第10話 ベルリアにできること

 たまごがある、ということは、あの竜にパートナーがいる、ということ。

 ゲノビス達もわかってはいたが、深くは考えなかった。その竜が、目の前にいるらしい。

 そうとわかってそちらも恐怖なのだが、それ以上に魔法使いの方が危険に思えたのだ。

「お前達みたいな人間がいるから、他の人間が竜や妖精に信用してもらえなくなるんだ」

 ロディアスがゲノビスの胸倉をつかむ。

 普段、本に向き合ってばかりいる魔法使いだが、そういうおとなしそうな人に限って怒ると凄みを増すのだ。

 たまごの件だけでなく、さっきはベルリアまで危険な目に遭わされた。そのために、怒りが増幅しているのだ。

「ほら、さっさと答えろ。お前達みたいな奴が使う手なら、薬だろう。どういう薬を使ったんだ」

 魔法ではなく、竜にもわからないとなれば、人間が作った薬だと予測がつく。世の中には、大きな魔獣や竜を捕まえるために使う薬が、闇ルートで売られているらしい。

 わずかに魔法の気配が残っているのなら、その薬に魔法の力を含む草などが使われているのだろう。調合する時にほとんど消えるはずだが、魔力の強い竜だからこそ感じ取れるのだ。

 拘束されているから、逃げられない。下手に教えることを拒否したら、何かとんでもないことをされそうな気がする。

 そう感じたゲノビスは、バンボダが持っている矢に眠り薬が塗られていることをしゃべった。

 ロディアスが推測した通り、密猟者達が使った薬は闇ルートで買ったものだ。

 しかし、眠らせたらそれでいい、と思っていたので、薬の成分など知るはずもなかった。どれくらいの時間でどんな効果が出るか、どれくらい効果が持続するのか、一切わからない。薬の「使用上の注意」を全く読まないタイプである。

 もっとも、闇ルートで流れる薬に、そんな書類は添付されていない。あっても、闇ルートを利用する人間が読むことなど、まずないだろう。

 ロディアスはバンボダが持っていた矢筒を取って、中の矢を確認した。五、六本の矢が入っている。薬は全ての矢に塗ってある、と二人は白状した。身体ではウロコに弾かれて効果がないだろうから、口の中を狙った、とも。

「ったく、そういう悪知恵だけはしっかり働くんだな」

「あたしが調べるわ」

 薬のことなら、ベルリアの方が手慣れている。バンボダの矢筒から矢を一本取って、家の中へ駆け込んだ。

 ロディアスは家の中で待つように言ったが、ディルアードは外で待つと言う。ロディアスも家の中へ入ったため、竜と差し向かい状態になってしまったゲノビスとバンボダは、生きた心地がしなかった。

 とんでもない状態で我が子と対面を果たすことになったディルアードは、目だけで射殺しそうだったさっきのロディアスとは違い、妙に無表情に思える。

 だが、その顔には「もし妻に何かあったら、お前達を……」と書かれているような気がした。竜がその気になったら、人間など一瞬だ。

 しばらくして、ベルリアが家から飛び出して来る。その後から、ロディアスも現れた。

「ちょっとあんた達! これ、とんでもなく強い眠り薬じゃない。配合を間違えたとしか思えないような薬だわ。こんなのを二本も打ち込んだら、竜だってなかなか目覚めないわよっ」

 本でついた赤い筋がまだ残るバンボダの顔に、刺さりそうな程に矢を近付けながらベルリアは怒鳴った。

「俺達に配合なんて言われても、困るっすよ……」

「大型の魔獣に効く薬が使われてるけど、何を倒すつもりなんだって聞きたいくらいよ」

 眠り薬には違いないが、効果が強すぎる。作った人間は調合の仕方を知らないのでは、と思ってしまうくらいだ。

 眠れば眠り薬に違いないから、と気にしていないのかも知れない。もしくは、確実性を求めたのか。単に、適当に作った、ということもありそうだ。

「つまり、効きすぎる薬で妻は眠らされているのか。いつ目覚める?」

「はっきりとは言えないけど、あと数日はたぶん……。竜だから他の魔獣よりも体力はあるでしょうけど、それでもこのまま放っておいていいとは思えないわ」

 眠ったままだと、何もできない。呼吸くらいだ。自分では栄養補給ができず、衰弱してしまう。たまごを生んでからのシェラージェスが、普段と比べてどれだけの体力が残っていたかによっても変わってくるだろう。

 最悪だと、眠ったまま息絶えてしまうことも……。

 ベルリアの言葉を聞いて、ディルアードの表情が険しくなる。

 妻が危篤状態にされてしまったようなものだ。それも、人為的に。

 怒りがわくのも、当然だ。

 ディルアードに睨まれ、密猟者達は「ひっ」と裏返った声を出して縮み上がる。

「ベルリア、ここはお前の出番だろ」

「え? あたし?」

「薬の中身がわかったんだ。その効果を打ち消す薬を作ればいい」

 そんな簡単に……と、ロディアスの言葉を聞いたベルリアは思った。

 だが、自分が今まで勉強してきたことで、それが可能かも知れない。

 いや、こういう時のために知識を動員しなければ、意味がないのだ。

 ロディアスだって、他人がかけた魔法を解いた。あたしは病気やケガを治したいから薬の勉強をしてきたけど、あたしにだって同じことはできるはずよね。そうよ。眠り薬の効果を打ち消す訳だから、目覚めさせる薬を作ればいいんだわ。

「わかった。やってみる」

 ベルリアは握り締めていた矢を持って、再び家の中へ駆け込んだ。

「あの勢いだと、何とか今日中にやる気だな。とは言っても、いつできるかわからないから、ディルアードはひとまず奥方の元へ戻っていてくれ。薬ができ次第、そっちへ向かう……と言っても、俺達は竜の棲む場所を知らないんだったな」

「それなら、私にまかせて。ディルアード、彼らを案内しても構わないでしょう?」

「ああ、もちろん。では、私はシェラージェスの元で待っている」

 もちろん、生まれたばかりの子どもも一緒だ。

「こいつらについては、怒りが収まらないだろうが……俺が責任を持って役所へ突き出す。こいつらが使った闇ルートもつぶすように、回せるだけの手は回す。それで何とか許してもらえないか」

 ロディアスが謝ることではないが、人間の一人として、同じ種族として、ディルアードに謝罪する。

 魔法使いとしては、たとえ普段の交流が少なくても、竜や妖精との関係が切れるようなことはしたくないのだ。

「シェラージェスにもしものことがあったりすれば、とても黙ってはいられないが……魔法使いの責任ではない。今も彼女が我々のために尽力してくれているのだし、この人間達のことはそちらにまかせよう」

 人間全てに嫌悪感を持たれても仕方ないが、ディルアードは子どもを守ってもらったことと、妻を助けようとしてくれる魔法使い(まだ見習いだが)の顔をたててくれた。

「薬ができ次第、とは言ったが、夜に来るのはやめた方がいい。もちろん、私としても迅速な解決を望むが、夜の森は魔法使いでも危険だ」

「ああ。夜の森をなめるなってことは、両親からも言われている。明るくなったら、すぐに」

 森へ帰って行くディルアードを見送り、ロディアスは一度家に入った。命が助かってほっとしている密猟者達は、またしばらく放っておく。

 ベルリアはロディアスのように「どの魔法書に何が書かれているか」といったことは覚えていないものの、そう時間がかかることなく必要な魔法書を見付けていた。

 作業する部屋へ入ってその本のページをめくり、薬の調合に必要な物をチェックする。

「何か必要な物は?」

「んと、今ある材料で何とかできそう」

 採取する時間が省けて助かった。普段、あれこれ採取して保存しておいたおかげだ。

 調合の方はベルリアに任せ、ロディアスは二人の密猟者を連れて村へ行く。そこの役所に二人を突き出し、牢屋へブチ込んでもらった。

 今回の事件について伝え、色々と今後の話も詰めて家に帰る。

 作業部屋へ行くと、ベルリアは魔法書と首っ引きで薬の調合をしていた。そばにいたリンチェによると、ロディアスが出掛けてからずっと集中しているらしい。

 俺が古書の解読をしてる時は、こんなものなのかな。

 ロディアスが二人の男を役所まで連れて行って、あれこれ話を詰めて……そこそこの時間は過ぎている。その間、ベルリアはずっと調合していたのだ。

 早さを求められているとは言え、少しくらい休めばいいのに。

 そんなことを思うが、ベルリアから見れば普段の自分もこうだとすれば、偉そうなことは言えない。

 いつもベルリアは、ちゃんと休憩しているのか、とか、普段の食事くらいはしっかり摂って……など、あれこれ言ってくる。

 テスレースに言われていた時は「母親はこんなものだろう」と思っていた。だが、一緒に暮らすようになったベルリアまで、母と同じことを言うのには驚いた。

 女という生き物は、みんなこうなのだろうか。

 一日や二日、人間は食事をしなくてもすぐに死なない、とロディアスは思っているが、口論するのも面倒だ。言われた時だけ休憩したり、食事をするようにしている。

 でも、こうして集中しているベルリアを見ていると、そんなに根を詰めて大丈夫なのか、と思ってしまう。ここまで集中している彼女をあまり見ないから、余計そう思ってしまうのだろう。

 周りが気にならないくらい集中しているロディアスを、普段から見ているベルリア。彼女は毎日のように、そんなことを思うのかも知れない。

 弟子で妻の真剣な作業姿に、普段の自分をちょっと反省するロディアスである。

 作業にキリがつき、ベルリアが一息つきながら顔を上げた。

「あれ? ロディアス、いつの間に帰ってたの?」

 そばにロディアスが立っているのを見て、ベルリアはびっくりする。

 確か「ついさっき」出掛けたのを見送ったような気がするのに。

「小一時間くらい前」

「ええっ、そうなのっ?」

「嘘だ」

「もうっ」

 二人の会話を聞いて、リンチェがくすくすと笑う。

「ベルリア、ロディアスが戻って来たのは、せいぜい十分くらい前よ」

「今までに見たことのない真剣な顔で作業していたから、声をかけなかった。あまり根を詰めると、頭で湯が沸くぞ」

 とりあえず、今は自分のことを棚に上げておく。

「疲れただろうから、少し休んでいろ。今夜のメシは俺が作る」

「え、ロディアスに作れるの?」

 ロディアスの言葉に、ベルリアは目を丸くする。

 今までロディアスが料理をしているところなんて、ベルリアは見たことがなかった。少なくとも、一緒に住むようになってから今まで、ロディアスが食材を切ったりするところすら見てない。

 さっき竜の子のためにリンゴを切っていたが、たぶんあれが初めてだ。失礼ながら「あ、そんなこともできるんだ」と思ってしまったくらい。

「おふくろが出て行ってからは、自分で作る必要があったからな。ただし、味は保証しないぞ。腹がふくれればいいって程度だからな」

 それは本当だろう、とベルリアは納得する。

 テスレースがこの家を出た後で、ロディアスがまともな食事をした形跡を見た覚えがないのだ。きっと、パンにバターを塗って食べる、という程度だったのだろう。

 そう思うと、今から作るという料理もどんなものになるのか、ちょっと怪しい気がする。

 だが、せっかくロディアスが「作る」と言ってくれるのだから、ベルリアはその言葉に甘えることにした。

 ロディアスだって、森へ行ったり村まで行って密猟者を引き渡したりと疲れているはずなのに、そう言ってくれることが嬉しい。

 出て来たのは、思った通りにバターを適当に塗ったパンと、野菜を雑に切って放り込まれたスープ。

 でも、幸せな気持ちでベルリアはスープを飲み干した。

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