失われていく視力

  ぱちん、


 指を鳴らす音とともに、時が戻る。


 はっと我に戻ったビビは慌てて腕を掲げた。


 「ヴィンス?!」

 先ほどまで腕にいた幼い息子の姿がこつぜんと消えているのに、ひどく動揺し声をあげた。


 妻の声にカリストもまた我に返る。

 ザブザブ水しぶきをあげながら、ビビの傍に駆け寄り片手で腰に下げた剣の柄をつかみながら周囲を見渡す。

 「・・・一体、なにが」

 わからない。瞬きをひとつしただけの、まさしく一瞬の出来事。

 なのに大きく記憶が飛んでいるような奇妙な感覚。


 「ヴィンス!」

 ビビの叫び声に視線をめぐらすと、前方に暗闇から溶け出るように現れた、仮面の男。その腕には息子のヴィンセントが。

 「大丈夫、寝ているだけだから」

 穏やかに仮面の男は告げ、駆け寄るビビにそっとヴィンセントを差し出した。

 ビビは戻ってきた息子の小さな身体を抱き寄せ、すやすやと洩れる寝息にほっと肩の力を抜いた。

 「よかった・・・」


 「一体、なにが起きたんですか?この気配・・・尋常じゃない」

 カリストはなお警戒を怠らず周囲を見渡す。かなり薄くはなっているが、周囲にはまだ強力な魔力が放出された名残が漂い、うなじが緊張でピリピリしている。仮面の男は、へぇ、と感心したように顎に手をあてた。

 「さすが大陸一の武人と誉れ高い男だけあるね。この気配を察知するなんて」

 「なにを・・・」

 「なに、心配いらないさ。もうお戻りいただいたからね。僕の用事も済んだから、君たちももう戻ったほうがいい。ここは再度強力な結界が張られる。二百年は破られることはないだろう」

 言ってビビの腕の中で眠るヴィンセントの髪をやさしく撫でる。

 「君に会えて良かったよ、ヴィンス。また会おう」

 小さな額にそっとキスを落とし、男は一歩後退した。唖然としているカリストとビビに笑いかけた。


 ぱちん、


 指を鳴らす音とともに周囲は暗闇に包まれた。


 

 無事保護されたヴィンセントだったが、それから高熱を出して寝込んでしまった。

 母親のビビは仕事を休んでつきっきりで看病していたし、父親のカリストは重要会議中にビンセントの軌跡を追って姿を消したため、議会は大騒ぎだったらしい。陛下に説教をくらいながらも、10日間の謹慎という名の休みを強奪。片時もヴィンセントの傍を離れなかった。

 

 カリストはカイザルック魔術師団に依頼して、自分の息子たちに追跡スキルを施していたらしい。武術組織を統べる総長の身内、となるとそれなりに外部からの危険も増える。大陸最強と誉れ高いカリスト・サルティーヌの最愛に手を出そうという命知らずも、過去居なかったわけではない。

 幼い弟を護れなかったイライザも自責の念に駆られ、学校を休んで付き添いたかったが、学業優先と両親に説得され。後ろ髪をひかれながらも登校していた。

 

 7日過ぎる頃、ようやくヴィンセントは意識を取り戻すが・・・聖獣シルドラの祠のでの記憶は消えていた。

 そして。


 「え・・・?ヴィンス、もう一回言って?」


 「うん、ママ・・・僕、ママの顔が良く見えない」


 「・・・なんてこと」


 その日を経て、ヴィンセントの視力はどんどん失われていくのだった。

 あの日・・・イライザは思う。自分がヴィンセントの手を離さなかったら?一緒にヴァルカン山岳兵団の鉱山へ、父親の誕生日に贈る鉱石を探しに行っていたら?ヴィンセントは視力を失う事故には遭わなかったのではないかと。

 責任を感じ、泣いて許しを請う長男に、父親であるカリストは抱きしめお前のせいじゃないと首を振る。

 

 その日、何が起きたのか?10年以上経つ今も、父親は自分に語ろうとはしなかった。敬愛する父親が自分に語らないということは、自分が知る必要がないのだと理解しつつも、イライザはヴィンセントが目覚めた時から誓っていた。


 この先、何があっても。自分が愛する弟ヴィンセントの眼となり、支えていくのだと。


 *


 「なぁ、ヴィンス。ここで兄ちゃん、提案があるんだけど」


 組んだ足をぶらぶらさせながらイライザは当時の事を思い浮かべながら、机にかじりついている弟に声をかける。

 

 「う~ん?何?一緒になら暮らさないからね」

 視線は手元に書き込む紙から目をそらさず、ヴィンセントは答えた。

 「えええ?なんで?俺、こう見えて高給取りなんだぜ?ヴィンスくらい余裕で養えるけど。追い出された者同士で仲良く暮らそうよ」

 「いやだよ。兄さんの世話にはならない」

 女友達の鉢合わせした修羅場に、巻き込まれるのは御免だった。

 「つれないな~じゃあお前、成人後はどうするんだ?」


 イライザに問われ、ヴィンセントはじゃれてくるタマを片腕で抱き上げ、軽く肩をすくめるようにする。

 3つ歳の離れた兄が、過去自分の視力がなくなるきっかけを作ったことに対し、罪悪感を持ち、そして事あるごとに自分優先で気にかけてくれているのはわかっていた。両親も以降、ヴィンセントのすること、やりたいことに関しては口を挟むことなく、自由にさせてくれた。それに対しヴィンセントも感謝していたが。


 「うん、ヴァルカン山岳兵団の鍛冶ギルドに登録して、ダット師匠の所に弟子入りしようかと思っている」

 「はぁ?山岳兵団って、お前・・・」


 イライザは目を見開きワインをグラスに注ぐ手の動きを止めた。

 「まさか、そのまま山岳兵団に婿入りする気か?・・・あ、」


 ピン、ときたイライザの表情にヴィンセントは顔をしかめる。

 「お前まだティリー嬢、諦めていないんだ?」

 「もう・・・そんなんじゃないよ、兄さん」

 

 ふ、と小さく息を落とし、ヴィンセントはタマを床に下ろした。もう行きな、と軽く手でドアを示すとタマはぴょんぴょん跳ねながら、指さしたドアへ向かっていき、そのままどろりと液体化して・・・ドアの隙間から外へ流れ出ていく。少しドアを開いて覗くと、元の形に戻ったタマが跳ねながら廊下の向こうへと消えていくのが見えた。

 いつ見ても妙な光景だ。ヘム・ホルツは変幻自在で、他国では擬態ができるものも存在するという。もしヘム・ホルツに人間のような感情を持ち、言葉を持ち、意思疎通がはかれるようになったら?隠密行動や諜報活動はお手のもので、裏の世界を暗躍し。多分人間の世界はあっという間に滅んでしまうだろうな、と不謹慎なことを考えながらヴィンセントはイライザへ向き直る。


 「ダット師匠の了解はとれているんだ。ほら、このメガネも自分で調整できるようになりたいし・・・」

 それにね、とヴィンセントは机に置かれた木箱に視線を向ける。

 「造りたいものがあるんだよね。・・・でも僕の知識だけじゃ無理だから。ダット師匠やフィオンおじさんも巻き込もうと思ってさ」

 「・・・ヴィンスでも足りない知識、なんてあるわけ?造りたいものって?」

 不思議そうに首をかしげるイライザに笑いかけ、ヴィンセントは隣のテーブルに着席する。

 「いくら知識を持っていても、培った職人の技術には及ばないよ。兄さん」

 

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