触らぬ神に祟りなし。

雪の香り。

第1話 神様の森。

 僕は虫かごの中に入っている今日の成果ににんまりとする。

「やっぱミヤマクワガタはこの大アゴがカッコイイよなぁ~!」

 朝も早くから神社の裏にあるこの森に来たのはカブトムシを狙ってのことだったけれど、クワガタでもミヤマクワガタなら大収穫だ。

「これでみんなに自慢できる」

 我が六年一組では、夏休み中にどれだけの「スター」を獲得できるかを競っているのだ。

「きっとこのミヤマクワガタなら優勝間違いなしだ!」

 そう、「スター」とは昆虫大相撲における横綱、花形のことである。

「眠くなってきたな」

 なにせ四時起きだ。僕はふらふらと境内に乗り上げ、大の字になって寝転がった。




 どれほど経っただろうか。

 ちりんちりんと何処からか音がする。目を開け、まぶたをこすりながら境内の前を見ると。

「風鈴がいっぱい!」

 背中の曲がったおじいさんが、風鈴を山ほど吊り下げた棒を担いで歩いていた。しかも。

「金魚が動いてる。朝顔もしぼんだり咲いたり……」

 風鈴の柄が透明のガラスを飛び出してあちこちに漂い動いているのだ。その中には。

「ウグイス?」

 羽ばたいているのは確かにウグイスだった。風鈴を使う季節がら、柄も夏を感じるものが主なはずなのに。

 ホーホケキョ!

 ウグイスはそれはそれは美しく鳴いた。春よりもメロディが達者な気がする。僕は俄然あのウグイスが欲しくなった。

 ちらと虫かごを見る。ミヤマクワガタ……惜しいけれど、両方入れられるほど大きな虫かごじゃない。僕はミヤマクワガタを解放した。そして……虫取り網を構え、タイミングを計り。

「えいっ!」

 ウグイスを捕獲した。網のなかでバタバタもがいているが、そこは昆虫をあまた捕ってきた僕の腕の見せ所。逃げないようにさっと虫かごの中に入れた。

 風鈴を担いでいるおじいさんがおもむろに口笛を吹く。すると、泳いでいた金魚も、咲いたり閉じたりしていた朝顔も動きを止めて透明な風鈴のガラスの中に納まった。

 おじいさんは「ん?」と首をかしげて、柄のない風鈴を確認してカッと目を見開いた。

 ウグイスを捕ったのがバレた!

 僕は大急ぎで逃げ出した。

 走って、走って……あれ? ここ、どこだ?

 そう思った瞬間。

「起きなさい、ショータ!」

ママの声がして真っ白な光に全身が焼かれた。




 パッとまぶたを開いた僕の視界には、真っ青な空を背負ったママの怒り顔。

「もうっ、お昼になっても戻ってこないから心配したのよ。まあ、どうせここだと思ってたけど」

 ママは頭が痛いのを堪えるような顔をしてさらに口を開く。

「あのね、ショータ。前から言っているけど、ここでの虫捕りは禁止なの。ここは神様の森で、この森にあるのは全部神様のものなのよ。わかる?」

 僕はママの言葉を右から左へと聞き流す。ママはしょうがないといわんばかりにため息交じりに言葉を続ける。

「さ、帰るわよ。今日はミートスパゲティよ」

 手を引っ張られ僕は起き上がる。

 あれは、夢?

 パッと虫かごを確認する。

 何も入ってない。ウグイスも。ミヤマクワガタも。

「せっかくママよりも早く起きて虫捕りに出かけたのに、何も捕れなかったのね。ママはその方が罰も当たらないだろうし嬉しいけど。まったく、男の子ってどうしてこんなに虫が好きなのかしら」

 なぁんだ。

 でも……どこからが夢だったんだろう?




 その夜のことだった。昼間も寝たのにちゃんと夜も眠くなって。確かに眠ったはずだったんだ。なのに。

 ホーホケキョ!

 僕は夜の神社にいた。境内にウグイスの入った虫かごを抱えて座っている。

 昼間の夢の続き?

「のぉ、少年」

 声をかけてきた、月明かりに照らされて白い髪や白い肌がぼぅっと浮かび上がっているおじいさんの姿に、僕はぴゃっと飛び上がる。

「老鶯を返して貰えんかのぉ。それは避暑中の木花咲耶姫に頼まれて持っていく途中だったんじゃ。依頼を果たせなかったら信用丸つぶれじゃ」

 ろうおうってウグイスのことか?

 このはなさくやひめって変な名前。

声の調子からおじいさんが困っているのはよくわかる。でも。

 ホーホケキョ!

 このウグイスの見事な歌声は手放し難かった。

「嫌」

「そこをなんとか。返してくれるのなら、何でも好きなものあげよう。そうだ、最初はカブトムシが欲しかったんじゃろう? 立派なのを用意できるぞい」

 魅力的な提案ではあるけれど。

「自分が捕まえたカブトムシだから価値があるんじゃないか」

 なんの苦労もせずただもらっただけのカブトムシで勝負しても心がわきたたない。

 でも、なんでもか。

「それなら、このウグイスよりもっともっとスゴイ、だれからもうらやましがられて自慢できるペットを頂戴」

 おじいさんは白い髭をなでつけて「あいわかった」と何処からかダチョウの卵のようなものを取り出して僕に渡した。

「朝まで抱えて寝ると良い。目が覚めたら孵ってるじゃろ。ただし、生まれた子に『お前は何者か』と問うてはならんぞい」

 僕は卵を抱えて境内に横になった。まぶたを閉じて……そこで意識が落ちた。




 目が覚めるとまっさきに腕の中を確認した。ウグイスやミヤマクワガタのように消えていないか?

 果たして卵は。

「あった!」

 そして目の前で卵の殻にひびが入っていき、中から全身をうろこに覆われたトカゲのようなものが生まれた。

「これ、もしかして龍?」

 僕はあっけにとられたあと、「やった!」と万歳した。龍をペットにしている小学生なんて他にいないだろう。みんなに自慢できる!

「うるさいわよ。朝っぱらから!」

 ママが部屋に飛び込んできた。あっ、龍を見られちゃう!

 ママに無断でペットをもらってきたなんてバレたら捨てられちゃう!

とっさに隠そうとしたが間に合わない。

「捨て猫を拾ってきたの? まったく。でもすごく可愛いわね。今まで見たことのある猫の中で一番だわ」

 猫?

 ママは僕が龍だと思っている子を抱き上げて「名前は何にしましょうか」と出て行ってしまう。僕は頭が混乱して何も言えなかった。

 そうして呆然としながらママが猫用のトイレやらなんやら整えていくのを見て夜まですごし、パパが久しぶりに帰ってきたのを察知するや僕は龍を持ち上げてパパの前に持っていった。パパは。

「おっ、犬を飼ったのか。俺に相談もないなんて。でもこんなにかっこいい犬なら大歓迎だ!」

 といった。僕には龍に見えて、ママには猫に見えて、パパには犬に見える。

「お前、いったい何者なの?」

 思わず言ってしまった瞬間、おじいさんの声が脳裏によみがえった。

『何者か問うてはならんぞい』

 腕の中から重みが消えた。

「あれ? 犬は?」

 パパが首を傾げる。龍は消えていた。

 みんなに自慢するはずだった、特別なペット。

 でも。

「いなくなってよかった」

 あんな得体のしれないものは傍に置けない。でも、あんな得体のしれないものを用意できたおじいさんが一番怖いかもしれない。

 おじいさんはもしかしたら、あの神社に住む神様だったのかな?

 僕はそれ以降あの森で虫捕りするのはやめた。

 罰が当たったらどうなっちゃうのかわからないからね。

 触らぬ神に祟りなし。




おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

触らぬ神に祟りなし。 雪の香り。 @yukinokaori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ