プロローグ☆後編 恋はするものではなく落ちるもの

 「ティリー、ねぇ・・・」

 

 おやおや、とヴィンセントの熱のこもったまなざしを眺め、カルメンは苦笑し、ビビは不思議そうに首をかしげる。

 「どうしたの?」

 「あの娘、バルベルデ家直系の長子なんだけどね。あの通りなんというか・・・覇気がなくてね。鍛錬にも参加しようとしないの。争いごとが嫌いらしいわ」

 「あら、直系の長子で・・・?それは大変ね」

 ヴァルカン山岳兵団は世襲制だ。基本その家の長子が跡を継ぐことになっている。直系の長子、ともなると事実上一族の後継者ともいえる。

 「バルベルデ家の恥だとか汚点、とか。周囲からはずいぶん言われているらしいわよ?弟がいるんだけどね、そっちに家督を譲らせたらいいって動きもあるらしいし」

 軽く腕を組んでカルメンはため息をつく。

 ヴァルカン山岳兵団の五大軍人貴族のひとつである、バルベルデ家。鍛冶職人を多く輩出している家門ではあるが、勢力武力においては万年最下位だった。

 「ただね、ダット師匠がどうしてもティリーに家督を継がせたいみたいでね。誓約魔法のかかった遺言も残しているらしいわよ」

 「そう・・・山岳兵団の長子で生まれた運命とはいえ、気の毒だわ」

 言いかけ、ビビは目を見開く。

 「ヴィンス?」

 ヴィンセントがビビの手から離れ、引き寄せられるように・・・そのまま少女の方へ歩き出したからだ。

 

 「あの・・・」

 

 声をかけると、少女は振り返る。

 見かけぬ自分より少し背の低い少年に少し驚いた顔をしたが、すぐさま笑顔を見せた。

 「はい、いらっしゃい。お花が欲しいの?」

 「あ、ハイ」

 こくこく、とうなずくとティリーはうふふふ、と笑う。その優しい笑みに顔が知らず赤くなる。

 ああ、彼女の微笑みは・・・満開に咲きこぼれる花、みたいだ。

 

 「なに包みましょうか?誰に贈るの?好きな色、ある?」

 矢継ぎ早に質問され、答えに窮してしまう。純粋に貴女の声が聞きたかったのだ、と告白するべきか言い淀んでいると、傍の木の椅子に座った老婆が声をあげて笑った。

 「ティリーや、そんなポンポン聞かれて坊ちゃん困っているじゃないか」

 「あっ、ごめんなさい」

 「い、いえ、その・・・」

 もごもごしていると、背後から助け舟が。

 ふわりとやさしく両肩に手が添えられ、見上げると母親のビビが笑顔を見せる。

 

 「この子のお誕生日なの。食卓を飾るお花がいいわ。お任せするから、花かごひとつアレンジしてもらえる?」

 「お母さん」

 「あ、イライザ君のお母さん?カルメンさんも・・・」

 「やぁ、ティリー。調子はどお?」

 その後ろに立ち片手をあげて挨拶してくるゲレスハイム家当主の姿に、ティリーは慌てて両手に花を抱えたまま頭をさげる。

 「こんにちは、ティリーちゃん、おばあさん」

 ビビは傍に座っている老婆にも軽く会釈をした。

 「あらあら、サルティーヌさんとこの坊ちゃんでしたか」

 「はい、次男のヴィンセントです。今日で7歳になります」

 何気にティリーへアピールする母親に、心の中でグッジョブを送るヴィンセント。


 老婆とビビとカルメンが談笑しているそばで、ティリーは真剣な表情で花を選別しながら花かごに生けていく。

 ダイニングの調度品はどんな感じなのか、質問されたことに答えながらヴィンセントはその横顔をぼうっと眺めていた。


 澄んだ鈴の音のようなやさしい声だった。

 背に流れる長い髪が、動作によって頬に触れるのを少し邪魔そうに耳の後ろにかけるしぐさが、妙に大人っぽく見える。

 伏せたまつ毛は濃く長くて、肌は陶器のようにすべすべで。ヴィンセントはドキドキが止まらない。

 そんな息子を微笑ましく見守る母親のビビ。

 「偉いわね、ティリーちゃん。お手伝いして」

 「助かるんだけどねぇ・・・少しは長子の自覚をもってそろそろ鍛錬を始めないとねぇ」

 苦笑する老婆の言葉に、ピクッとティリーの手が止まる。

 「うちの4番目の娘と足して割ったくらいがいいんじゃないの?あれは花を愛でるどころか乱暴すぎて手に負えないわ」

 誰に似たんだか、とカルメンの明るい声が続く。4番目の娘は・・・まさにヴィンセントが苦手としているデボラ・フォン・ゲレスハイム。あんなのと、可憐なティリーが足されて割られるなんて、と憮然としながらヴィンセントは様子のおかしいティリーに気づく。

 「ティリーさん?」

 手が止まったティリーにヴィンセントは声をかける。ティリーははっとしたように、慌てて手を動かしながらヴィンセントに笑いかけた。

 「ごめんね、ちょっと考え事していて」

 「・・・?」


 10歳とは思えないほどテキパキした手つきで、ティリーは食卓用のアレンジフラワーを完成させた。

 その見事な出来栄えに、ビビは感激して少し多めの料金を支払った。

 「びっくりしたわ。ティリーちゃん、今度王室管理の花を提供してもらう予定だから、よかったらフラワーアレンジメント教室に参加してみない?」

 ガドル王国の【食】の要でもあるヴェスタ農業管理会の婦人部に在籍しているビビは、若い婦人部の女子を集めて、定期的にフラワーアレンジメントや料理教室を開催していた。

 「本当ですか?!ぜひ、お願いします!」

 ぱぁっと満開に咲く花のような笑顔に、ヴィンセントは苦しくなって思わず胸を抑えた。


 「よかったね、ヴィンス」

 カルメンと別れ、城下までの相乗り馬車の停留所まで歩きながら、ビビは傍らを歩くヴィンセントに声をかける。

 「・・・うん、ありがとう。お母さん」

 ぎゅ、とつないだ手にわずかな力がこもる。ビビは微笑んだ。

 何が、とは聞かず言わず・・・でも人見知りの息子があの少女に興味を持ったことは一目瞭然で。

 カルメンは残念がっていた。あわよくば密かに4番目の娘のデボラを、ヴィンセントに宛がおうと思っていたからだ。とはいえその名前を聞いた瞬間、思わず顔をしかめた息子ヴィンセントに脈なしとカルメン自身理解したようで、それ以上なにも触れなかった。

 

 *

 

 「ヴィンセント君」

 

 振り返ると、ティリーが息を切らせながら人混みの中走ってくるのが見えた。

 「どうしたの?ティリーちゃん」

 ビビが驚いたように声をかけると、ティリーは首を振り、息を整えながら、手にしたものをヴィンセントに差し出す。

 小ぶりな、黄色い花をあしらったミニブーケ。

 「お誕生日、おめでとう!これ、私から」

 ティリーは微笑む。

 「ヴィンセント君に多くの幸福が訪れますように」


 その笑顔を見た瞬間。身体の中を何かが駆け巡るような衝撃。

 ああ、とヴィンセントはブーケを受けとり、ふらふらとそのままティリーの手を握ったまま膝まづいた。


 びっくりしたように見下ろすティリーを見上げ、息をひとつ吐く。


 「ヴィンス?」

 「ヴィンセント君?」


 「ティリー・バルベルデさん、僕と結婚してください」


 恋はするものではなく落ちるもの、とこの衝撃が何だったのか。それ気づくのはまだ少し先のこと。

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