百合と腰痛と銀河鉄道
いかずち木の実
百合と腰痛と銀河鉄道
女は宝くじで300万US《ユニバーサル》ドルに当選した。
女にはかねてから解決したい問題があったが、しかしカネはあってもリソースのない地球という銀河系の外れではどうにも出来そうになかった。
「腰痛をそんなに治したいなら機械の体になればいいよ」
行きつけの整体の店主が女に言う。
「ネジにさせられたりしませんか?」
「あははは、タダじゃないから大丈夫だよ。ただし、この地球で手術することは不可能だけどね」
女は腰痛に悩まされていた。
まだ二十代も後半なのに、ずっと慢性的なひどい腰痛に悩まされていたのである。いくら地味に高いカネを払い定期的に整体に通っても、せいぜいがマシになるだけで、根本的な解決を見ることのない、ある種の不治の病である。
腰痛がいかに厄介な病かと言えば、まだ地球が文化の中心地であった頃――二十一世紀初頭の大人気漫画家(しかも配偶者はそれに更に輪をかけて人気な漫画家だった)でさえひどい腰痛に悩まされ休載を続け、カネでそれを解決することが出来なかったほどである。
しかし今は二十三世紀、人類が宇宙の隅々まで進出し、宇宙人と交流するようになった時代だ。たとえこの文化後進地の地球では無理でも、はるか宇宙の彼方ならばあるいは、女はそう思った。
かくして女は銀河鉄道に乗ることにした。
「……あ、きっつ、ムリムリムリ」
しかし、腰痛持ちに列車の旅など自殺行為である。
大枚はたいて銀河鉄道のチケットを買ったは良いが、自前のクッションを貫くエゲツのない振動はハンドマッサージャーでは誤魔化しきれず、女の腰は日に日に破壊されていく。
だましだまし停車した駅で整体を受けては進むを続けていたある日、女は珍しい乗客に出会った。
「あなたはどこを目指しているのですか?」
ボックスシート、女の前の座席に馴れ馴れしく座って話しかけてきた乗客はアンドロイド――つまり機械の体の持ち主だった。
「999番惑星駅です。腰痛がひどくて、機械の体が欲しいのです」
「へえ、機械の体ですか。私は生まれついてのアンドロイド――もちろんアンドロイドは皆生まれついてですが――でして、1000番惑星駅で人間の体を手に入れたいと思っているのですよ」
「はい?」
毎日肉体という檻の中に閉じ込められ、たいそう不便でつらい思いをしている女には、その言葉は全く理解不能だった。
「そんな物を手に入れてどうするんですか。ピノキオじゃあるまいし、秒で後悔しますよ」
「二十一世紀初頭の地球ではあえてアナログなもの――レコードやカセットテープ――を使う人々がいたらしいです。私もあえてアナログ回帰してみようかと思いまして。今アンドロイドのあいだでブームなのですよ」
「……そうですか。ちなみにいくらですか」
女はそれが機械化と同じ値段がすることに絶句した。
そんなある日のことである。
「整体も何も、ここにはヒューマノイド型の人間はいないよ」
立ち寄った停車駅、古の火星人観そのものな触手に単眼のキオスク店主が言う。
「君たちと我々じゃ体の機能が大違いだからね」
「じゃあ私は腰痛を我慢しなきゃ駄目だと?」
「その腰? ていうのがまず何なのかよくわからないけど、そういうことだね」
困った。とても困った。そもそもここ最近ヒューマノイド型が住んでいる停車駅に出会っていなくて、彼女の腰は限界だったのだ。
「何とかならないんですか」
「……そうだね、ああ、そういえば、向こうのジャンク屋に――」
店主に言われたとおりにうらぶれたジャンク屋にやってくると、たしかにそれは売っていた。
セール品。おでこに何度もシールを上から張り直した跡が見て取れる、まさしくジャンクの風格。
「あの、これくれますか」
言いながらしゃがんで指差すと、鋭い痛みが腰に走る。今すぐなんとかしてほしかった。
「良いけど、たぶんすぐ壊れるぞ? 壊れても古すぎて修理できないし」
「良いんです」
親切な店主にお礼を言うと、女はそれを購入した。
女が買ったのは、一体のアンドロイドだった。
そうはいってもあちこちが古すぎるポンコツ、電子頭脳の程度が低すぎてヒトとして認められていない、10世代も20世代も前の型番不明機体であったが。
「……ええっと、ご主人さま」
再起動してからずっと呆けた顔をしていた彼女が、銀河鉄道のボックスシートでやっと口を開いた。
「ゴシュジンサマ? 何語?」
そうだ、彼女。彼女である。
彼女の見た目は十代後半くらいの少女の出で立ちで、服は見たこともないような白いフリフリのエプロンにカチューシャだった。
当然見た目も分からなければ、言葉もわからなかった。
「ええと、ご主人さまはご主人さまです」
「分からん。私はゴシュジンサマじゃなくて、――なんだけど」
「でも名前で呼んじゃ駄目だってマニュアルに」
「……あっそ。じゃあそれでいいから、マッサージして」
席をベッドに倒して、うつ伏せに倒れながら言う。
「了解しました、ご主人さま」
はるか昔マッサージ用に地球で運用されていたという逸話を持つ彼女は一体どんなマッサージをするのだろう――女はそう思っていたが、
「え、ちょっ、なんで服ぬいでるの!?」
いきなりの衣擦れの音に仰天した。
「あ、着衣のほうが良かったですか?」
「いやそうじゃなくて、私はマッサージして欲しいって言ってるんだけど」
「ですからマッサージですけど?」
……訳が分からない。返品しようにも、既に彼女の分のチケットは買ってしまったし、ジャンク屋があった駅ははるか遠くだ。
「よくわからないけど、いかがわしいやつじゃなくて、こういうやつだから」
女は手元の端末で、腰をマッサージする動画を見せる。
「……なるほど。やったことないですが、やってみます」
本当にマッサージ用だったのだろうか。怪訝に思いながらも彼女に身を任せて――
「……けっこうやるじゃん」
思いの外ゴッドハンドな彼女に、女は久しぶりに痛みを忘れた。
久々にいい買い物をしたと思う。地球にいた頃は高額なマッサージ機や自称ゴッドハンドの仙人にカネを溝に捨てていたが、彼女はたった7US《ユニバーサル》ドルで凄まじい効果を発揮していた。コスパ最強である。
「あー、そこそこ、最高」
「こうですか」
「そうそう、それそれ、ありがとうね、地球にいた頃もこんな上手い人いなかったよ。……ええっと、なんて呼ぼうかな」
そうだ、7US《ユニバーサル》ドルだったから――
「ナナ。あんたは今日からナナね。私専属のマッサージ機の、ナナ」
「分かりました、ご主人さま!」
ナナは弾けるような笑顔で言ったが、女はうつ伏せでマッサージを受けていたので、その視線が交わることはなかった。
「ナナ、疲れたわ。腰だけじゃなくて今日は肩もやって」
999番惑星駅――機械の体を手に入れられる駅に到着するまであと少しだった。
けれどもすでに女の体はナナのマッサージによってすっかり健康体になっていて、痛みはするがナナがいれば問題ない程度に寛解していた。
そんなある日である――
「……ナナ? もうちょっと強くしてほしいんだけど。……ナナ?」
ナナが煙を出して突然倒れたのは。
「あー、これは経年劣化ですね。見たところ軽く100年は昔のモデルみたいですし」
998番惑星駅の技術者は、倒れて目を瞑ったままのナナをしばらく点検してから、そう言った。
「100年!? 何とかならないんですか」
「パーツを交換すればなんとかなるかもしれませんが、古すぎてパーツも現存していないでしょうしねえ。これは廃棄するしか」
「絶対、いやです!」
「そう言われても、今はかろうじて動いていますが、いつ完全停止するか分かったものではないですよ」
「このやぶ医者! 他所を回ります!」
暴言とともに女はナナの体をおぶって、ジャンク屋をあとにする。
かつての病体だったらこんな重量物――そうはいっても30kg程度だが――を持つことは出来なかっただろうが、それもこれもナナのおかげであった。
「……ご主人さま」
そんな彼女の背中で、ナナが目を覚ます。
「……良かった」
思わず胸をなでおろす彼女に、ナナは続けた。
「ええ、良かったです。私が999番駅に着くまで持って」
「は?」
「私はもう壊れてしまいますが、ご主人さまは体を機械にするから問題ないでしょう?」
「いやその、そんな問題じゃなくて!」
「そういう問題ですよ」
「私はあなたがいないとすぐ腰もがたがたになっちゃって――」
「だからそれも終わりじゃないですか」
女はわけもなく泣きそうになった。
ナナの言う事はどこまでも正しかった。たった7USドルでここまで持ったのが奇跡的だったのだ。途中で壊れなかったことに感謝するべきなのだ。
しかし理屈ではそう思っても、感情は違う。
「私は、私は、その……」
言いあぐねてる間にも、次のジャンク屋が目にはいった。
「999番駅なら、なんとかなるかもしれませんよ」
そのジャンク屋は言う。
「それは本当ですか!?」
「ええ、あそこは機械化技術の総本山ですから。たとえ100年前の機械でもなんとかなるかもしれません。あそこには私の知り合いに凄腕の技術者がいるので、紹介状を書きましょう。彼ならあるいはなんとかなるかもしれません」
女は店主が一言も断定しないのを聞き流して、ナナを連れ立って999番惑星駅を目指した。
「……すいません。無理ですね。パーツは全宇宙を探し回ればなんとかなるかもしれませんが、そもそも技術が古すぎてロストテクノロジー化してるといいますか」
女は絶望した。
その後何店も店をはしごしたが、999番惑星駅にはナナを直せる技術者はひとりも見当たらなかった。
「……どうしよう」
頭を抱える。ずっとナナを担いで歩いていたせいで、腰は限界が近かった。こうして路地に座っていると、根でも生えたみたいにもう動けそうになかった。
「私を捨ててネジにリサイクルしてもらえば良いんじゃないでしょうか」
いつの間にか目を覚ましていたナナが言った。
「絶対嫌」
「なんでですか」
「それはあの……ええっと、察しなさい」
どうして自分は機械相手にこんなことをしているのだろう。
どうして素直になれないのだろう。
「お客が欲しがっているのはドリルじゃなくて穴なんですよ」
「……は?」
突然のナナの言葉に、目を丸くする。
「大昔の地球の格言です。……まあ、私が穴とか言ったら別の意味に聞こえそうですが」
「意味分かんないんだけど」
「とにかく、ご主人さまはさっさとこの星で機械の体になって、私のことなんて忘れるべきなんです。私のマッサージがいくら気持ちいいからって、物事には優先順位ってやつがあるでしょう」
「……そうじゃなくて」
「はい?」
女はしばらくもごもご言ってから、ようやく決心して言った。
「あんたのことが、好きなの。腰痛とか、マッサージとか抜きにして」
「……はい?」
女はナナを抱きしめた。
「好きだって言ってるでしょうが! 好きなの! だから死んでほしくない! 私そんな変なこと言ってる!?」
「いや、そんな事ないですが」
目を丸くするナナを抱きしめながら、女はわんわん泣いた。
路上でひと目も気にせずに、ひたすらに泣いた。
ありえないくらい旧型のアンドロイドと、今どき肉体を持っている女の取り合わせは、ひどく奇っ怪に見えた。
そうして泣き疲れた頃、女は顔見知りに出会った。
「……おや、あなたは」
それは、銀河鉄道の中で出会った、人間の体になりたがっていた変わり者のアンドロイドだった。
そして彼女は、気づいてしまった。
ナナを救う、たったひとつの鈍くさいやりかたに。
1000番惑星駅でのみ行われている、世にも珍しい手術――アンドロイドの人間化手術は、人間を機械の体にするくらい費用がかかった。
当然それは預金のほとんどを費やすほどの大手術で、当然機械の体になることを諦めねばならなかったが、何なら人間の体になったナナが今まで同様にマッサージが出来るという保証もなかったが、それでも。
「ねえご主人さま、バカなことはやめましょうって」
「やめない。だって一緒にいたいもの」
「でもそしたら、ご主人さまの腰痛は治りませんよ。他の病気だって」
「ナナは私といっしょは嫌なの」
「……いや、できるならいっしょがいいですけど」
「じゃあこれは命令、手術を受けて」
かくして、ナナは人間になった。
女は腰痛のままだった。
人間になったナナのマッサージはまるで力が入って無くて、好きな相手に触れてもらっている以上の価値はなかった。
「その、好きな人が、パートナーが、出来ました」
二人はしばらく一緒に暮らしていた。しかしある日、ナナは現地の元アンドロイドの彼女を連れてきて、はにかみながら言った。
初めて見る顔だった。今まで一度も見せたことのない顔だった。
「……そっか、幸せになりなよ」
女は少し寂しそうな笑顔を浮かべて、それでも祝福した。
「全部、あなたのおかげです。あなたがいなかったら、私は彼女と出会えませんでした」
「……うん、私もあなたに出会えなかったら、こんなに毎日が楽しくなかったと思う」
腰は痛いままだったけれど、それでもナナとの生活は楽しくて。
「本当にありがとうございました、――さん!」
ナナは涙を流しながら女の名前を呼ぶと、そのままアパートを出ていった。
「……まあ、そんな都合のいいこと、ないよね」
もともと対等ではなかった二人に、どんな関係が芽生えるだろうか。
そもそも自分は、何を期待していたのだろう。
ナナが去ったアパートの郵便受けに、チラシが入っていた。
『ゴッドハンド整体院 これであなたも痛みに金輪際オサラバ!』
馬鹿みたいな広告。
自暴自棄になった女はそこへ向かい、仙人みたいな整体師に“気”を整えられて、それ以来腰痛に悩まされることはなくなった。
初回料金は7US《ユニバーサル》ドル、ちょうどオンボロアンドロイドが一体買えるお値段だった。
百合と腰痛と銀河鉄道 いかずち木の実 @223ikazuchikonomi
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