第11話 竜の目覚め
次の朝。
リンチェに案内されて、ロディアスとベルリアはディルアードのいる場所を目指す。
昨日は精霊樹のある所まで行ったが、あそこも森の深い場所だった。それより深いとなると、ロディアスも昔両親に連れられて行ったことが数回ある程度。記憶もかなりあいまいだ。
「こんな森の奥へ来るんだから、あの密猟者達の執着ってすごいわね」
いくら金になるからと言っても、こんな奥まで来れば相当な危険も
普段なら魔物がいない場所をうまく選び、ロディアス達の所へ来るリンチェ。しかし、今はロディアスとベルリアが一緒だ。
飛ぶことができて身体の小さいリンチェなら問題はなくても、そこは人間が通れるような場所ではない。どうしても魔物がいるような、道らしからぬ道を進まなければならないのだ。
「金額は聞いていないが、依頼主に相当積まれたんだろう。一度楽を覚えると、魔法を金儲けの道具としかみない、魔法使いくずれの典型だ」
ロディアスは、本さえ与えておけば満足するタイプよね。
彼の言葉を聞いて、ベルリアはこそっと思う。
「もうすぐよ」
やがてリンチェの言葉通り、巨木のうろで身体を丸めている竜を見付けた。
精霊樹程ではないが、それでもかなりの大木だ。その中に、昨日生まれた小さな竜と同じ、薄い緑の身体をした竜。まっすぐに伸びたら、どれくらいの長さなのだろう。
すぐには気付かなかったが、その竜の顔の近くに、ディルアードの姿があった。
二人が来たことがわかったようで、こちらを見ている。ロディアスが軽く手を上げた。
「ディルアード、シェラージェスの様子はどう?」
「まだ眠ったままだ」
リンチェの問いに、ディルアードは小さく首を振る。
「あの密猟者達、口の中に向けて矢を放ったって言ってたから、まずその矢が残ってないか調べるわ」
竜を見たのは初めてのベルリアだが、その大きさ美しさに驚いている場合じゃない。
ベルリアが近付くと、親の何十分の一の大きさしかない竜の子どもが足にすり寄って来る。ちゃんとベルリアのことを覚えているらしい。
そうとわかると愛おしく、抱きしめたくなるが、今はこの子の母親を何とかするのが先だ。
その顔を優しくなでてやり、シェラージェスの口を調べようとして……ベルリアの動きが止まった。竜の口が閉じられているのだ。
自分の身体より大きな竜の口を開くなんて、人間にはまず無理だろう。少しでも意識があれば開けるように言えるのだが、シェラージェスは完全に眠っている。
「あの、お願いしていいかしら」
ベルリアは、ディルアードにシェラージェスの口を開いてくれるように頼んだ。
頼まれたディルアードは、オルゴールのフタを開けるかのように軽々とシェラージェスの口を開ける。
「これでいいか?」
「ええ、ありがとう。さてと……」
ベルリアが、そしてロディアスも矢や他の異常がないかを確かめるために、口の中を覗く。
「ベルリア、あれだ。あそこに矢が刺さってる」
ロディアスの指差す方には、確かに細い矢が刺さっていた。人間で言えば頬の内側だ。
そちらに近いベルリアが、手を伸ばした。開いているとは言え、牙が並ぶ口の中に手を入れるのだから怖い。シェラージェスの顔は横を向いてるから、いきなりギロチン状態にはならない、とわかっていても、それはそれ。
だけど、そんなこと言ってる場合じゃないわよね。
ベルリアは自分の腕の長さでは届かないとわかると、少し身体を入れる。生暖かい空気が流れて余計に恐さを増幅させるが、まだちゃんと竜が生きている、とわかって同時に安心もした。
矢に手が届き、ベルリアはそっと抜く。深く刺さっていたらどうしようと思ったが、幸い折れたりすることなく、矢はすぐに抜けた。矢尻もちゃんと付いている。
バンボダから、矢は二本射たが一本は竜が吐き出した、と聞いた。ロディアスと二人で何度も確認したが、矢は一本しか見付からない。彼らが見た通り、もう一本はちゃんと吐き出したのだろう。
抜いた矢は横に置き、ベルリアは持って来た荷物の中から小さな瓶を取り出した。
「それが薬なのか?」
見ていたディルアードが尋ねる。
「そうよ。あたしが調合した気付け薬。目覚ましのための薬ね。このにおいをかがせてしばらくすれば、目を覚ますはずなの」
ベルリアは言いながら、シェラージェスの鼻の近くにその瓶を持って行くと、フタを開けた。
「ずいぶん強いにおいがするが……」
「うん、意識を戻すために必要なの。竜の身体は大きいから……あたしが思ってたより大きいから、目が覚めるのにちょっと時間がかかるかも」
もちろん無害だが、においがきついせいか、竜の子どもは逃げるようにしてディルアードの足下へ行く。
「起きて、シェラージェス。みんな、あなたが目覚めるのを待ってるわ。あなたの子どもも、昨日無事に生まれたのよ。だから、目を覚まして」
ベルリアは瓶を竜の鼻先に持ちながら、片方の手で鼻の周囲をなでる。少しでも刺激を与え、早く目覚めさせようとして。
それを見て、ロディアスも竜の指先に触れた。竜の頭の大きさに比べて小さく感じる手だが、鋭い爪が伸びた指。自分の腕より少し細い程度のその指を、ロディアスはゆっくり曲げ伸ばしさせる。
同じように、ディルアードも妻の顔をなでた。リンチェは竜の身体に刺激を与えるのは無理なので、声をかけ続ける。
しばらくみんなでそうしているうちに、シェラージェスのまぶたが動いた。同時に、ロディアスが動かしていた指先もかすかに動く。
「シェラージェス、無理しなくていいのよ。ゆっくりでいいから、目を開けてみて」
ベルリアはそう言いながら、一度動きの止まった手でまたシェラージェスの鼻先をなでる。
細かく震えるようにして動いていたまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。
「シェラージェス」
ディルアードが妻の名を呼んだ。それに応えるように、緑の瞳が夫の姿を求める。その瞳にディルアードを映すと、人間に竜の表情はわかりにくいが、ほっとしたように見えた。
ベルリアは瓶にフタをして荷物に入れると、においから逃げるために離れていた竜の子どもの所へ行って抱き上げる。
「ディルアード……」
力のない声で、夫の名を呼ぶ。
「ああ、もう大丈夫だよ、シェラージェス。私達の子どもも、無事に生まれた。きみによく似た、かわいい娘だ」
ベルリアから子どもを受け取り、ディルアードが妻の目の前に差し出す。
あ、この子、女の子だったんだ。お父さんがあんなに格好良かったんだから、人間の姿になったらあの子も美人なんだろうなぁ。
ディルアードの言葉を聞いて、ベルリアはわくわくしてきた。
「ああ……よかった……」
眠る前のことを次第に思い出してきたらしく、子どもを見てシェラージェスはほっとしたようにつぶやいた。
「それじゃ、俺達はこれで」
「え、ロディアス達、もう帰っちゃうの?」
ほっとして竜の親子を見ていたリンチェが、驚いたように振り向く。
「無事に起こせたようだからな。ようやく親子全員が
「ん……そうよね」
ベルリアの本音としては、もう少しここにいたい気分だったが、ロディアスの言う通り、親子の時間をゆっくりすごさせてあげたい。
本当なら、この時間は昨日持てたはずなのだから。
「ありがとう、魔法使い達」
ディルアードが礼を言った。今までで一番
「よかったら、またうちへ遊びに来てね」
ベルリアが竜達に手を振り、先に歩き出したロディアスを追う。
「あ、送って行かなくて大丈夫なの?」
道案内だったリンチェが二人を追った。
「構わない。道は覚えたから」
「え……」
ロディアスの言葉に絶句したのは、リンチェだけではない。ベルリアも驚いて固まってしまった。
「あんな獣道ですらない所を覚えたのぉ? って言うか、帰り道もまた魔物が出て来るのかな、やっぱり」
「もしもの時のために一応目印は付けて来たが、それがなくても戻れるだろう。お前はほとんど攻撃してなかったんだから、そんな顔するな」
「はぁい」
言いながら、二人はリンチェに見送られて森の中へと消えて行った。
「あの二人……確か森の外の魔法使い、でしょ?」
「ああ。今度の魔法使いも、いい腕を持っているようだ」
そんな竜達の会話を知ることもなく、ベルリアは帰り道に現れた魔物に悲鳴を上げていた。
本物の竜、竜の姿をした竜を見て改めてテンションが上がるかと思ったのに、そんな余裕もない。
「んー、攻撃魔法なんてそんなに必要ないって思ってたけど。まさかこの森に、こんなたくさん魔物がいるなんて」
小さく溜め息。
これまでは、魔法薬を作れたらいい、なんて思っていた。それなのに。
薬草などを採取するために森へ入ったら、実は危険がいっぱい。
そのことを思い知らされた。いかに浅いエリアで満足していたか、ということだ。
ようやく見知った景色の場所へ戻って来て、ベルリアは心の底からほっとする。
「勉強しなきゃいけないこと、また増えた感じ」
「増えたんじゃなく、元々あったものをお前がちゃんと見てなかっただけだ」
師匠の言葉がさっくりと胸に刺さる。
「……これからは、もう少し時間を
「え?」
「お前が家事に手を取られる分、修業時間が減る。俺は家事は得意じゃないが、掃除くらいなら何とかできるからな。その分を回せるだろ」
確かに、分担すればベルリアの手がたとえわずかでも空くのだから、その分を勉強の時間にあてられる。
逆に、ロディアスはその分の本を読む時間や古書解読の時間が削られる訳だが、そこは譲ってくれる、ということか。
「ただ、あまり根を詰めると、身体に
「あたし、根を詰めることなんてないから、平気よ」
「……」
言ってからベルリアは、あまりほめられることではない、と気付く。集中しない、と言っているみたいだ。
「えっと、ロディアスみたいに寝食を忘れるところまではって意味だからね」
慌てて付け加えておく。ロディアスの視線が冷たい。
「ねぇ、ロディアス。掃除もいいけど、料理は?」
今の話を忘れさせようと、ベルリアは話題を変えた。実際はそう大きく変わっていなかったが、ベルリアは気にしない。
「俺が作れるのは、昨日のスープくらいだ」
「ふぅん。あれ、おいしかったよ。ちょっとニンズィンが大きいかなーって思ったけど」
味がよかったのは本当だ。味は保証しない、と前置きされていたものの、意外においしかったので驚いたくらい。
「煮てるうちに崩れる」
「崩れる程、時間は経ってなかったけど」
言い返しながら。ベルリアはくすくす笑う。
普段、丁寧な仕事をするくせに、ずいぶん雑な部分もあるようだ。あれがいわゆる、男の料理、というものだろうか。
「あんなスープより、俺は普通のシチューを食いたい」
「普通のって、一昨日も食べたあれ?」
「ああ」
それって、あたしの作る料理でいいってこと?
予想しなかった言葉に、ベルリアはどきんとなる。
食いたいってことは、おいしいと思ってくれてたってこと……よね? 嬉しいな。
「ん、わかった。じゃ、今日はうんとおいしいの、作るね」
そんな話をするうちに、森を出た。
魔法使いの家は、もうすぐだ。
たまごの鍵 碧衣 奈美 @aoinami
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