幽霊先輩と未練と夏休み
西影
第1話 夏休みとto do リスト
「あっちー」
「うるさいです」
「だってよぉ、こんなにセミが鳴いてて、日が照ってるんだぞ。後輩こそ暑いだろ」
二人しかいない文芸部室で先輩が愚痴をこぼす。確かに夏休みに入ってから、毎日続くこの暑さに私もうんざりしていた。しかし昨日に比べたらまだ涼しい方だ。セミの鳴き声がうるさくなっているのは認めるけど……。
タイピングをしている手を止めて、対面の席に視線を向ける。そこには机上で項垂れている先輩がいた。黒髪で海のような透明感のある碧眼。私より十センチ以上高い背とは裏腹に、少年のような童顔が特徴的な私の先輩。
これが私より一つ年齢が上なのか……。「あー」や「うー」と声を漏らしている姿は、まるで親に構ってもらえない子供だ。
「暑いとか関係ないですよ。扇風機は回ってますし」
「いやいや、にしても今日は絶対暑いだろ。後輩は他の部員みたいに家で活動しないのか?」
「ここの方が落ち着くんですよ。家だと親がウザったいので」
「反抗期だ」
ニヤニヤと笑ってくる先輩の顔に腹が立つ。その怒りを解消するように言葉を吐き捨てた。
「うるさいですね。先輩は幽霊だから暑さを感じないでしょうに」
約二カ月前、先輩は死んだ。川で溺れていた子供を助けるために飛び込んで、助けた本人だけ溺死したのだとか。本当に先のことを考えない馬鹿な人だ。
なのに先輩はまだここにいる。しかもどうやら私にだけ見えるらしい。
「それを言われたらぐうの音も出ないな」
嫌な話題を振られても笑っている先輩から目を逸らし、パソコンの画面に集中する。終わりは決まっているのにそこまで到達していない私の小説。ハッピーエンドではない、現実味のあるビターエンド。それが私の好きな終わり方だった。
困難を乗り越え、全てが解決して幸せに……というのはあまりに出来すぎている。そういった作品は妄想を見ているようで虚しくなるのだ。それに比べ、ビターエンドは明るい面と暗い面の両方を感じられて胸に刺さりやすい。
人の不幸は蜜の味、というわけではないが、少しぐらいそういった側面が欲しいと思ってしまう自分がいた。
「あ、そうそう。後輩、頼みがあるんだけど」
「何ですか?」
筆の乗ってきた手を止める。私、明らかに忙しそうですよね? なんて目で訴えかけても先輩には通じないらしい。先輩は項垂れたまま私に視線だけ飛ばした。
「そろそろ成仏するからよ、未練をなくすのを手伝ってほしいんだ」
「……はい?」
「だから、成仏だって。俺は気分よく成仏したいの」
いきなりの言葉で間抜けた声が出てしまった。この世界に居続けたくないのか……なんて愚問は喉の奥に押し込む。
幽霊だから成仏したいというのは、理由のいらない至極まっとうなことだと気付いたからだ。高校に入ったからには卒業したい。どうせなら幸せに生きたい。私が当然のように考えているものと同じ。それは今を生きる人間か、過去に生きていた幽霊かの違いでしかなかった。
先輩も何かしらの未練があって幽霊になったはず。そして、手伝えるのはなぜか先輩が見える私のみ。それはわかっている……けど、あまり手伝いたくない。だって未練がなくなれば先輩は……。
「お願いだって。『to do リスト』に書いてるの一緒に楽しむだけでいいからさぁ」
「うぅ……」
先輩にせがまれて心が揺れてしまう。本来だったら違う人と楽しむはずだった先輩の夏休み。それを今年は私と二人で過ごすと言ってるのだ。楽しい夏の、先輩との思い出。部室以外で先輩と会えるという事実に胸が躍ってしまった。
「少し……だけなら」
「よっしゃきた。それなら取りに行くぞー! 今から!」
「今からですか」
「もちろん。時は金なり。一寸の光陰軽んずべからず~」
楽しそうに先輩がドアをすり抜けていく。その様子を見て頬が緩んできた。
本当に自由気ままな人だ。何も考えず、本能で生きてるんじゃないだろうか。……死人に使っていい言葉じゃなかったかもしれない。
などと考えながら用意を済ませ、先輩の後を追う。外に出ると太陽が私の目を攻撃してくる。今日も嫌に眩しい光を右手で遮ると、水中のように浮かびながらはしゃいでいる先輩の方へ向かった。私を呼ぶように手招きし、暇な間は木々を観察したり、飛んでいる蝶に付いていったり。
そんな先輩に付いていき、ある一軒の前で立ち止まる。表札を見て先輩の家だと確認し、ゆっくりとインターホンを鳴らす。
「どなたですか」
元気のない女性の声がした。胸に痛みを感じながらも、一つ呼吸を置いて声を出す。
「
たった一言。それだけで十分だったらしい。家から物音が聞こえたかと思うとすぐに扉が開いた。私よりも長身の女性。先輩と同じ碧眼が私を捉え、微笑まれる。
「どうぞ、入ってください。息子も喜びます」
先輩のお母さんに導かれて一つの部屋に入れてもらう。その部屋の仏壇に先輩がいた。今もよく浮かべる可愛らしい少年のような笑顔。周囲の人を明るくする太陽のような眩しい容貌。私はこの笑顔に何度も救われた。
「線香をあげてもかまいませんか?」
「もちろんよ」
「失礼します」
仏壇のろうそくを灯し、火のついた線香を立てる。そしておりんを優しく叩くと手を合わせた。独特の金属音が響き、先輩が死んだという事実を掻き立ててくる。
けれど目を瞑った私は、こういう時に何を思えばいいんだろう。先輩はまだ現世に残ってる。姿形が見える。声が聞こえる。この声は届く。だったら、遺影の先輩には何を伝えるべきなのかな。
幽霊の先輩には言えないこと。私の秘めてる想い。
――もう少しだけ、先輩と長く居させてください。
目を開ける。笑っている先輩の遺影に微笑むと振り返った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、わざわざお休みの日に」
「いえ、別に……」
なんて返せばわからず目を逸らす。そこで先輩がいなくなってることに気付いた。もう目的の場所に行ってるのかもしれない。
「あの、まだ先輩の荷物は残してありますか?」
「はい。捨てられずにまだ部屋に」
「よければ見せてもらえませんか? 先輩のノートを探していて」
「ノート……ですか? 分かりました」
先輩のお母さんに付いていく。二階に上がると一番端の部屋に入った。ここが先輩の部屋。既に先輩がベッドに腰かけており、どうやら私たちを待っていたらしい。今一度この部屋を見渡す。
埃一つない、キレイに片付けられた部屋。ベッド、本棚、勉強机。未だに生活感が残っていて、誰かが住んでいると言われても違和感がない。
「ノート類は全て机の方にまとめています」
勉強机の引き出しには大学ノートがびっしりと並べられていた。一冊のノートを開けてみる。使っている文字は高校生レベルなのに、私では解読不可能なほど酷い字だった。
でも、懐かしいな。
私に創作技術を教えるため、ホワイトボードに書かれた文字とそっくりだ。丁寧にノートの表紙を撫でる。懐かしいものを見させてもらった。心中で感謝を述べつつ捜索にあたる。
ずっと続く授業ノート。ここにはないんじゃないかと思いながらも一つ一つ確認して、ついに見つけた。
他の授業ノートと同じ大学ノート。しかし誰がどう見ても『to do リスト』と書かれていた。いつから書いていたものだろうか。箇条書きになっている『したいこと』が既に線で引かれてあった。
『クラスの奴らと遊びに行く』『文芸部に入る』『テストで満点を取る』『今度の休みにカラオケに行く』
もはやメモ代わりに使っていたのだろう。他のノート同様で字に問題は汚いけど、簡単なことしか書いていないので読みやすい。計画的にしたいこともあれば、今思いついたと言わんばかりのものまで色々ある。そのうちの一つに私の目は止まった。
・後輩を勧誘する
リスト内で既に線を引かれた言葉で胸が温かくなる。このおかげで、私は文芸部に入れたんだ。
「これです。これが探してたノートです」
「これ……あの子の『to doリスト』」
先輩のお母さんも見たことがあったのか、私が渡すとパラパラとページを捲る。途中涙を流し、それでもページを捲ると静かに閉じた。
「これを何に使うんですか?」
当然、聞かれるとは思っていた。先輩を成仏させるため、なんて素直に話す気はない。明らかに異常者だし。変な目で見られるのはごめんだ。
先輩と目が合う。少し心配そうな顔。「大丈夫です」と目で伝え、私は先輩のお母さんに目を合わせた。
「先輩の忘れ物を探すために必要なんです」
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