聖獣シルドラの祠

 暗闇に響く、少年のすすり泣く声。

 ここがどこかわからない。

 橋の袂から明るい湖の底を覗き込んで、そのまま落ちてしまった記憶があるのだが、気づけば暗闇の中で自分は湖底から突き出た巨大な古木の枝にしがみついていた。身体は胸から下は水に浸かっていて、枝によじ登ろうにも足が冷たくしびれて動かすことができない。

 あたりは真っ暗で、濡れた木の幹に這うように生えたヒカリゴケがかろうじて視界を確保しているのみ。


 -------なんで、こんなことになったのだろう。


 少年はしゃくりあげる。

 今日は大好きな父親の誕生日だった。

 どちらが父親に喜んでもらえるプレゼントを探せるか競争しよう!と盛り上がったのは今朝のことで。忙しい母親に頼んでお弁当を作ってもらったのだ。兄は綺麗な石を見つける!と張り切っていた。せっかく誘ってくれたのに意地をはって、兄の友達の住む鉱山へ行く誘いを断ったのは自分だ。兄の友達からは、いつも「引っつき虫!」と揶揄われていたから、自分の力でお宝を見つけて驚かせたかったのだ。

 なのに。


 『おや、どうしたんだい?少年』


 ひたひた、と暗闇の中浮かび上がり水面を歩くその人物は、身体半分沈んで必死に大木にしがみついている少年に声をかける。

 少年が驚いて声のする方へ視線を向けると、顔半分を不思議な形の仮面で覆った人物は膝を折り、少年の顔を覗き込むようにした。


 水の上を歩いている・・・?なぜ・・・沈まないんだろう?


 『この水源の滝には近づいちゃいけないと、学ばなかったのかな?』


 「・・・水源の、滝?」


 少年は震えながら、しゃくりあげる。

 水源の滝は知っている。母親から聞く寝物語で、最北端にある水源には滝を護る聖獣が住んでいるのだと。近づく人間を引きずり込んでしまうから、決して近づいてはいけないと。でも、自分が落ちたであろう場所は、水源の滝から随分離れた場所だった。日頃、子供たちだけで水遊びができる安全な浅瀬の湖の橋だったはずなのに。

 

 仮面に覆われていない口元が緩く弧をかく。

 ひょい、と片手をあげてみせると水面に沈んだ少年の身体がふわりと持ち上がる。そのまま空中を進んで仮面の男の腕の中にぽすり、とおさまった。


 「・・・??」


 びっくりして顔を上げると、温かな風が自分を包み込みあっという間に水に濡れた衣服と髪は乾いていた。


 「おじさん、すごい!」


 歓声をあげると、男はええ~?と変な声をあげる。

 「そこはお世辞でも、お兄さんと言うべきじゃないの?まぁ、間違ってはいないけどね」

 くすくす笑いながら、男の手が少年の艶やかな黒髪を撫でまわす。


 「なんか懐かしい"気"を感じて、思わず降りてきたけど・・・まさかこんなかわいい子供が聖獣シルドラの祠の封印に引っかかっているなんてね」

 「おじさん、聖獣シルドラ様を知っているの?見たことある?」

 腕の中の少年は大きな目を瞬かせる。

 湖の底の深淵を思わせる藍色の瞳は、興味と興奮できらきら輝いていた。

 「うん、知っているよ?ここは聖獣シルドラを祀る祠の沈む場所だよ。本来なら君のような子供は近づくことはできないはずなんだけど」

 「・・・今日、パパの誕生日なんだ」

 しゅん、と少年の頭が垂れる。

 「お兄ちゃんと・・・イライザお兄ちゃんと、どっちがすごいプレゼント探せるかって」

 「ふむ」

 「お兄ちゃんは、綺麗な石が採れるお山に住む友達がいるんだ。僕、一人で行けないし・・・水源の湖ならお友達と来たことあるから」

 「で、友達とはぐれてしまったんだ」

 「橋の下にね、キラキラ光るものが見えたの。僕、聖獣シルドラ様のウロコじゃないかって」

 水を支配する聖獣シルドラは、全身を青銀の鱗で覆われた水龍で。この世界に5体存在する太古の護り龍の1体とも言われている。

 「・・・う~ん」

 夢と期待を壊して申し訳ないが、そんな簡単に人目に付く場所に、仮にも聖獣のウロコなんて落ちているはずはない。

 そのまま身を乗り出して落ちてしまったのだろう。水源の湖付近は大騒ぎになっているに違いない。それにしても、溺れずにこの祠の沈む湖まで流れてきたとは。


 仮面の男は腕の中の少年を見る。

 小さな身体は温かく、少しクセのあるさらさらした黒髪は、かつて苦楽を共にした盟友を思い出す。かの友は深紅の瞳をしていたけれど。


 「可愛いなぁ。君、名前は?」

 「・・・ヴィンセント。兄さんとかパパやママは、ヴィンスって呼んでいるよ」

 「ヴィンス・・・いいね、君。その目も邪気がなくて・・・うん?君の"気"はどこかで感じたことあるな」

 少し首を傾げるようにして、男はああ、と頷いた。

 「そうか、わかった。君の母親はひょっとして・・・」


 ヒュンッ!


 一筋の青白い光が暗闇を走る。


 「・・・えっ?」

 「おやおや」


 男の声はどこか笑っているようで。

 少年を再度抱きなおし、ひらりと身を翻す。


 ドカーン!!


 続いて地鳴りが響き、湖の水面が盛り上がると爆発音に続いて水柱があがる。

 少年は悲鳴をあげて、男にしがみついた。

 ブルブル震える背中を、男の手のひらが安心させるように撫で、ポンポンと軽くたたく。


 ザバン、ザバン・・・


 水面でに激しく波がぶつかりあい水しぶきがあがる。少年の耳元で男が小さく息を吐くのを感じた。


 「あのさぁ、仮にも君の息子もいるんだよ?手加減くらいしたら?」


 男の声に、少年は驚いて顔をあげた。


 「ヴィンス!!!」


 「パパ!!」


 少し離れた暗闇に、膝まで水につかり、剣を構えている男の姿が飛び込んでくる。少年と同じ黒髪に、深い青い目。深緑に金糸の模様をあしらえた騎士のいでたちは、王族に次ぐ高位である王宮騎士団総長のもの。

 ガドル王国3つある武術団を統べる総長であり大陸最強と誉れ高い男、カリスト・サルティーヌ。

 ふわりと身にまとう騎士団のマントが生き物のようにはためいた。

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