第4話 シャワーは浴びてます。純粋無垢な乙女なので。(哲学)

 じっと向けられる黒い瞳に萎縮してしまう。

 どこか似ているような似ていないような姉妹だけれど、その黒曜の瞳だけは鏡に写したように瓜二つだった。

 まるで、窓際美人本人に責められているようで、バツの悪さを覚えてしまう。


 だからと言って、ここで言い訳を並べ立てる意味はあるのだろうか?

 半ば脅迫だったとはいえ、俺には断る権利も付随している。

 お金はまだ俺の手の中にあるけれど、この際、制服少女に渡してしまってもいい。それならば、あのシスコン黒魔女も納得するだろう。

 関係ないけど、シスコン黒魔女って字面、下手な犯罪者よりもヤバそうだなって思う。


 余計な思考が挟まったけれど、もういいかって。

 諦めにも似た感情は、ただただ面倒臭くなって放り投げたくなっただけなのだろう。

 今後の大学生活に不安は残るが、人の噂も75日。いずれ消えると達観する。……いや、75日って長くない? 耐えられる?

 やっぱり言うの止めようかな? でもなぁと頭の中で苦悩の嵐がびゅーびゅー吹き荒れていると、制服少女が目を伏せた。


「……答えたくないならいいですけど」

 そういうわけではないような、あるような?

 でも、引き下がるとは思わなくって。

 思わず「いいのか?」と問うと、今度は制服少女の方が俺の目から逃げた。

「まぁ、それぐらいは。

 ……お世話になっているので」

「自覚あったのか」

 げしっと。

 ついに足を蹴られてしまった。まだ神は荒ぶっておられる。


 ただ、それはそれで困ってしまうのは、俺の感情の行きどころ。

 全部ぶっちゃけてやるーと意気込んだ手前、はてさてどこに向かえばいいのやら。話さないでいいならいいけど、……本当に? と、面倒臭い立ち回りをしてしまいそうになる。

 同じ態度を取られたら『早く話せよ』と冷ややかに言いたくなるだろう。俺の気持ちを察してくれよな態度はマジうざい。


 なので、口にも態度にもせず。

 けれども、吐き出し先を求める感情をどう発散したものかと思っていると、制服少女が淡々と話し始める。

「昼間は駅とか、適当にうろついて。

 シャワーとか、洗濯とかはネカフェ。

 夜はまぁ、だいたいここで寝てます」

 最初、なにを言っているのか理解不能で、え? どうした? と目を細めて訝しんでしまったが、遅れて俺の疑問に答えてくれたのだと理解に至る。


 ははぁ、なるほど。

 そんな生活をしていたんだなぁ、と感心して、ん? と首を捻っておいっとなる。

「コンビニは寝る場所じゃないんだが?」

「あらゆる意味で遅くない? そのツッコミ」

 そうだね。

 制服少女が最初にここを訪れた時に言うべきだったし、なんなら今の指摘にしても間があり過ぎた。

 苦悩を溜め込んだ脳の働きはあまりにも悪かった。あぁ、家に帰って寝てしまいたい。


 ただ、物申したいのはそれだけではなかった。

「なに。

 飯は食べないのに、シャワーとか洗濯には金使うの?」

「うっ」

 今度は制服少女が言葉に窮する番だった。

 人の弁当を買ってもらっておいて、それはどうなんだという正当性のある疑問にどう返してくるのか。

 正義は俺にありと、正論を振りかざす。


「し、仕方ないでしょう」

 正しさこそが善であるとする俺に、制服少女は感情を盾にする。

「汗かいたままは嫌だから。

 臭いとか言われたくないし……」

「あー……乙女なの?」

「純粋無垢な乙女ですがなにか?」

 純粋で無垢ってなに?(哲学)


 すんっと鼻を動かすと、「変態」と罵られた上にげしげしと脛を蹴られる。

 一度許すと抵抗がなくなるのか、蹴りに歯止めは効かない。まぁ、威力自体は靴の先で軽く突く程度なので痛みはないが、鬱陶しいので対抗する。おりゃおりゃ。

 テーブルの下で子供染みた闘争を終えて、何事もなかったかのように会話に戻る。


「そうな。

 気になったことはないかな」

「気を遣ってますから」と前髪を払う。

 もっと他に遣うべき気はあるのでなかろうかと思うが、女の子なら真っ先に気遣うべきなのだろう。


 実際、宣言通り。

 家に帰らず外でうろついている割には、匂いはしない。不意の接触で香るのも、どちらかといえば女性特有の花のような澄んだ香りだ。

 体臭なのか、シャンプーや香水の類なのか。

 少し気にはなるが、『女子高生の匂いが好きな変態なんですか?』とまたゴミでも見るような目を向けられるのはたまらないので、口の中で噛み砕いて捨てる。俺に女子高生に罵倒されてハァハァする趣味はなかった。


 それに、髪とか洋服も。

 改めて制服少女をまじまじ見てみると、汚れているということもなく、全体的に手入れが行き届いている。パッと見、枝毛の1つも見当たらなかった。


 生命に直結しそうな食欲よりも、まずは身だしなみ。

 女の子なんだなぁとしみじみ。

 もし俺が同じ状況に置かれたならば、間違いなくご飯を優先する。1に食事。他はその後。


「そのままネカフェで寝りゃいいのに」

「そんなお金があるように見える?」

「見た目だけなら?」

「どうして疑問系なんですか?」

 中身を知ってるからだね。ジャンプさせても、小銭の音がするぐらいだろう。目頭が熱くなる。所持金知らないけど。


 大凡、制服少女の状況は理解した。

 なかなかに切羽詰まっていて大変よろしくない。

 やっぱり知りたくなかったなと、重くなったお腹辺りを擦る。


 バッドエンドな小説を読んだ時のような感情移入。人を思いやる大切な機能なのかもしれないが、どうにもできないのであれば心を重く沈めるだけ。

 そんな機能なくなればいいなと思うが、ロボットみたいに人間は部品を取り外しできない。

 細胞は分裂し、毎日のように新しくなるけれど、劣化はしても機能は変わることがない。それこそ、壊れない限りは。


 ジーンズの後ろポケットに手を回す。

 尻を撫でたいわけじゃない。触れるのは財布。意識するのは中にある10枚の紙幣。窓際美人から押し付けられた報酬という名の枷であった。


 いっそ渡すか?

 俺の金でないし、彼女の姉の金である。

 弁当と違って俺に損害があるわけじゃない。

 渡して、制服少女の生活が少しでも改善されるのならば、財布の肥やしにしておくよりも健全だろうと思う。

 けどなぁ、と。


 したらそれこそ突っぱねられそうだ。

 いらないと。これ以上世話にはならないと。

 だからといって、俺の金じゃないからと言えば、じゃあその金はなんだと問い詰められて原点回帰。最初の問答にリスタート。ループモノにしてももっとマシなセーブポイントがあっただろうと嘆きたくなること請け合いだ。


 ほらやっぱり面倒だと、持ってもいないのに財布の重さを感じ取る。

 それは物質的なものではなかったけれど、確かに重さとして俺の手にのしかかっている。

 重力だけじゃない。

 人間はいろんな重さにその身で支えながら生きてるんだなぁ、と達観していると――ぐるるるるるる。

 重さとか、達観とか。

 そういう人生における煩わしさとはまったく無縁な音が、俺と制服少女の間にあった静寂を打ち破った。


「~~……っ」

 音の発生源は、死んだ目の灰色の毛並みをした犬のぬいぐるみ。……のその後ろ。

 犬の唸り声と聞き紛う音に、制服少女が羞恥に海に溺れてわっぷわっぷ。真っ赤になって俯いてしまう。


「こ、これは私じゃなくって、ナイトくんが……!」

「え? 名前付けたの?」

 ぬいぐるみを顔に貼り付けて、俺の物言わぬ視線から隠れるが、犬の鳴き声とかお腹の音とかとは関係ない部分が素で気になってしまった。


「あぅ」

 墓穴を掘った形になった制服少女は、「わ、悪い?」と開き直る。俺を見つめてくるのは、半分目の閉じたブサイクな犬だが。

「いや別に」

 含みはない。


 大分に含ませて、

『へー? ナイトくんねぇ? いいんじゃないの。可愛げがあって。女の子ならぬいぐるみに名前ぐらい付けるものなんだろうし。まぁ? 若干? 子供っぽいとか、ファンシーだなぁと思わなくもないけど、俺は良いと思うよぉ。ねぇ、ナイトくんんんん?(ビブラート)』 

 と、目元を緩ませてニヤニヤクスクスしてやりたい気持ちはあったが、先程、疑念はあるだろうに矛を収めてくれた少女に習って自重する。


 が、自重できたのは俺だけで。

 ぎゅるるるるるぅ、とナイトくんがまたもやお腹が減ったと鳴き声を上げる。

 1回目を瞑る。深呼吸。うん、そうね。

「躾のなってないお犬様だなぁ。

 はいはい餌の時間ですねーナイト様ぁ。

 サラダスパじゃ足りないよねぇ、育ち盛りだもんねぇ。

 犬を飼うのって大変そうだなー」

 ぐみゅぅうっと、制服少女の顔の前に掲げられたナイトくんが、少女の手の中で潰れてしまう。その顔は悲壮感が漂っていて、当事者でもないのに同情してしまう。哀れナイトくん。


 感情のモンスターに取り憑かれたご主人さまの相手を忠犬ナイトくんに任せて、俺は適当に弁当を見繕う。

 そして、戻ってくると、ちょこんとテーブルにナイトくんがお座りしていた。ナイトくんと向き合う制服少女は、怒りが収まらないのかふすふすと鼻息荒く、躾を行っていた。


「あー言えばこう言うような、

 人の揚げ足を取って皮肉しか言えない大人な男になっては駄目だからね?

 ナイトくんは女性の失敗を殊更指摘しない、優しく立派な男になりなさい」

 ぬいぐるみの犬にこんこんと言って聞かせる制服少女。

 まんまおままごとのような光景に『ぬいぐるみが成長すると思ってるのか?』なんてのは流石に野暮が過ぎるよなと重ね重ね自重する。

 大人なので。



 ■■


「で、どうだったの?」

 大人になれないまま成長してしまった窓際美人に問い詰められた俺は、奢ってもらったコーヒーを飲んでやり過ごす。

 砂糖とミルクは濃いめ。大人なので。

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