第3章

第1話 姉に自転車を奪われ、妹(?)に捕まる

 大学もバイトもないと途端にやることがなくなる。

 休日ではないものの、珍しい休養日だった。

 敷き布団に転がって寝返りを打つ。手足を布団からはみ出して大の字で転がる様は、傍から見れば怠惰の極みだろう。


 けれど、俺からすれば久方ぶりの休息を満喫する、さなぎのような完璧な態勢なのである。今日の休みで力を溜めて、せみの如く羽を広げて大学やコンビニに飛びだっていく。

 ……1週間もせずに蛹に戻る辺り、蝉よりも短命な気もしなくはないが。


 1日なにもしないでのんべんだりなんて、罪深くて最高だなぁ。

 はふぅ、と息を吐き出して、怠惰を貪る。

 今日はこのまま朽ち果てていよう……と思ったのも束の間。30分もしないうちに落ち着かなくなってしまい、赤子がむずがるみたいにくしゃりと顔を歪める。

 右に寝返りを打ち、左に戻り。

「……ダメだ。

 寝れないし、気が休まらない」

 諦めて身体を起き上がらせるしかなかった。


「この歳にしてワーカーホリックとか言わないよな?」

 考えただけで恐怖で身震いする。働きたくなんてないのに、身体は既に社畜として改造されていたなんて夢ですら止めてほしい。

 それならまだ悪の秘密結社に捕まって、変身ヒーローに改造されたほうがマシだった。……なんて考えたが、あれはあれで毎週大変そうだから、今のままでいいやと思う。


「しょうがないか……」

 怠け者になれないというのなら、せめてやりたいことをやらなくては。

 布団を畳んで、端っこに寄せる。

 ただ、やっぱり未練だけはあって。

 出かける前に、畳んで厚みの増した布団にボフリッとダイブする。あぁ、安らぐぅ。



 ■■


 10月も終わりに近付くと、肌寒さを一層感じるようになる。

 夏に青々としていた街路樹も赤く衣替え。すれ違う人たちも寒さから身を守るように服の厚みが増している。


 歩道を彩るように伸びる黄色と赤の落ち葉の絨毯をしるべにして向かうのは、マンションから歩いて30分ぐらいかかる最寄り駅だ。

 最寄りというには遠すぎてバスを使いたくなるが、年々上がる運賃を見るとどうしても顔が険しくなる。そして、財布の紐がキツく結ばれる。


 本当は自転車を使いたかったのだけれど、大学がないならと姉に強奪をされてしまったので仕方なく歩きで向かっていた。

 大学も来年で卒業だろうに。社会人として大人の女性になるのならもう少し落ち着いてくれないものか。言ったら酷い目に合わされるので口が裂けても言わないが。


 信号をいくつか超え。

 何本もの街路樹を横切り。

 ようやく駅が見えてきた頃には、午前10時を過ぎていた。姉とのゴタゴタがあって家を出るのが遅くなったとはいえ、のんびり歩き過ぎたかもしれない。


「ま、いっか」

 たまにはこういう日があっても。

 立ち仕事で運動する機会もないし丁度良かった。なんて、姉の前で言おうものなら『私のおかげ』とか平均よりは発育した胸を張るのだろうけど。

 自転車でも運動にはなるし、時間の節約にもなるんだけどねぇ。


 想像の中の姉にぽしょぽしょと語気弱く言い返すつつ、足を動かす。向かうのは駅近くに唯一ある古書店だ。

 欲しい本があった。

 電子書籍でもいいのだが、できれば安く納めたい。中古でも気にはしない。なければフリマアプリか、電子書籍サイトのセールを待つか。


 歩道と車道の垣根はなくなり、道を分けるのは薄れて消えかかった白線のみ。

 横切る車に気を付けながら、割れたアスファルトの上を慎重に歩く。駅から少し離れていて、自宅のマンションから換算するとそこそこの距離がある。

 ただ、流石にもう直ぐ近くのところまで来ているので、そう時間はかからない。

 ……はずだったのだが、

「少しお話を訊きたいだけだから」

「…………」

 なにやら、学校の制服を着た女の子が、困った様子の警察官に捕まっていた。

 事件かなにかがあった、というよりは、格好と時間帯の問題だろうなと察しはつく。


 平日の午前。腕時計を見ても、まだ11時にもなっていなかった。

 普通なら学校のある時間帯。祝日でもないのに、学校の制服姿でうろちょろしていれば、声ぐらいかけられても不思議ではない。

 近くに交番もあるのだから尚更だ。

 せめて私服なら捕まらなかったろうにと思いながら、通り過ぎがてら女の子の顔を見て「げっ」と思わず汚い声が出てしまう。


 制服少女である。

 いや、制服を着た少女なら誰でもそう呼べるだろうが、そうではなく。

 見覚えのある制服にその顔は、深夜のコンビニのイートインスペースに現れる制服少女だった。


 なんでここにいるんだとか、学校行ってないのかこいつとか。

 思うことは多々あれど、今はそんな疑問よりも逃げることが先決だった。面倒事に巻き込まれる前に――と駆け出そうとしたが、制服少女の予想外の出現に立ち止まってしまったのがいけなかった。


「あ」

 ……目、合っちゃった。

 顔を覆って嘆きたいが、そんな猶予はない。一目散に逃げなくてはと走り出そうとしたが、制服少女のほうがワンテンポ、動き出しが早かった。


 制服少女の顔が安堵で緩み、トンッと地面を蹴る。

 そのまま警察官を避けて、飛び込むように俺の腕に抱きついてきた。逃さないとばかりに強く腕を取られ、ひくっと頬が引き攣る。

 遅れて振り返った警官が、俺と制服少女を交互に見て困惑の表情から不審そうに目を細めだす。そんな目で見ないで。無実です。


 このまま関係ないフリをして逃げ出そうかと迷っているうちに、これまで見たことのないニッコリ笑顔で制服少女が見上げてきて、

「――お兄ちゃん」

 呼ばれ慣れない呼称に頭がフリーズしてしまう。

「もう! どこに行ってたんですか?

 探したんですからね!」

 くらり、と目眩を覚える。

 どうやら出口は、自称妹に塞がれてしまったようだ。

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