第2話 先輩と日常

「なぁ、後輩」

「何ですか?」

「全然夏休みの行動変わってないじゃん」


 部室にて、先輩が恨めしそうな視線を飛ばしてくる。しかし頬を机に引っ付けてるせいで、どこにも年上の風格がない。私は無視するようにノートPCのキーボードを打ち続ける。


 『to do リスト』を獲得した私だったが、特に日々の変化は起きなかった。リストに書かれたものは思いつきのようなものが多く、夏休みの予定が少なかったのだ。


 夏のイベントはプールと夏祭りのみ。夏休みにする予定として書かれたものはキャンプ、一日中カラオケ、アニメの一気見ぐらいしかなかった。他は本当に思い付きで書いたであろうものばかり。効率だけを求めれば一週間ぐらいで終わりそうな『to do リスト』だった。


 まぁ、本人もこの年齢で死ぬと思っていなかったのだろう。だからこそ『一日アイスだけ食べて生活したい』という馬鹿な形でリストが終わってしまったんだ。


 ノートの半分ほどで空白になった『to do リスト』を閉じる。目の前の先輩は未だに机に突っ伏していた。その姿は数日前と変わらない。でも手伝うと言った割に大きな行動をしていない私もどうなんだろうか。


 ……申し訳ないな。


「先輩」

「どうした後輩よ」

「明日、朝からカラオケ行きますか?」

「ほんとか!?」


 勢いよく先輩が顔を上げる。子供のように無邪気な笑顔。その顔が見れたことが嬉しいと思いつつ、私はこの笑顔に弱いんだと再認識させられた。


 ***


 そうして次の日。カラオケ開店の十時に合わせて中に入る。カラオケに来た記憶がないからわからないけど、フリータイムの千二百円は高く感じた。クラスメイトがよく「平日だから今日は安い」と言っていたけど、その人たちにはこの値段を安く見えるのだろうか。


 思わず料金表をジッと見つめてしまう。


 三十分で二百三十円。一時間過ごしたらファミレスのご飯を食べられちゃうな。フリータイムの元を取るには大体三時間以上……。


「それでは、お部屋は五番で」

「は、はい」

「ドリンクバーはお好きにお使いください」


 部屋番号や利用時間が書かれた紙を貰い、その場を後にした。一人で来たにも関わらず、案内された部屋は思ってたより広い。四人用の部屋だろうか。妙にスペースがあってそわそわしてしまう。


 ここを夜の七時まで使用可能……。ドリンクバーも好きなだけ使えて、フリーWi-Fiやコンセントまで備えてある。なんだか、カラオケが最高の休みスポットのように思えてきた。


「よっしゃ歌いまくるぞー!」


 先輩が張り切ってマイクを持ち上げる。その様子を見つめ、ハッと気付き声を張り上げた。


「せっ、先輩待ってください!」

「ん? 何だ?」

「『何だ』じゃありません! はたから見れば心霊現象じゃないですか!」


 私には先輩が見えているが、他の人にはマイクがひとりでに浮いてるように見えてしまう。防犯カメラに正真正銘のホラー映像が映っているだろう。


「ははは、気にすんな。どうせ見られてねえよ。それより採点入れてくれないか? 俺が触れても反応してくれなくてさ」

「……どうなっても知りませんからね」


 能天気な先輩に呆れながらモニターを操作する。最近の採点はAIが介入するらしい。しっかり採点が入ったのを確認して話題になってるアニソンを入力する。


 数秒間流れるイントロ。画面に文字と音程バーが現れ、近くで先輩が息を吸う音が聞こえた。


 そして……。


「…………切っていいよ」

「……はい」


 サビにすら入っていない曲を止めて無音になる。画面には『採点できませんでした』と追い打ちをかけるような文字が羅列された。先輩はというと、その文字すら見ておらず、ソファーでうつ伏せになっている。


「幽霊には採点させる気もありませんってか。ふざけんなよぉ」

「あの、先輩。そう気を落とさないで」

「ガチきつい。天国から地獄に落とされるぐらい辛い」


 過去一と言ってもいいぐらい先輩の声から気力がなくなっていた。採点できなくても歌えるのに、という場違いな言葉はぐっと飲み込む。これは初めてカラオケに来た私のような人だけの考えだ。採点込みのカラオケに慣れている先輩には、『採点される』という事実がカラオケを盛り上げる要因だったのだろう。


 私が歌っても嫌味にしかならないし、これ以上先輩が傷つく姿は見たくない。それなら……!


「先輩! アニメを見ましょう!」

「アニメ?」

「はい、ここで全話見るんです!」

「どうやって?」

「私、アニメ配信サイトの会員なんですよね。だから私のスマホで見れます」

「でも、カラオケは歌うところで……」

「いいじゃないですか。私はここのことを休憩場所としか思ってませんし」


 「ほらほら先輩」と腕に手を伸ばす。しかし届かない。私からは先輩に触れられなかった。それでも先輩は私のやろうとしてることを察したらしく、体を起こす。


「仕方ないな。後輩が見たいなら先輩として付き合うよ」

「えっと、先輩はこれ見たいんでしたっけ?」


 『to do リスト』に書かれていたアニメを表示させる。感動系の名作として謳われてるアニメ。作画もよく、私も一度は見たいと思っていた。


「そうそうこれ! 早速見ようぜ」


 いつもの調子を取り戻した先輩が隣に座ったのを確認してアニメを再生する。


 先輩が、私の隣に……。


 しかし私がわかるのは先輩の声と姿のみ。みんなはそれすらも体感できない。かといって私もそれ以外は何もわからない。自分から触れられない、体温を感じない、隣に人がいる実感が湧いてこない。


 本当に先輩はここにいるのかな。


「どうした?」

「な、何でもないです」


 先輩の横顔がこっちに向き、私は逃れるように視線を逸らす。そしてカバンから『to do リスト』とペンを取り出すと静かに二本の線を引いた。


 先輩とは、いつまで一緒にいられるのだろう。

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