第一章 サルティーヌ家の日常
黒縁メガネ王子とヘム・ホルツ
「魔力なんてないほうがいいんだ」
勝手に期待して失望している大人たちに、悔しくて悲しくて泣いていた幼いヴィンセントを抱き上げ、父親のカリストは大きな手で黒髪を撫でながら言った。
王立学園に入学する7歳となった段階で、子供は必ずジュノー神殿で魔力適性診断を受ける。大抵、そこで
父親のカリストは"火"と"水"の相反する珍しい2属性の強力な魔力持ちで有名だったが、母親のビビは魔力なしの一般人だった。その両者の血を継ぐ息子は?と注目されていたが、結果長兄のイライザは間をとった『並』で、次男のヴィンセントに関しては『なし』と判明。勝手に期待していた神殿や王家の大人たちが落胆する様に、当時ヴィンセントはひどく傷ついた。
「魔力があったらあったで、大変なんだぞ?パパを見てごらん。総長だの元帥だの持ち上げられて盾にされて、そろそろ隠居したいのに毎回駆り出されて」
「その若さで隠居なんて、まだ早くない?」
傍らで母親のビビがくすくす笑う。カリストは空いた方の手でビビを抱き寄せ、額にキスをする。
「あいつら、なんでもかんでも俺に頼りきりだと思わない?俺だって家族ともっと過ごしたいのに・・・決めた、もう俺総長降りる。明日陛下に辞表出す!明後日から、俺はビビと一緒に農業管理会で働くんだ!」
そしたら、もうひとりくらい頑張れるんじゃない?と茶目っ気たっぷりに言う
「そしたら僕、次は妹がいいな!」
「だろ?ヴィンスも妹欲しいよな。任せろ、パパ頑張るからね」
「もう、あなたまでなに言っているのよ」
頬を染めて少女のように笑う母は、息子のヴィンセントから見ても可憐で可愛いい。ああ、このひとたちがパパとママで良かったと、先ほどの悲しみは消し去り、ほんわりとした幸せがヴィンセントの胸をいっぱいにする。
「パパ、大好きだよ」
ぎゅ、と首に腕をまわす息子にカリストもまた小さな身体を抱きしめ返す。
「パパも愛しているよ。母さんの次に、だけどね」
*
ガドル王国の【剣】ハーキュレーズ王宮騎士団
王城に住まうアレクサンドル王家の王族警護を兼ねる騎士団総長は、有事に備えて王族と同じ王城内に居を構えている。
25歳という歴代最年少で総長に着任し、現在55歳になるまでの約30年間。ヴィンセントの父親であるカリスト・サルティーヌは、未だ総長の座を誰にも譲ることなくトップの座に君臨していたため、ヴィンセントも生まれた時からガドル王城で生活をしていた。
そのガドル王城内の、諸外国から取り寄せられた珍しい花や樹木が植えられ、王族しか立ち入りを許されていない結界が張られた温室。
そして温室を窓から望める位置にあるヴィンセントの部屋。来年の16歳成人式を控え、数年前父親にお願いして自分専用の部屋を作ってもらったのだ。
遡ること9年前。残念ながら?カリストの『本気』の辞表は当然ながら評議会に受理されることなく、現在も王宮騎士団の総長のままだったが・・・驚くことに来年母親のビビは第三子を出産する。なんとヴィンセント出産から15年越しの妊娠だった。そして出産に合わせて、カリストもその任を降りることが(国王を脅したとの噂もある)決定していた。総長の任を解かれると同時に、現在居住しているガドル王城からは出なければならないので、この特別作ってもらった勉強部屋の利用もそこまでだ。
窓を開けると、明るい陽射しとともに温室に植えられた花々や樹木に実った果実の甘い香りがふんわり漂ってくるのが、気に入っている。中に設置されている噴水の軽やかに流れるせせらぎ音を聞きながら、ヴィンセントは紙を机に広げペンを滑らせていた。どっしり重厚感のある年季の入った机の上には、古書が散乱している。時々積みあがった古書を手に取り、ペラペラめくりながらさらに紙に向かうこと数時。
「う~ん・・・」
黒縁のメガネを外し、指先で軽く眉間を押す。
「そろそろメンテナンス時かな。ピントが微妙に合わなくなっているような・・・」
ふう、と息を落として本を棚に戻すと立ち上がる。お茶でも飲もうと部屋の片隅にあるミニキッチンに向かうと。
「きゅぴい」
「あれ?タマ、お前また忍び込んで・・・」
足元にじゃれついてくる白い物体に、ヴィンセントは苦笑する。ひょい、とその白いプルプルしたボディーを両手で抱え上げた。
白い物体は、ヘム・ホルツというガドル王国では見慣れた生き物だった。とはいえ、その生態はいまだ解明されていない。
なんでも体内に吸収するスライム種と云われているが、
タマは先代の国王に拾われ、そのままガドル王城の温室に居座っている、珍しいヘム・ホルツだった。
当初は2匹だったが、先代が崩御すると1匹は自然に城から居なくなり、現在は"タマ"と名付けられた1匹のみ。
珍しい、というのは・・・ヘム・ホルツは餌を与えてくれる人間に愛嬌を振りまくが、個人の人間に自ら関わってくることはない。そんな中、タマはヴィンセントを非常に気に入っているようで。部屋に鍵をかけても結界を張られても、くぐりぬけて部屋に入り込んでくる。
タマはヴィンセントに抱き上げられて嬉しそうに短い手足をバタつかせる。両腕で抱えて余りあるサイズのヘム・ホルツだが、そのどっしりした見目と反して非常に軽い。ヴィンセントは片腕でタマを抱きなおし、空いた手でコンロにかけられたケトルからカップにお茶を注いだ。
「お前ってさ、ほんと鼻がきくというか・・・いつもいいタイミングで現れるよな」
って、ヘム・ホルツに鼻はあるのか?と首をかしげながら、ヴィンセントはタマをテーブルに下ろし、母親が焼いたマフィンを籠から取り出すとタマの前に置く。
タマは嬉しそうに鳴きながらマフィンを嬉々として体内に取り込んだ。
白い半透明のぷよぷよボディーに取り込まれたマフィンが静かに気泡をあげながら溶けていくのを見ながら、ヴィンセントはお茶の入ったカップを片手にマフィンを口にする。
いつ見ても不思議な光景だ。タマはヴィンセントの休憩に合わせて姿を現す。最近は母親特製のお菓子目当てじゃないのか?とも思う。婦人部で料理教室を開いているだけあって、母親の焼くマフィンは絶品だ。
一度部屋にこもると、なかなか出てこない息子を気遣って、母親のビビは都度サンドイッチやマフィンを作って部屋に置いておいてくれる。非常に気の利く母親には感謝だ。そういえばタマが突然現れた日も丁度一息入れようとしていた時だったな、とヴィンセントは思わず笑いを漏らし、白くぷるぷる揺れるタマの頭を撫でた。
タマを撫でていると穏やかな気分になる。ヴィンセントに撫でられるのが好きなのか、タマのプルプル揺れるボディーがうっすら上機嫌のピンク色へと変化していった。
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