこんな時間か」


 邪魔にならないようにプールサイドへ移動する。プール上がりは夏の暑さをもってしても肌寒い。タオルで体を拭き、フードコーナーへ向かう。ラーメン、うどん、カレー、たこ焼きなど様々なメニューがあって悩んでしまう。


「ねぇねぇ、そこのお姉さん」


 うーん……家だと袋麺ばかりだし、たまには違うものを食べたい。そういえば最近たこ焼き食べてなかったかも。


「ちょっと君、聞いてる?」


 肩に数回触れられ、振り返る。そこに先輩より背の高い男の人が二人並んでいた。大学生だろうか。髪が金色で不良のように見える。色濃く焼けている肌は威圧的でちょっと怖い。


「あ、えっと、どうしましたか?」

「いや、お姉さん一人かなって思って」

「よかったら一緒に遊ぼうよ。男二人だと味気なくてさ」


 もしかしてナンパ? 声をかけられる想像は何度かしたことあるけど、現実にされたら恐怖でしかなかった。これに対応できる女の子はどんなメンタルをしているのだろう。


 二人が近づいて来る。先輩とは違って底が見えない笑い。緊張で体が強張る。断りたいのに口が開かない。逃げようにも足が震えて動いてくれない。顔すら合わせられず、下を向いてしまう。


「ほら、暇なら遊びに……」


 二人の影が迫ってくる。怖くて目を瞑った――途端に思い切り腕を引かれた。転ばないように前へ走り続け、目を開けた時には目の前にあの二人組がいない。


 代わりに……。


「――先輩っ!」

「うちの後輩は何で断ろうとしないんだか」

「で、できたら苦労しないです」

「泣いた?」

「泣いてません」


 正直、泣くほど心に余裕はなかった。それより


「先輩に手を引かれて、安心しました」

「そりゃあ、可愛い後輩がナンパされてたらな」

「ね、私なんかがされるとは思わなかったですよ」

「なんかじゃない」

「別にお世辞は……」

「後輩は十分魅力的だ」

「そう……なんですか」


 どう返せばいいかわからず、適当な返事をしてしまう。なのに、どうしてだろう。先輩からは体温を感じないのに、掴まれた腕がだんだん熱くなる。いや、腕じゃなくて全身に血が回ってるような。


 思わず手を振りほどいて立ち止まる。


「私! 着替えてきますので!」

「そうか。なら出入り口で待ってるから」

「はい、待っててください!」

「ちょっ、まて、荷物!」

「あ……」


 熱が顔にまで達した。急いで荷物を取りに行って更衣室に入る。そのまま自分のロッカーに近寄り、鍵を挿すと自分の胸に手を置いた。急いだからか、羞恥からか、心臓が脈打ってうるさい。


 これはさっきの失態による羞恥の熱だ。それ以外はあり得ない。あり得てはならない。


 カバンから『to do リスト』を取り出して乱暴に線を引く。もう日課のようになった動作。それがどこかおかしく感じて、少し冷静になった気がする。


「早く着替えないと」


 先輩を待たせるのは申し訳ない。『to do リスト』はすぐにカバンへ仕舞い、私はロッカーを開けた。

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