第5話 可憐な美人は喉にヤクザを飼っている
図らずも定位置となってしまった食堂の窓際の席。
俺と窓際美人の周りだけ壁で隔てているように空席が並び、空席を囲うように人が集っている。
校門付近で待ち伏せされて、カルガモよろしくギャラリーを連れて食堂へ。
物事を諦めるのは大抵自身の手に負えなくなった時だ。
諦めた先に希望はあるのかと嘆いても、応える者はおらず、返ってくるのは『ミスキャンパスの彼氏はヒモで、泣いて縋る彼女にお金を貢がせて今日もギャンブルに明け暮れている』という手足どころか着々と怪物に育っていく噂話。
意図せず、放流した魚がとんだ成長を遂げたものだ。成長し過ぎて回収できなくなっているのが疎ましい。75日、やっぱり保たないのでは? と、俺の心の耐久力が心配だ。
「訊いてる?」
「はい」
現実から目を背けていました。夢の中に浸っていたい。
家出した理由を訊いたのかと言えば、もちろんノーである。
問うこともしなかったし、わかったことと言えば制服少女が犬のぬいぐるみにナイトくんと名前を付けていたことぐらいだ。
少女の尊厳を守るため口にはしないが、制服少女っていずれ白馬の騎士様が迎えに来るのーとかメルヘンな夢を小さな胸に抱いているのだろうか。
で、
「訊いてない」
と正直に言えば、笑顔で笑顔な微笑みにブラックコーヒーのような影が差す。
一雨きそうだなぁと、傘の準備を怠った俺は、当然の末路としてずぶ濡れになるのは避けられない。
「どうして?」
「……犬のせいかな?」
「は?」とドスの効いた声。
そんなにこやかな笑顔で、刃物で脅すような低音が出てくることに恐怖を隠せない。顔と声のギャップに凍えそうだ。
可憐な美人の喉にヤクザがいる。女って怖いなって思う。
「まさか――お金が足りなかったとか言うのかな?」
「待て待て待ってスタンバイミーでエブリデイ。
その
これ以上は75日じゃ済まなくなるから」
ポシェットに伸びかけた手を決死の覚悟で止める。
既に怪物クラスに育っているというのに、噂がこれ以上変態したら止めようもない。
もう止めようはないのだが、実害が出始めたらそれこそ終わりである。まだ俺は大学に居たい。
それならなんでと唇を尖らせて、むすーっと睨んでくる。
その仕草だけは可愛げがあるのになぁと思いつつ、まるで可愛くない追求に答えていく。
「いきなりそんな踏み込んだ話できるかよ。
コンビニ店員と客だぞ?
お前、コンビニに行って店員に、
『いらっしゃいませ。どうして家出なさったんですか?』
っていきなり訊かれたらどうするよ?」
「相手の住所、連絡先、友人関係、SNSの利用状況、両親の勤め先からマイナンバーに至るまで情報を集めて、社会的に抹さ……穏便に話し合いをするかな」
「真っ黒な腹を隠せてると思うなよ?」
やり方が現代的でリアルなのよ。特にSNSを調べるのがガチ過ぎて怖い。社会的に殺す気満々じゃねぇか。
「んーん。
お腹は真っ白だよ?」
「見せんでいい見せんでいい」
ぺろんと服を捲る窓際美人を嗜める。
はいはい。真っ白で可愛らしいおへそですね。ちょっと照れる自分が嫌だ。
羞恥がないのかこの女。それとも、俺を地獄に落としたいのか。『今、脱がせようとして……?』とか聞こえてきて、新たな火種が生まれた気がしてならない。
やはり人を殺す術を知っているなと戦々恐々する。
「念のためなんだけどね?
セイカちゃんともっと仲良くなる口実にする気じゃないよねぇ?」
「ないよ。ないない。
だからその笑顔で低音止めろ。
そろそろ女性恐怖症になるぞ俺は」
「あ、そう?」
きゃぴーんと人差し指と小指を立ててうさちゃんポーズ。
その切り替えの早さがまた怖い。実は感情がないんじゃないかと疑ってしまう。
やぁだぁねーこのシスコン。
「ただのコンビニ店員に過度な期待をするな」
釘を刺す。ぶぅと小さく頬を膨らませる。今日はあざとい路線なの? 可愛いなんて絶対言わんが?
ついでとばかりに俺の口から出るのは「あと、金返す」という返金希望。
「甘い物食べたいなぁ。
ケーキ買ってくるー」
聞こえなかったかのように振る舞い、音も立てずに食券を買いに行く。
こいつはぁ、ほんともう。
なにがなんでも対価として押し付けるらしい。
貰ったからという責任感に期待を寄せているのか。
ならば正解だこんちくしょうとお金にだけは素直な自分が恨めしい。まるで悪金を持っているかのように、財布に紙幣以上の重さを感じる。
その後、あれこれとチクチク追求してきたが、のらりくらりと躱していく。
「あーどうしてぇセイカちゃんはお姉ちゃんから離れていくのぉ……?」
結果、やりどころのない感情を鬱憤として吐き出すダメな美人が完成してしまった。
テーブルに指でのの字を書いて嘆いている。
これがミスキャンパスの姿なのかと憐れみを抱いてしまう。
酒癖悪そうだなぁ。絶対一緒に飲みたくないなと思う。
俺の分まで買ってきてくれたショートケーキの苺を摘む。甘じょっぱい。
「もうほっとけばいいだろ。
子供って言っても引き際ぐらい自分で判断できる」たぶん。
ケーキを摘む。甘々ですわぁ幸せですわぁ。
俺がケーキの甘さに浸っていると、テーブルに突伏したままむくりと顔を上げた窓際美人が、胡乱な目で俺の持つフォークを掻っ攫う。
そのまま刺さっていたケーキをパクリ。
「……お前が買ったものだから別にいいけど、行儀悪いぞ」
「そうもいかないんだよね」
行儀の悪さを肯定しているのかと思ったが、どうやら制服少女の話らしい。ややこしや。
うなだれたまま、窓際美人が肘を立ててフォークをくるくると回す。
テーブルにほっぺをぺったり付けて、不満そうに頬肉を持ち上げた彼女は疲れたような、どこか遠い目をしながら力を抜くように呟いた。
「このままだと、セイカちゃん家を追い出されちゃうから」
◆第5章_fin◆
__To be continued.
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