第6章
第1話 厳格な母親、妹を守らないといけない姉
制服少女が家を追い出されてしまう。
衝撃的な告白。手元のコーヒーを引き寄せてずずずっと喉を潤す。
舌を刺激する苦味が心地良い。砂糖もミルクも増し増しだけれど。
口の中を濡らし、滑りも良好。
よしと一息ついて、感想を口にする。
「はーん。そうなの」
一世一代の告白も、相手が理解を示さなければ、日常会話の延長上にしかなりえない。
つまり、そんな話を俺にするのが間違いであって、過度なリアクションを求めるほうがおかしいのだ。
けれど、それは俺の事情で。
冷めた俺の反応が癇に障ったのか、こめかみをぴくりと動かして「もっと興味を持て?」と笑顔のままテーブル下で脛を蹴ってくる。
誰にも見えない角度。さてはやり慣れているな?
加減のされたその蹴りは妹にも通づるところがあり、姉妹揃って足癖が悪い。
違うのは、妹は感情をそのまま顔に出すけれど、姉は笑顔の仮面を被って周囲には悟らせないようにするところ。
年齢差ゆえの成熟度の違いか、元々の性格の問題か。
制服少女が数年後に姉と同じように笑顔で蹴るようになりそうかと言えば、あの前しか見えないイノシシっぷりでは無理そうだけれど。
そうして、コーヒーを飲みながら制服少女の将来について考えている間に、窓際美人の顔にしかめっ面が出来上がっていた。
「なにを他人事みたいな素知らぬ顔を決めてるのかな?」
「他人事だし」
ずずずっ。
真っ赤な他人である。
気にこそなるが、制服少女の問題を我が事のように受け止めるには、まだまだ時間も接点も足りなすぎる。
なにより俺に彼女との関係を築こうという意思がないのだから、他人事で終わるのは当然である。
けれども、窓際美人は俺の涼しい態度が気に食わないようだ。
「ほーん」
鼻を鳴らす。
挑発するような、耳に触る音だ。
嫌な予感と上目で伺えば、案の定浮かべていたのは悪辣な魔女の微笑み。
「じゃあ、私と結婚しよっか!」
「……だばー」
口の端からコーヒーがだらだら。
汚いなぁと甲斐甲斐しく口元を拭いてくれるのは嫁っぽいが、なに言ってるんだろうか。やはり、頭のネジが飛んでいる。
「頭と口繋がってる?
寝ぼけたまま大学来てるの? 早く夢から覚めろよ。
夢見てていいのは10代までだぞ」
「結婚すれば、セイカちゃんは義妹になるわけで、他人事じゃなくなるでしょ?
というわけで、サインして」
「するか」
結婚もサインも。
すっと差し出された卓上の紙ナプキンをぺいっと払い除ける。
「わーひどいー」と一切の抑揚なく、しくしく泣き真似をする。
やはり悪辣な黒魔女だ。
「見た目はともかく。
誰がお前みたいなシスコン拗らせた女と結婚するか」
「美人なのは認めてるんだ?」
きゃーと頬に両手を添えて上半身を左右にぐねぐね。
対して俺の顔は相当酷いことになっているだろう。
今にも胃からなにかが迫り上がってきて、おぼえぇえしそうだ。
「あぁ……釣り合いは取れてるのか。
顔だけ良くって性格は、て」
「誰の性格がドブ川のように腐ってるって?」
言ってないし。蹴るな蹴るな。
結婚はさておき。
「ま、穏やかじゃないわな」
思う。
家出している時点で追い出すもなにもなかろうが、窓際美人もそういうことが言いたいんじゃないだろう。
あくまで家出というのは逃避の手段であり、いずれ立ち行かなくなるのは目に見えている。
遠からず家に帰ることにはなるはずだ。
その上で、追い出すというのであれば、帰ってくるなという宣言に他ならない。
現代社会の親子関係で、その行為が現実的に通るかはともかく。
本気で言っているのなら、尋常なことではないだろう。
「……お母さんは、厳しい人だから」
ぽつりと、影のある顔で零す。
どんな時でも浮かべている笑顔は鳴りを潜め、消沈する窓際美人。
燃え上がっていた蝋燭の火が小さくなったかのようだ。
「厳しいで済む話じゃないだろ?」
「身勝手に家を出ていった子はいらないって」
返す言葉もない。
皮肉を言う気力もなく、またそんな空気でもないので口は重くなる。
俺からすると一時の感情で、本気ではないように思えるが。
実の娘である窓際美人にとっては、母親の言葉は事実であると思ってしまう辺り、相当子供に対して厳格な人物であるのは伝わってくる。
まさかと苦笑交じりに否定したいが、制服少女や窓際美人の母親について知らない俺では本気度合いなんて推し量れない。
ありえないと断言するには、世の中というのは不幸な事件事故ばかり耳に残る。
引っ張られるように嫌なことを思い出し、眉間に皺が寄る。
顔を伏せて迷子のような表情を見せる窓際美人は、かつての制服少女を想起させる。
似なくていいところまでそっくりだなとため息が零れてしまう。
「家出した事情を訊いてこいって言ってたけど、なにか心当たりあるんじゃないのか?」
追い出すという言葉を娘に信じさせてしまうぐらい、厳しい母親だ。無関係とも思えない。
沈痛に。息苦しそうに窓際美人が声を絞り出す。
「お母さんは完璧主義者だから。
自分の子供も完璧じゃなくっちゃ気が済まない。
失敗すれば捨てられる」
声が震えていた。
そこに含まれているのは妹の心配というよりも、自分自身が抱く恐怖のように思えてならなかった。
「だから、私がセイカちゃんを守らないといけないの……っ!」
まるで強迫観念だなと思う。
そうしなければ、なにかが壊れてしまうというように。
言葉の端々や態度に怯えが見え隠れしている。
重苦しいなぁ、ほんと。
はぁ、と吐き出す息まで重くなったような気がしてくる。
今だったら逃げ出せそうだが、俺とて鬼ではない。
悲痛に胸を痛める女性を1人残していくほど、非情でなければ非常識でもなかった。道徳はそれなりにある。
「決意は結構なんだが、
その状態で連れ帰ったところで元の木阿弥だろ?
お前の妹もそれがわかってるから帰らないんだろうし」
「そう、だけど……」
言葉に詰まる。
最初の頃、俺を無理矢理巻き込んだ勢いは見る影もなかった。
「いつまでも家出なんてできないし、
私が、守ってあげれば……大丈夫、だから……」
まるで自分に言い聞かせるような言葉だ。
もはや俺に向けてではないだろう。
守ってあげないとねぇ……。
なんだかその言葉は『制服少女は守らないと生きていけない弱い子』決めつけているように聞こえる。
俺の受け取り方が捻くれているだけかもしれないが、弱い者を保護しないという上位意識があるような気がしてならない。
それに、と。
ドの過ぎたシスコンだと思ってはいたが、妙な拗らせ方をしているなとも思う。
まるで制服少女が居なくなると自分が死んでしまうような執着を感じる。
どうあれ重たいはなこの姉は。
家出の理由も、母親とは無関係とは思わないが、本当にそれだけか? と思ってしまう。それこそ、あの時は冗談で考えていた『姉の過干渉が嫌だった』というのも現実味を帯びてくる。
家族揃って面倒臭いなぁもう。
辟易してしまう。
ほんと、妙なことに巻き込まれてしまったものだ。
ただ。
唯一否定できることがあるとすれば、制服少女のことで。
まぁ、確かに行き当たりバッタリで危うい印象は受けるけれど。
そこまで弱いわけじゃないよなぁ、と。
イートインスペースの一角で腹を空かせながらも、
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