第9話 解呪と孵化
ロディアスが、金の鍵をたまごに差し込む。鍵穴もないのに、鍵の先端がたまごの中に消えた。
ロディアスは、そのまま鍵を回す。かちりと鍵が外れる音が聞こえた。
静かに鍵を引き抜くと、たまごを覆っていた妙な空気がしゅっという音をたてて消える。
「よし、結界が解けた」
ベルリアも見ていてわかったが、ロディアスの言葉で確信する。たまごはもう自由だ。
「よかったぁ。もう大丈夫だよ。よくがんばったね」
ベルリアがたまごをなでる。
森を移動する間、ずっと抱きしめていたせいか、妙に愛おしい。
「ベルリア、落とすなよ。もう結界はないんだから、テーブルから落としたら割れるぞ」
「わ、わかってるわよぉ」
ベルリアはソファにあるクッションを床に置くと、その上にたまごを置いた。これなら、強く蹴ったりでもしない限り、たまごを傷付けるようなことはない。
「え……」
そう思った途端、ぺきっという音がして、ベルリアは固まる。
「まさか、森で受けた衝撃が今頃影響してきたとかっ?」
見ている間に、薄緑のたまごの表面にいくつもの亀裂が走った。
「違うわ、ベルリア。竜の子が生まれようとしてるのよ」
「あ、そうなの?」
様子を見ていたリンチェが言い、ベルリアは自分が落としたせいではないとわかり、ほっとする。
それから、改めて驚いた。
「ええっ? 今から生まれるの?」
リンチェから聞いた予定では、もう少し先ではなかったのか。
「ここで生まれるのか? 明日にでも親の元へ戻すつもりだったのに」
「仕方ないわ。こんな事情なんだもの。私、一度シェラージェスの所へ戻るわね。彼女のことが心配だし、彼女もこの子を心配してるでしょうから。もうすぐ生まれそうだってこともちゃんと話しておくから、後のことはお願いね」
言うだけ言って、リンチェは外へ飛んで行く。
「お願いねって言われても……何をどうすればいいの? 生まれた時にあたしを見て、親だと思ったりしないかな」
「鳥じゃないから、そういう刷り込みはないだろう」
とは言うものの、ロディアスだって竜が孵化する場面なんて見たことがない。何をすればいいかなんて、当然ながらわからなかった。
竜の育て方を書いた本なんて、さすがにこの家にもない。いや、世界のどこにもないだろう。
「……とりあえず、冷えないように毛布でも用意するか」
☆☆☆
小一時間も経った頃だろうか。
たまごに入った亀裂はどんどん大きくなり、やがて小さな命が顔を出す。
たまごの殻と似たような薄い緑の身体をした、竜の子が生まれたのだ。
小さくても、おとなと同じ形をしている……たぶん。ベルリアは本物の竜を見たことがないので、きっとそう変わらないだろう、という推測である。
細く長い身体。短い四肢。頭には、成長すれば角になるのであろうこぶらしきものがある。
竜の子どもは、不思議そうに周りを見回した。生まれたばかりでも、ちゃんと目は見えているらしい。明るい緑の瞳がとてもきれいだ。
その瞳が、自分を見ているベルリアとロディアスを交互に見る。
「ごめんね、あなたのお母さんとお父さんはここにいないの。明日になったら、連れて行ってあげるからね」
言いながら、ベルリアは竜の子どもに向かって手を伸ばす。その手の臭いを嗅ぎながら、竜の子どもはゆっくりとベルリアに近付いた。
怖がらせないよう、ベルリアはゆっくり動きながらその子を抱き上げる。成猫より少し小さいくらいの竜は、思ったよりも温かい。
「あたしが森で転んだ時、あなたは大丈夫だった? ごめんね、びっくりさせて」
ベルリアが抱き締めると、竜の子どもは返事するようにきゅっと鳴いた。
「見た限り、問題はなさそうだな」
ロディアスが竜の頭をなで、なでられた方は気持ちよさそうに目を閉じる。竜の子どもに警戒心はなさそうだ。
「リンチェに、後はよろしく、なんて言われたが……こいつ、何を食うんだ」
生まれたばかりの竜の子どもの食事内容など、さすがにロディアスも知らない。
「赤ちゃんって言えば、ミルクだけど……。この子、もう歯が生えてるから、噛むものでも平気かもね」
歯そのものは小さいが、口の中にしっかり並んでいる。
「とりあえず、ミルクをやってみるか」
抱き上げたベルリアの腕を竜の手がしっかり掴んでいるので、ロディアスがミルクを温める。温めている間に、リンゴを切った。
ベルリアが言うように、噛まなくてはならないものでも食べられるなら、森の中にある果物ならいけるのではないか、と思ったのだ。
生まれたばかりでさすがに丸かじりは無理だろうから、小さく薄く切っておく。
ロディアスがそれらを皿に入れ、ベルリアはその前に竜の子どもを下ろした。おっかなびっくり、といった様子で匂いをかいでいたが、ミルクをなめる。
少し飲んだところで、ロディアスがスライスしたリンゴを一切れつまんで差し出すと、それも食べた。しゃりしゃりといい音がする。
その様子に、二人はほっとした。どうやら、親竜の元に戻す前に飢えてしまう、ということはなさそうだ。
「赤ちゃんって、かわいいね」
人間であろうとなかろうと、幼い命はそこにいるだけでかわいいと感じる。
「そうだな。うちにも近いうちに来る訳だし」
「そ、そう、よね」
改めて言われると、照れてしまう。
「たまごを抱えて歩いているベルリアを見ていたら、臨月みたいだった。あれこれしているうちに、すぐそうなるんだろうな」
ベルリアは自分を客観的に見ていないのでわからなかったが、言われてみればそう見えたかも、と納得した。
「近いうちに、おふくろに報告しないとな」
「あ、そうね。先生、自分がおばあちゃんになるって知ったら、どんな顔するかな」
母のテスレースには、二人が一緒に暮らしていることは知らせてある。
「早いと言うか、遅いと言うか。おふくろだと、斜め上からの言葉を口にしそうだな」
「んー、ありえそう」
テスレースの顔を思い出して笑っていると肩が温かくなり、ベルリアが横を向くと二人のくちびるが触れ合った。
「ロディアスー」
二人で床に並んで座り、竜の子どもを見守る。
しばらくそんなほのぼのした時間をすごしていると、外から魔法使いの名が呼ばれた。あの声は、リンチェだ。
「戻って来たのか。……何か問題がありそうだな」
「え? だって、たまごは無事に取り返せたのに」
「入ってくればいいのに、外で呼ぶってことは何かあるんだろう」
リンチェは親竜に、たまごの無事を報告に行ったはずだ。それなのに、これ以上何の問題を抱えているのだろう。
ロディアスが先に戸口へ向かい、ベルリアも竜の子どもを抱き上げて後を追う。まだ食べたそうだったので、残っていたリンゴのスライスを取って口に運んでやった。
「どうした、リンチェ」
家を出てすぐの所に、リンチェの姿がある。
そのリンチェの隣りに、長身のロディアスよりさらに高い男性が立っていた。
つい最近見た覚えのある明るい緑の瞳の男性は、三十代前半と言ったところだろうか。真っ直ぐなプラチナブロンドの髪は、うっすらと緑がかって見える。村や街へ行けば、間違いなく女性に騒がれる容姿だ。
妖精と一緒にいるのだから、普通の人間とは考えにくい。光沢のある白いシャツとズボン、腰に巻かれた鮮やかな緑の帯はシルクのようにも見えるが、少し遅れて外へ出たベルリアは直感で人間の持つ素材ではないような気がした。
「ディルアード、彼がロディアスよ」
リンチェが男性に、ロディアスを紹介する。その名前に、ロディアスは聞き覚えがあった。
「もしかして……いや、もしかしなくても竜、だよな」
森の中で、ベルリアとリンチェが話をしている時に竜の名前が出ていた。それ以前に、両親からも名前だけは聞いている。
「ああ、そうだ。お前がゼルーブとテスレースの息子か。初対面な上にいきなりで悪いが、魔法使いに頼みがある」
低く、耳に心地良い声だが、その口調はどこか思い詰めているようにも思えた。
「頼み? あ、子どもなら無事に生まれたぞ」
ロディアスが話している横に、ベルリアが立った。
彼女の腕の中には、小さな竜の子ども。瞳の色が、彼とよく似ている。
「その子が……」
「まあ、生まれたのね。よかったぁ」
それまでディルアードは少し険しい顔をしていたが、子どもの姿を見てその表情が柔らかくなる。
「この子のお父さん? 迎えに来てくれたのね。よかったわ」
言いながら、ベルリアは竜の子どもをディルアードへ差し出す。妖精が横にいるのだから、まさかニセモノではないだろう。
人間の姿なので、竜という感覚がない。なので、竜に会った、と舞い上がることなく、ベルリアは落ち着いた対応ができた。
ディルアードは差し出された子どもを受け取り、その胸に抱く。自分の親だとわかっているのか、竜の子どもは彼の顔を見て小さな鳴き声を数回あげた。
「そうか……お前は無事だったのだな。礼を言う、魔法使い達」
「いや。たまごを守っていたのは、ベルリアだ」
「え、たまごにかかっていた魔法を解いたのは、ロディアスでしょ」
「ああ。だが、たまごを守っていたのはお前だろう。いくら結界で傷付かないとは言っても、放っておいたらどうなっていたかわからないからな」
魔法を解くための材料集めにロディアスが動かなければならない間、たまごを守っていたのはベルリアだ。
落としても割れないが、だからと言って放置していいものではない。ロディアスが魔法を解くまで、ゲノビス達に捕まっていた間は別として、ほとんどずっと抱き締めていた。孵化にどう影響したかまでは定かでないが、悪い影響はなかったはずだ。
「たまごの件はいいとして……頼みって言ったのは、そのことじゃないんだな?」
「ああ。実は、妻が目覚めない」
ディルアードは用があって、兄弟竜の所へ行っていた。今回のことは、その留守の間に起きたことだ。
帰って来ると妻は眠り込み、たまごが消えている。
周囲にいた妖精達が、悪い人間達が来たこと、リンチェがクマに頼んでたまごを持って逃げたことを話した。
人間はいなくなったが、リンチェが戻って来ない。シェラージェスは眠ったままだ。どうしたらいいか、と話している時に、ディルアードが戻って来た。
妖精達の話だけでは、ディルアードにはどういう方法でシェラージェスが眠らされたのかわからない。妖精達も、一部始終を見ていた者はいないので説明できないのだ。
ディルアードが妻に近付いても、魔法の気配はなかった。全くない、というのではないが、そのわずかな気配が竜を深い眠りに引き込んでいるとは思えない。何か別の要因があるはず。
事情がどうであれ、魔法が原因でないのならばディルアードには解決できないのだ。
どうしたものかと悩んでいると、リンチェが戻って来た。
彼女の話を聞いて、たまごが無事だとわかって少し安心する。だが、シェラージェスの問題は解決していない。
「だったら、魔法使いに頼んでみましょう」
リンチェがそう言った時、ディルアードは首をかしげた。
竜に何ともできないものを、人間にどうこうできるだろうか。
「今回のことは、密猟者と呼ばれる人間がやったことです。人間である魔法使いになら、この状態がどういうものなのか、わかるかも知れません」
リンチェに言われて、ディルアードも納得した。
人間の仕業なら、人間が解決する方法を知っていそうなものだ。
森の外にいる、若い魔法使いの存在は知っている。親については、わずかながら交流があった。妖精が信頼しているなら、その息子も信頼していいだろう。
そう考えて、ディルアードはリンチェに連れられてここへ来たのだ。
「なるほど。ちょうどよかった。竜の奥方に何かしたらしい犯人が、ちょうどそこに転がってるんだ。先に役所へ引き渡さなくてよかった」
意識を取り戻し、横で同じように話を聞いていたゲノビスとバンボダは、ロディアスの鋭い視線に射抜かれて震え上がった。
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