僕はバジルを胸に幼馴染の前に立つ

kou

バジルの誓い

 昼休みの中学校内は、生徒たちの活気に満ちた賑やかな声で満ちていた。

 そんな昼休みを迎えた廊下を、二人の男子生徒と女子生徒が歩いていた。

 少年は、同年代に比べれば背丈はやや低めで146cmだが、体格はかなりがっちりしている。

 髪は短めで、懐かない猫のような目つきをしており、表情の変化に乏しい。顔はイケメンというよりは愛嬌のある顔立ちをしており、どこか憎めない雰囲気がある。

 名前は加藤優真ゆうまという。

 そして、少女は身長160cmほどで、少し小柄な体型をしている。黒髪のセミロングで、前髪をヘアピンで留めている。

 瞳は大きく、パッチリとしている。

 とても活発そうな印象を受ける少女だ。

 名前は一ノ瀬いちのせ小春こはるという。

 二人は住んでいる所もお隣同士の幼馴染であり、小学校の頃からずっと同じクラスだった。

 今は二人とも中学生だ。

「あんまり俺と並んで歩くなよ。デカ女」

 優真は、そう言うと、小春より一歩前に出る。

 その言葉に、小春は少しムッとする。

 すでに高校生並みの身長があり、男子と並ぶと頭一つ分ほど差があるため、どうしても目立ってしまう。

 そのため、優真の皮肉に対して、言い返すことにする。

「あら。どうしてかしらね優真?」

 そう言いながら、わざと歩幅を大きくして優真の隣に並ぶ。

 真横に並ぶ優真の舌打ちが聞こえたような気がしたが、聞こえないフリをする。

「決まってるだろ。小春と並ぶと、俺がチビに見えるだろうが」

 確かに、優真の言う通りだった。

 並んで歩いているだけで、二人の身長差が強調されてしまうのだ。

 小春の方が14cm高いこともあり、優真は必然的に上目遣いになる。それが彼にとって屈辱的らしく、こうして憎まれ口を叩くのだ。

「あら。実際そうじゃない。平均身長以下なんだから、仕方がないでしょ? それに、私から見れば、優真は小学生みたいで可愛いと思うけどな〜」

 そう言って、からかうように笑う。

 優真は顔を赤くしながら反論する。

「うるせえ。お前がデカイだけだ!」

 優真は、そう言い捨てると、そっぽを向いてしまった。

 そんな彼の様子を見て、小春はクスクスと笑う。

 小春には、優真が可愛くて仕方なかった。

 いつもこうやってからかっているのだが、その度に反応してくれるので、ついついやりすぎてしまうことがある。

(本当に可愛いんだから)

 小春は心の中で呟く。

 二人の身長差が生じたのは小学四年生の頃だった。その頃はまだ同じくらいの身長だったが、今では完全に小春の方が高くなっていた。

 それが優真のコンプレックスになりはじめだった。

 背の低さから、優真をバカにしたり、からかう連中もいたが、優真はそういった連中に対しては、小学生の時から学んだ空道によって制裁を加えた。


【空道】

 極真空手から発展した武道であり、実戦性と安全性を非常に意識されている。

 突き技、蹴り技に加え、投げ、頭突き、肘打ち、金的蹴り、寝技、寸止めマウントパンチ、関節技、絞め技など様々な攻撃が認められる着衣総合格闘技。

 2001年に第1回の世界大会が開かれるのを機に、それまでの「空手」の名称から新たな武道である「空道」へと名前を変えた。

 ただし1980年代から空道を名乗ってはいないものの現在とほぼ同様の規模・ルールでの競技が毎年行われており、2001年に行われたのは「名前の変更」だけであると言っていい。

 空道は、限りなく実践を想定しての護身術性が高いため、世間でいういわゆる総合格闘技のように、寝技を必要以上に重視しない。

 なぜなら、万が一、そういう場面に巻き込まれてしまった場合、1対1とは限らない。

 相手が多い場合、寝技に持ち込むと大変危険だ。

 打撃で倒すのか、投げて極め突きや蹴りで倒すのか、多人数を相手にしてしまった時にも護身できる武道なのだ。


 優真は、すでに黒帯の有段者で、同年代の道場生と比較しても頭一つ抜けた実力を持っていた。

 近々、全国大会にも出場する予定らしい。

 そんな彼は、小柄な体格ながらもその圧倒的な強さで敵をなぎ倒していくことから、一部では《小さな巨人》と呼ばれていたりする。

 もっとも本人はあまり気に入っていないようだが……。

 倉庫代わりになっている旧校舎の一室に着く。

 教室の一室に行くと、そこには様々な備品が置かれていた。

 段ボールの中には本や紙類が入っており、それを教室に持っていくのが仕事だ。

 二人で行う作業としては少々骨の折れる仕事ではあったが、昼休憩の内に済ませておかなければならない。

「おい。さっさと済ませるぞ」

 目的の箱を手にすると、不意に優真が話しかけてきた。

 その声色からは苛立ちのようなものが感じられた。

「もう。待ってよ」

 小春はダンボール箱を手にして持ち上げようとして、唸る。

 その様子を見て、優真は小春に近づく。

「何だ。そっちの方が重いのか?」

 そう言うと、小春が重いと感じたダンボール箱を軽々と持ち上げた。

 そして、そのままスタスタと歩いて行く。

 小春はその後ろ姿を見ながら、微笑んでしまう。

(こういうところがカッコよく見えちゃうのよね)

 そんなことを考えつつ、軽い方のダンボール箱を手に小走りで追いかけるのだった。

 小春は優真に追いつくと、小声で笑ってしまう。

 彼が手にしているダンボール箱の中身は、全て辞書だったのだ。

 重さで言えば、間違いなく辞書の方が重たいだろう。

 それなのに、平気で運んでいる姿を見て、思わず笑ってしまったのだ。

「何だよ」

 優真は小春の方をチラリと見た。

 どうやら、彼には笑われたことが見え見えだったようだ。

「やっぱり男の子だなって思っちゃっただけよ」

 そう言いつつ、優真の方を見る。

 彼は顔を真っ赤染める。

「……バカにするなよ」

 そう言って、優真は早足で歩き始めた。

 小春は、先を急ぐ。

「おい。足元が悪いんだから気をつけろよ!」

 優真が注意を促すが、小春の耳には届いていないようだった。

小春は手元にダンボール箱を手にして足元が見えにくくなっていたこともあって階段を踏み外してしまった。

 身体が大きく傾いていくのが分かる。

(しまった)

 そう思った時には遅かった。

 バランスを崩したまま、落下していく感覚が伝わってくる。

 痛みと衝撃に備えて、目を瞑った。

 急に腕を引っ張られる感覚がしたかと思うと、何かにぶつかったような衝撃が走る。

 しかし、思っていた程痛くはなかった。

(あれ?)

 恐る恐る目を開けると、古びた天井が見えた。

 どうやら、自分は階段の上に寝転がっているようだ。

(助かった……?)

 そう思って身体を起こそうとした時、視界に優真の顔があった。

「小春! 大丈夫か!?」

 優真は、必死の形相でこちらを見つめていた。

(そっか。私、落ちる時に庇ってくれたんだ)

 優真の腕が自分の肩に回されていることに気づく。彼は小春を抱きかかえるようにして、支えてくれていたのだ。

 その証拠に、自分のお腹あたりに彼の腕が回っているのを感じる。

 その力強さに、ドキッとした。

 同時に、優真の顔が近いことに気がつく。

 吐息すら聞こえそうな距離にある優真の顔は、とても凛々しく見えた。

 幼馴染として過ごしてきた中で見せたことのない表情に、胸が高鳴るのを感じた。

 顔が熱くなっていくのが小春自身でも分かるほどだ。

 鼓動が速くなるのを感じつつ、ゆっくりと起き上がる。

 その時に、ようやく自分が彼に抱き抱えられていることに気づいた。

 心臓がバクバクと音を立てていた。

 この音が優真に聞こえていたらどうしようかと思ってしまうほどだった。小春は胸を両手で抱いて呼吸を整えようとするが、上手くいかない。

 胸の動悸が激しくなっていく一方だった。

 優真の顔を見ることが出来ないまま俯いていると、彼が声をかけてきた。

 その声は普段よりも優しい響きを持っていたように感じる。

「どこか痛くないか?」

 その言葉に小春は頷くことしかできなかった。

 優真はホッとしたような表情を見せると、小春はそっと彼を盗み見た。

 すると、目が合ったような気がした。

 慌てて目を逸らすと、今度は優真の方から視線を感じた気がした。

 心臓の音がどんどん早くなってくるのが分かった。

「よし。じゃあ、立ってみようか」

 優真は、そう言って小春を支えながら身を起こさせる。

 力強い支え。

 それは、自分を守ってくれているのだという安心感を与えてくれた。

 そのおかげで、小春はケガ一つしていない。

 不意に、優真の身体が沈んだ。

 倒れるように。

 みれば優真は、その場にしゃがみ込み右足首を押さえ苦痛に表情を歪ませていた。

「優真。どうしたの?」

 小春は、しゃがみこんで気遣う。

「大丈夫だ。ちょっと、足首を捻ってしまったらしい」

 優真は、少し辛そうに答える。


 ◆


 次の日、優真はギプスと松葉杖で登校した。

 昨日、足をくじいてしまったことが原因だ。

 酷いくじき方をしたらしく、優真は休憩時間の合間に、痛み止めの薬を飲んでいた。

 小春は、そんな優真の姿に一言二言謝りを入れることしかできなかった。申し訳なさすぎて、いつものように話せない。

 なぜなら、今週の休みには、空道の全国大会に向けた地区予選が控えていたが、ケガが元で出場を諦めなければならなくなった。

「私のせいで優真が……」

 昼休み、小春がそんなことを考えて思い悩み項垂れていた。

 昼休みを終わろうとする時間になっても、小春は教室で優真と顔を合わせるのがつらくて、戻ることができず途方に暮れていると、彼女を見つめる少女の姿があった。

 長い黒髪で、切れ長の目。

 背丈は高く、花のようにすらりとしモデルのような体型をしている。

 顔立ちは非常に整っており、可愛いというより美人という言葉が相応しいだろう。

 彼女の黒髪は、艶やかで真っ直ぐに伸びており、腰まで届いていた。

 時折風に揺れる姿は、まるで闇の中に輝く星のように美しく、不思議な魅力を放っています。髪の毛には淡い紫色のグラデーションが見え隠れし、夢幻的な雰囲気を演出する。

 肌は白く透明で、少し不思議なほどに無垢に見える。その白い肌には、ほのかに桃色が差しており、健康的な輝きを持つ。

 何より特徴的なのは瞳で、紫色の瞳は、幾重にも重なった色合いが奥深くに宿っていた。神秘的な光を湛えた瞳は、人を引き込むような魅力を持っており、まるで未知の世界を覗いているような錯覚さえ覚えた。

 名前を、姫川玲奈れいなという。

 紫の瞳は、自然発生による出現率は1000万分の1と言われている。

 そのため、彼女は希少な存在であり、周囲から注目を浴びることが多かった。

 しかし、本人は他人を寄せ付けない性格のため、友人はいないとされている。

 そんな彼女は、小春の姿を見ると突然話しかけられた。

「どうかしたの?」

 玲奈の声色は、泉に水滴を滴らせたかのような透き通った音色だった。

 どこか儚げでありながら、強い意志を感じさせる声に、小春はドキッとするのを感じた。

 だが、すぐに我に返ると、慌てて返事をする。

「な、何でもないわ」

 すると、玲奈は、小春の顔をジッと見つめてきた。

「ウソね。一ノ瀬さんは、いつも何か考え事をしている時、左手で制服のリボンを弄っているもの」

 玲奈は、そう言いながら、小春の左手を指さした。

「それに一ノ瀬さんからは黒い色が出ている。何か思い悩んで苦しんでるのね」

 玲奈の指摘に小春は驚く。

「どういうこと?」

 問に対し、玲奈は答える。

「私、共感覚を持っていて、他の人が見えない色を視ることができるのよ」

 玲奈は説明した。


【共感覚(Synesthesia)】

 ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。

 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。文字や数字を目にすると、色が浮かんできたり、人に色を感じる人たちがいるという。

 人により見え方や感じ方は異なるというが、そのような現象を「共感覚」と呼ぶ。

 以前、パラリンピックのメダリストが「人の動きや力の使い方が色で見える」と話したことでも話題になった


(そんな人がいるなんて……)

 驚きのあまり言葉を失う小春だったが、その共感覚で自分がどう見えたのか気になった。

「どんな風に見えたの?」

 恐る恐る尋ねると、玲奈は答えた。

「破滅的な色ね。暗い色に染まっている。とても苦しい状況にあるみたいね。悩みがあるなら相談に乗るわよ?」

 その言葉に、小春は驚いた。

 小春が話を終えると、玲奈は言った。

「それは辛かったわね。でも大丈夫よ。私が何とかしてあげるから安心して」

 その言葉を聞いた瞬間、小春の中で何かが弾けたような気がした。今まで我慢していた感情が一気に溢れ出してくるようだった。

 気づけば涙を流していた。

 嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。

 その間、玲奈はずっと手を握ってくれていた。

 それが何よりも嬉しかった。


 ◆


 授業が終わると、優真は松葉杖を手に席を立った。

 そこに小春が 近づいた。

「優真。一緒に帰ろ」

 笑顔で言う。

 その表情には、先ほどまでの陰鬱さはなく晴れやかにしているが、それは作り笑いだ。

「……いくら家が隣同士だからって、わざわざ一緒に帰る必要もないだろ。それに小春と居ると、俺がよけいにチビに見えるだろ」

 優真は少し驚いたように目を見開いた後、視線を逸らせた。

 慣れない松葉杖をついて歩くと、一人でさっさと教室から出て行った。

 小春は、一人残され悲しい気持ちになったが、そこに玲奈が近づく。

「姫川さんから見て、優真は何を考えていたか分かった?」

 小春の質問に、玲奈は頷く。

 一人、ほくそ笑む。

 どうやら、小春の心配事は解決したようだ。 

「私がいい方法を教えてあげるから、今から買い物に行きましょ」

 玲奈は、そう言って小春の不安を余所に誘っていた。


 ◆


 その日の夕方、優真が一人自宅で過ごしていると呼び鈴が鳴った。

 誰だろうかと思い玄関を開けると、そこには制服姿の小春が立っていた。

「小春」

 予想外の訪問者に驚いていると、彼女は言った。

「おばさん達、今日は遅いんでしょ? 夕飯作るから、一緒に食べよう」

 突然の申し出だった。

「いいよ。家にカップ麺とかあるし」

 断ろうとすると、小春は頬を膨らませて怒った表情になった。

 怒っているのだが、何だか可愛らしい仕草なので迫力がない。

 それどころか可愛いと思ってしまうほどだった。

「そんな偏った食事で身体を壊さないわけないでしょ! いいから大人しく食べなさい!」

 小春の有無を言わせない口調だった。

 こうなってしまうと、優真は言うことを聞くしかない。渋々頷くと、小春はニッコリと笑った。

 まるで天使のような笑顔だった。

 そして、小春は持っていたカバンの中からエプロンを取り出すと身に着け始める。

 それから、買い物袋から食材を取り出すと台所に立った。

 慣れた手つきで調理を始める。

 トントントンという包丁の音が心地よく耳に入ってくる。

 包丁を扱う姿も、野菜を切る手つきも、実に鮮やかで見ていて飽きない。

(意外と料理上手なんだな)

 優真は小春の以外な一面を垣間見れた気がした。

 フライパンではハンバーグを焼く。レトルトと違ってひき肉からの手作りなので、香りが決定的に違い美味しそうな匂いが漂ってきた。

 その合間に、アスパラガスを切る。

「優真。ちょっと手伝ってくれる?」

 小春に頼まれて優真は、フライパンを熱しオリーブオイルを敷いた。

「私がバジルを入れるから、優真はアスパラガスを入れて。それから二人で炒めるの。良い?」

 訊かれて、優真はアスパラガスを見る。

「俺、アスパラ苦手なんだよな」

 と零す。

「好き嫌いしないの。大きくなれないわよ」

 小春の指摘に、優真はコンプレックスにズキッとした痛みを覚えるが、ケンカをするには場違いだと思い、彼女に従うことにした。

 バジルとアスパラガスがフライパンの上で躍り合うように動き回る中、二人は箸を使って器用に混ぜ合わせていく。

「なあ。これを炒めるのに、俺が必要か?」

 ふと疑問を口にすると、すかさず小春が答える。

 それは、もはや答えではなく説教に近いものだった。

「必要よ。これが、メインディッシュなんだから」

 そう言って、小春はアスパラガスとバジルの炒め物に、軽く塩コショウをして味付けをする。素材の味を活かした味付けだ。

「よし。完成」

 小春は出来上がった料理を皿に盛りつけていく。

 食卓の上に、ご飯、ハンバーグ、アスパラのバジル炒めが並ぶ。

 優真は、それらを見比べると思わず感嘆の声を漏らした。

 その出来栄えは、とても素人が作ったとは思えないほど素晴らしいものだ。

 見た目だけでなく、匂いや香り、湯気までもが食欲をそそらせる。

 見ているだけで涎が出そうだ。

「どう。カップ麺とは大違いでしょ」

 得意げな顔をする小春を見て、優真は思わず笑ってしまった。

 二人は揃って食卓につくと、両手を合わせる。

 そして、いただきますと言って食べ始める。

 まずは、ハンバーグを一口。

 口の中に入れた瞬間、優真は感動を覚えた。

 柔らかい食感に、濃厚な肉汁の味わい。

 今まで食べたことがない美味しさだった。

「小春って、料理が上手いんだな。意外だよ」

 素直な感想を述べると、小春は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。でも、私なんてまだまだよ。もっと上手くなりたいもの」

 謙遜するように言った後で、今度は自信満々の表情に変わる。

 その表情の変化に、優真は少し驚いた。

 彼女の感情表現は、本当に豊かだと思う。

「それより、このアスパラガスとバジルの炒めものを一緒に食べよ。さっき言ったように、これがメインディッシュなんだから」

 小春の言葉に、優真は頷きながら食べる。

 その瞬間、衝撃が走った。

 アスパラガスのシャキッとした歯応え。

 そこに、バジルの香りが鼻を抜けていく。

 口の中に広がる、爽やかな風味。

 青臭さがなく、むしろ甘いくらいだ。

 その後に、ピリッとした辛味が舌を刺激する。

 しかし、決して嫌な感じではない。

 逆に、それがアクセントとなり、より一層美味しさを引き立てている。

 気づけば、あっという間に平らげてしまった。

 あまりの美味さに、優真は驚く。

 こんなにも美味しいものがあったのかと。

 美味しいには違いない。

 しかし、ハンバーグに比べれば肉の美味しさには敵わない気がした。優真には、それが分からなかった。

 すると、小春が言った。

「実はね。これは、アスラガスとバジルの恋魔術。っていうものなの」

 小春は説明した。


【アスラガスとバジルの恋魔術】

 ギリシャに伝わるカップル向けの魔術。

 まず恋人同士で、フライパンを熱し、そこにオリーブオイルを少々入れ女性がバジルを、男性がアスパラガスを持ち、その中に入れる。

 あとは二人でバジルとアスパラガスを炒める。

 アスパラガスが柔らかくなったら火を止め、永遠の愛と仲むつまじい未来の二人の姿を想像しつつ、このアスパラガスとバジルの炒めものを食べる。

 たくさん食べる必要はないので、最初から少量だけを作るといいという。

 そして、作ったのは全部二人で食べきる必要がある。

 この料理を食べると、二人の間に喧嘩も少なくなるとされる。


「どうして、そんなものを……」

 優真が尋ねると、小春は答えた。

「姫川さんが相談にのってくれたの。私達ってさ。小学校の時は、もっと仲が良かったじゃない。それこそ、毎日一緒に遊んでいたくらい」

 優真は、小春の言葉に確かにそうだった。

 毎日のように小春と遊んでいる記憶がある。

 あの頃は、楽しかった。

 一緒に登校し、一緒に帰る。草原を駆け回り、二人一緒に遊ぶことが、あんなに楽しいことだと思わなかった。

 しかし、中学に入ると、少しずつ変わっていった。

 年頃の思春期ということもあって、優真の方から小春のことを避けるようになっていた。小春よりも背が低いこともあって、からかわれることが増えたからもある。

 そんな日々が続くうちに、いつしか小春との間に距離を感じるようになった。

 いや、そんなことを考えても意味がない。

 それに今は、目の前にいる少女のことだ。

 彼女が自分に何を望んでいるのかを知るべきだと思った。

 優真は言った。

「それで……。小春は、どうしたいんだ?」

 その言葉を受けて、小春は静かに微笑むと言った。

 それは、どこか悲しげな雰囲気を感じさせる表情であった。気がつけば耳を赤くし、頬がほんのり赤く染まっていた。

 そして、小春は口を開く。

「……あのね。わ、私。……優真のことが」

 小春は目を潤ませながら、その言葉を紡ぎ出す。

 すると突然、優真が叫んだ。

「ダメだ!」

 突然のことに、小春はビクッとして身体を震わせた。

 恐る恐る、小春は尋ねる。

 優真は、静かに首を横に振った。

 その目には、涙が浮かんでいるように見えた。

 小春は、動揺した。

 もしかして、嫌われたのではないか。

 そう思ったからだ。

 小春は、震える声で言う。

「優真……」

 優真は、何も答えなかった。

 ただ、悲しそうに俯いているだけだ。

 その時、小春は思った。

 やっぱり、無理なんだ。

 自分の想いを伝えることなんて、できないんだ。

 そう思うと、優真は謝った。

「大きな声を出して、ごめん。でも、それは俺の方から言わせて欲しい。それは今じゃないけれど」

 その言葉に、小春は思わず泣きそうになった。

(姫川さんの、言う通り。私達、同じ気持ちだったんだ……)

 あの時、小春と優真が接している時に、玲奈に優真を共感覚で彼の気持ちを色で見てもらった。

 共感覚の持ち主は、人の気持ちがダイレクトに色で伝わってくるので、今何を欲しているか、赤の他人でもわかってしまうという。

 玲奈は詳しくは語らなかった。

 それは、決して悲観的にならないことと告げられると共に、《アスラガスとバジルの恋魔術》を教えてくれたのだ。

 優真と仲直りをしたいなら、この料理を作ってあげなさいと。

 最初は、半信半疑だった。

 しかし、その効果は絶大だった。

 優真の表情がみるみる変わっていくのが分かった。

 耳まで真っ赤になり、照れているのがよく分かる。

 それを見た小春は、胸が高鳴るのを感じた。

 嬉しかった。

 やっと、彼と心を通わせることができたのだから。

 だから、小春は改めて先日のことを謝る。

「ごめん優真。私のことを助けたばっかりに、空道の試合に出られなくなって。試合に備えて、優真がどんなにがんばってたか私知ってたのに」

 小春の突然の発言に、優真は目を丸くする。

「俺は別に優勝したいから空道をやってたわけじゃない。俺は、小春が上級生にからかわれている時に、上級生とケンカをして負けた。俺が空道をしようと思ったのはそれからだ」

 優真の言葉に、小春は驚く。

 彼が武道を志した切っ掛けが、自分にあったとは思わなかったからだ。

「俺は、小春のことを守りたい。どんな奴が来ても、小春のことを守れるだけの強さが欲しかっただけだ。試合で勝って優勝したり、褒められたいからじゃない」

 優真は小春の目を見て、はっきりと目的を告げ続けた。

「俺は、もっと強くなって背を伸ばす。そうすれば、もっと男らしくなるはずだから……。その時は、俺の方から小春に告げる。それまで待って欲しい」

 優真の言葉を聞きながら、小春は涙を流していた。

 嬉しい気持ちでいっぱいになる。

 自分のことをそこまで想っていてくれたなんて。

「分かった。じゃあ、私は自分から言わないようにするわ。だから、私はこうするわ」

 小春は、そう言って席を立つと台所にある、料理をした時に余ったバジルの葉を制服の胸とエプロンとの間にはせた。

 小春は、頬を朱に染めて優真に向き直った。

 優真には、その意味が分からなかった。

 その意味が分かったのは、小春が台所を片付けて帰った後。一人、バジルの意味をスマホで調べた時のことであった。


【バジル】

 バジルという名前は、ギリシャ語の「王」を意味する「バシレウス(Basileus)」に由来する。その為、バジルは「王様の薬草」「ハーブの王様」と言われる。

 バジルには白い可憐な花が咲くが、その花言葉は「好意」「好感」「幸運」「神聖」など。

 そして、バジルはイタリアではプロポーズのシンボルとされ、バジルを身につけて意中の相手の前に立つと「あなたを愛しています」ということを意味する。


 翌朝、小春が登校するために家の玄関を出ると、そこに優真が松葉杖をついて立っていた。

「優真……」

 小春は驚き、思わず声を上げる。

 すると、優真は苦笑しながら言った。

「おはよう。小春の作ってくれた飯が美味すぎて、今日も元気に登校できそうだぜ!」

 優真は、素直に感想を伝えた。

 小春は、優真の胸にバジルの葉があることに気づく。

「優真。それって……」

 小春の問いに、優真は答えた。

 その顔は照れ臭そうだったが、とても嬉しそうであった。

 彼は、笑顔で言う。

「俺も。気持ちは一緒だ。好き嫌いしないで、背を伸ばすからな」

 そう言って、優真はバジルの葉を食べるのだった。

 今日は晴天だった。

 雲一つない青空が広がっている。

 そんな空の下で、優真と小春は仲良く並んで歩いていた。

 小春は優真と歩きながら、いつか手と手を恋人繋ぎをしている。

 そんな、未来を思い浮かべていた……。

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